「こんなところにあった!」
「良かったね、アリア」
「うん!」
わいわいと盛り上がる教室の真ん中では、しゃがみ込んだルチルに頭を撫でられて嬉しそうに笑う小さな女の子がいた。
アリアと呼ばれた少女は、1枚の紙を大事そうに胸に抱きしめていた。遠くへ引っ越してしまった友達からの手紙だというそれは、ルチルに頼まれてが魔法を使って探したものだ。
本の間から出てきた紙は何度も読んだのだろう、折れてしわしわになっていたけれど、少女にとっての宝物に違いなかった。
「ほら、アリア。お礼を言いに行こうか」
促されたアリアは、少し緊張気味にこちらに近づきながらもルチルの上着の裾をぎゅっと掴んで離さない。人見知りする子なんだろう。無理に言いに寄越さなくても良いとは思ったが、ルチルはその小さな背をそっと押した。
「あ、ありがとう……」
言い終わるやいなやパッと離れて最後はルチルの上着の影に隠れてしまった。困ったようにルチルとこちらをちらちらと見ている。
「どういたしまして」
は先程ルチルがしていたように、少ししゃがんでひらひらと手を振った。その手の動きを見て、おずおずと小さな手が振り返される。
「ちゃんとお礼が言えて偉いね」
すかさず褒めるルチル先生に、アリアが恥ずかしそうにでも嬉しそうに頬を染める。
「先生遊ぼう!授業終わったら、遊べるんでしょ」
「ねえねえ、先生ー」
「ルチル先生」
あっという間に群がった子どもたちにルチルが囲まれてしまったので、はその間にそっと教室を出た。
今日は朝にしっかり起こしに来たミチルに手を引かれ食卓につき、心配する兄弟たちを他所にお茶と果物を一欠片だけ朝ごはんにもらってから一緒に学校に来た。
フィガロはと言うと、が朝ごはんをゆっくりゆっくり食べている間にさっと食べきったミチルが2度目の起床を促しに行き、寝起きで寝癖のついた髪をそのままにあくびとともに食卓についていた。今は診療所に帰っている。
学校という施設については知っていたが、入ったことも授業を受けたこともなかった。そう伝えると、一緒に受けても良いとも言われたけれど、流石にそれは断って教室を見学させてもらうにとどめた。
生まれた故郷にも学校はなかったし、魔法使いの学校なんてものは無い。
魔法使いはそもそも、生きるすべを自分で学ぶ。師匠がいれば師匠に習うが、師匠について学ぶほどは自身が勤勉な性格ではないと思っていたので、誰の弟子にもならずに生きてきた。
ルチルの授業も他の先生の授業も見させてもらったが、それは魔法使いの人生にはたいして必要無さそうことばかりだった。
誰かと一緒に生きていくために学んでおくべきものだとは感じたが、魔法使いは誰かと一緒に生きていく必要もなければ、誰かに合わせて生きる必要もない。
誰かはそれを自由といい、誰かはそれを孤独という。
ひとり、妙に干渉してくる魔法使いのことをつい思い浮かべて、はため息を吐いた。
あの長寿の魔法使いはいつか、魔法使いの総数が減っていると話していた。魔法使いは気ままで気まぐれ、時には自身の生死より心動かすものを優先させる。意図して繁殖出来るような生き物でもないのだから、仕方がないと思うけれど、どうやらフィガロはその事態を憂慮しているようだった。
そんなだから自分のような魔法使いを、軟弱と叱りつけて延命させようとしてくる。
老木のように静観して物事を見ているくせに、自分の樹に住んでいるわけでも無い小動物を気まぐれに世話するようにおせっかいを焼く。ちょっと面倒くさい魔法使いだ。彼自身の性格も、関わるのも。
「さん、今いいですか」
跳ね除けきれないのはあの圧がいけないと、言うともなしに心のなかで言い訳をしながら、庭で遊ぶ子どもたちを屋根の上からのんびりと眺めていれば、そっと遠慮がちにかけられた声に振り向く。
「ミチル。いいですよ」
さっきまではミチルもみんなのお兄さん分のように遊びながら、小さい子たちの面倒を見ていたようだったが、どこか緊張気味に両手を握るミチルはひとりきりだった。
おずおずと屋根の上に上がって横に座りながら、言おうかどうしようか迷っているのをじっと待つ。
「ここでは言いづらいですか?移動しましょうか」
「えっと、」
言い淀んで彷徨う瞳が、みんなのいる景色から外れて空いている教室辺りをうろついているのを見て提案すれば、茶色く丸い頭がこくりと頷いた。
先導して歩いたミチルと共に、授業も終わり生徒もいなくなったガランとした教室の椅子に座る。
「さんの失せもの探しって、その、人でも見つけられますか?」
「探し人ですか?そうですね、一応そういった依頼も請け負いますが、向こうが探されたくなければ妨害も受けますし、確実に探し出せるかは保証できません」
「そうなんですね」
そう言って、またぎゅっと手を握ってうつむく。
そういえば、この兄弟には親がどちらもいない。亡くなった両親の知り合いについてとかだろうか、と考えている間に小さな声が溢れた。
「僕のし……がその、探してる人がいて、でも」
「?ごめんなさい、よく聞こえなくって」
「もし、探している人が亡くなっていたら?どうなりますか?」
「生前、もっとも存在が残った場所かものをお伝えすることになると思います。それでも良ければ、探ってみましょうか?」
「……はい」
「では、やってみましょう」
ところどころ曖昧な物言いが引っかかりはしたけれど、どこか必死な様子を見ては引き受けることにした。
ものと違って、自ら動き回る生きものを探すのは難しい。見つからなかったらごめんなさいと前置きをすれば、ミチルは小さく頭を振って大丈夫だと言った。
机の上に昨日と同じように巾着袋を出して、中からひとつ選んでもらう。緊張気味のミチルが悩んで選んだのは、きれいな赤い円柱形のお香だった。
香炉に置いて、呪文を唱える。
《インドゥオマーレ アルティシモス》
呪文と共に火が灯り、お香を徐々に燻していく。
そしてふわりと煙が広がった。
「……」
二人が注目する中で煙は香炉を中心に円を描きはじめる。
おかしい。
どんどんと机いっぱいに立ち上り机から溢れ出しているはずの煙が、どこへも行こうとせずにその場で渦を巻き始めている。それよりおかしなことは、煙から何の匂いもしないことだった。
「ミチル」
「っ、はい」
「目を瞑って。探している人の事を、もうちょっと強く念じてみてもらってもいいですか」
「!……えっと、わかりました。やってみます」
ぎゅっと握った両手と瞑られた瞳に合わせて、煙がふわりと色を変えていく。白いそれに薄っすらと灰色が混じり、どこかここではない澄んだ風と草の香りが交じる。
それでも煙はどこへも行こうとしなかった。
「そのまま、目を閉じていてください」
「……はい」
人探しは確かに難しいものだが、こんなに反応が薄いのも珍しい。
特にミチルは純粋な子だ。余計な雑念は大人よりも少ないはずだ。
は煙の中を覗き込むようにして、ゆっくりと渦の中で目を閉じた。
《インドゥオマーレ アルティシモス》
重ねてかけた魔法が、の意識を煙の中に移していく。
ふんわりとした煙が不意に形を変えて、引き潮のようにぐんと引き寄せられる気配がした。
ゴン、という鈍く重い音が落ちる音がして、ミチルははっと目を開けた。
眼の前はすでに煙が充満して真っ白だったが、その煙の中で机に昏倒している影があることに気がついた。
「さん!さんっ、どうしよう」
魔法を行使している間に起こして良いものか、判断がつかず起こそうと揺さぶる手が中途半端に止まる。 とにかく、誰か呼びに行こうと立ち上がって見えない視界の中で、覚えている記憶を辿って教室から外に続く扉を開ける。
ぶわっと煙が外に流れ出ていき、やっと視界が晴れて息をすれば廊下の向こうから誰かが走ってくるのが見えた。
「兄様!!」
「ミチル!みんなが、教室が煙でいっぱいになってるっていうから急いで来たんだ。何か燃えているのかも。早くここから逃げて」
「さんが、中にいるんです」
「えっ!」
驚いて開いた扉から教室に飛び込むルチルに続いてミチルも煙の中に戻ろうとすれば、ルチルが振り向いて怒った顔でそれを押し留めた。
「ミチル、駄目だよ。あまり煙を吸わないようにして、身をかがめて避難して」
「違うんです、兄様!僕、さんに頼んで」
「ミチル、落ち着いて大丈夫だから。さんのことは兄様に任せて、外に」
「っ火事じゃ無いんです!この煙はさんの香炉の煙です」
「香炉の?こんなに煙が出ることもあるのかな。じゃあ、ミチルはそのことを誰かに伝えて、みんなを一応避難させたらフィガロ先生を呼んできて」
「はいっ」
《オルトニク セトマオージェ》
ミチルが走り去る音を聞きながら、ルチルは呪文を唱えた。
火事では無いことが分かった分落ち着くことは出来たが、中にいるはずのの反応が何も無いことが気がかりだった。
ルチルの魔法で煙が一瞬追い払われた先に、机に昏倒するの姿が見える。
「さん!」
急いで椅子と机の隙間を縫って近づく間にも、おそらくは香炉から湧き出す煙がすぐに視界を覆ってしまう。手探りで進んだ先で柔らかいものに触れて立ち止まる。
《っオルトニク セトマオージェ》
ルチルの呪文で辺りの煙が一旦晴れたすきに、に触れその体を起こして顔を覗き込む。
「さん、大丈夫ですか?さん!」
鼻に手を当てれば呼吸はあるようだが、体を揺さぶっても、ゆらゆらと揺れるだけで意識が戻る気配が無い。
このままこの場から離してもいいのだろうか。香炉はどうすればいいのだろう。
自分の知識では対処が出来ずにルチルが唇を噛めば、煙の向こうから足音が近づいてくるのがわかった。
「兄様!」
「ルチル!ごめんね、遅くなった」
《ポッシデオ》
聞き慣れた柔らかくて芯のある強い音が紡いだ呪文が、あっという間に周囲から煙を吹き飛ばしていく。
晴れた視界の中で危なげない足取りで机の合間を縫ってたどり着いたフィガロに、ルチルはほっと息をついた。
「フィガロ先生」
「兄様、さんは……?」
「意識がないみたい。フィガロ先生、」
「うん、ちょっとみせて」
伸ばされた白いシャツの腕に、くったりと意識をなくしたままのの体を預ける。
フィガロはその顔と、閉じられた瞼を開けたりといくつか確認を行ってから、机の上で未だもくもくと煙を吐き出す香炉を見つめた。
「ミチル」
「は、はい」
「確か、ミチルが探しものをしてほしいとに言ったんだよね」
「はい……もしかして、それが原因ですか?」
「何を探してほしいと言ったの?」
「……レノさんの、探している人がどこにいるのか探してもらえないかと思って」
一瞬ぎゅっと両手を握ったミチルが、俯きながら小さな声で願った探しものについて話せば、フィガロは小さく息をついた。そのため息にミチルはきゅっと身を縮こませる。
「フィガロ先生、それは駄目なことだったんですか?」
「そうだね。あまり良くはなかったけど、俺もも説明しなかったから」
気遣わしげにルチルが聞いた問いに少し難しい顔でフィガロが頷けば、それを聞いたミチルの顔がさっと青ざめた。
「そんな、知らなくて、でもごめんなさいっ」
「ミチル……」
「フィガロ先生、さんは大丈夫ですか?目は、覚ましますよね……?」
自分の願いがの意識を失くすほど良くないことだったとは知らず、泣きそうになりながら謝ればフィガロがその髪をそっと撫でた。
「大丈夫。フィガロ先生に任せて」
よいしょと意識のないを抱えたフィガロが、香炉を示してミチルを呼んだ。
「ここじゃあちょっとやりにくいから、ちょっと遠いけど診療所まで運ぼう。香炉はミチルが持ってて。あまり俺とから離れないように」
「はい……!」
「ルチルには、俺たちがここから出たら教室の煙を魔法で払ってほしいんだ。香炉から離れれば消えていくとは思うけど一応ね」
「はい」
「それから、避難させた外の子どもたちにも大丈夫だよって伝えておいで」
「わかりました。フィガロ先生、さんとミチルをよろしくお願いします」
「うん」
「気をつけてね、ミチル」
「はいっ」
「、、……」
何度呼びかけても目覚めないを見下ろして、フィガロはどうしたものかと腕を組んだ。
目が覚めたら教えるねと諭してフローレス兄弟は一旦家に帰らせたものの、真実を伝えるべきか迷っていた。
の魂が、感じられない。だからいつ目覚めるか分からない。
「……」
後悔に沈んだミチルが、そっとその両手から離していった香炉を見遣る。の魔道具だ。
フィガロが魔法で煙を払ってしまったから、煙の行先を知ることは出来ない。だがきっと、の魂はその煙の先に行ってしまった。
「レノックスの探している人、ね……」 思い起こさせる記憶はあれど、手放した過去だ。 それより何より、今はの魂の行方だ。 問題は、この依頼をしたミチル自身は探し人のことを正確に知らないことにある。それは魔法の精度を狂わせ、煙が辿るべき道すら惑わせ、果ては消失させる。 最悪、どこにいるとも知れない誰かを探してこの世界を永遠に彷徨い続け、もう二度とこの体に還ってこれないかもしれない。
息を吹き返さない体は、手を施さなければやがて朽ちていく。空の器は、いずれただのマナ石となる。
体が朽ちたら、どこかにいるはずの魂も朽ちるのだろうか。
「その前に、防腐処理かな」
薬液に漬けるのと、凍らせるのどちらが良いだろうか。どちらにせよ、あの兄弟の目には触れない場所に安置しなければいけない。
やるべきことを考えて、フィガロは少し長い溜息を吐いた。
2024.10.25
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