失せ物探しと眠い魔女



程よい温もりに包まれている。
少し温めの風が葉を揺らす音が耳をくすぐり、ちらちらと眼裏を照らすのは木々の隙間から溢れる木漏れ日か――、否。

「……」

ぼんやりと開いた視界に映ったものは、なんだか見慣れてしまったラインの入った赤茶のベルトにパンツ、シワの寄った白いシャツだった。
ベルトの金の留め具に反射した光がちらちらと眩しい。
そうやって覚醒してきた耳が、お前が聞いていたのは梢のざわめきではなくカーテンの揺れる音だと伝えてくるが、それを無視してもう一度瞳を閉じた。

「朝ごはんは食べる?」
「……」
「まあ、もうそんな時間じゃないけどね」

こちらがすっかり起きている事に気がついている相手は、先程まで書物でも捲っていたのだろう手を止めて何が楽しいのか、くすくすと笑う声とともに頬をくすぐってくる。
それを尚も無視して夢の世界に戻ろうとするも、いじる手を止めようとしない。

「お昼ごはんも終わっちゃったけど、さっきルチルが村の人にもらったクッキーを持ってきてくれてね」
「!、っい」

頬をつついていた指先が今度は遠慮ない力で頬を思い切りつまんできた。
思わず目を開けて睨み上げた先、灰色の中に人の心を覗き込もうとする力を持った榛色の瞳孔がこちらを見下ろしている。

「…私、東の国の森にいたはずなんですけど」
「おはよう」
「あの、勝手に人の寝床変えるの止めてくださいって何度も」
「おはよう、
「…、おはようございますフィガロ」

挨拶を返せば、上からかけられていた圧力がふっと和らいだ。

「はい、口開けて」

反射的に口を噤んだのを見下ろして、フィガロの目がやんわりと細められる。笑みを象ってはいるが、その奥からちらちらと覗く緑の瞳は冷たく鋭い。
その細い指先に摘まれているのは、フィガロのシュガーだ。

「そんな食べたくないって顔してもダメだよ」

しばらく無言の膠着状況が続いたが、少しして「はぁ」とため息をついてフィガロの瞳が閉じられた。

「前にも教えたと思うんだけど。そうやって眠りに付くのは魔力が弱まってる証拠だって」

やれやれと呆れた口調で手のひらに転がしたシュガーをひとつつまみ上げて、こちらの口元に押し当ててくる。なかなか開けない口元にじれて、小指の先が口唇を割って押し込まれた。

「どうして、いつも素直に食べてくれないかな」

そのまま好き勝手に小指を遊ばせるわけにもいかず、噛んだら噛んだで何を言われるか分かったものではない。早々に面倒くさくなって、渋々と口を開けた。
パカッと開けた口にころりとシュガーを転がされる。
フィガロのシュガーはきれいな形にきれいな色だとは思うが、味が少々くどく感じるのは受け手たる自分の心境故か。
一粒溶かしては、また催促する指先に渋々口を開ける。

「今回は何をしてそんなに魔力を空っぽにしちゃったの?」

ひょいひょいと、親鳥が雛に餌を運ぶがごとくに次々とシュガーを放り込んでいたフィガロは、自身の魔力がの体内を巡り馴染んでいく様子にやっと満足したのか、シュガーを摘んでいた指先で眼下の小さな鼻を摘んだ。

「守秘義務があるので」

少し温度の低いフィガロの指先をぺしと払えば「痛いなあ」なんて嘯いている、その膝の上からやっと身を起こす。
何が楽しいのかわざわざ寝台に腰掛けてに膝枕をしていたフィガロは、読んでいたのであろう本を片手に立ち上がり、年寄り臭くその腰を叩いている。

「おやつにしようか」





「私、食べたいなんて言って無いんですけど」という言葉は言えずに喉の奥に仕舞い込まれてしまったのは、この場にいるのがフィガロだけでは無かったからだ。
クッキーは折角なので1枚頂いたのだが、お礼を伝えにと言われるまま兄弟の家に連れてこられて、気がつけば食卓に通されている。
南の国の兄弟はきらきらと無邪気な笑顔での分の料理も用意してくれていて、共に食事を取れる事に喜んでくれていた。尻尾があったら振ってそうな二人と用意された食事を前に「お茶だけで結構です」ともいえず、はニコニコと食えない笑みを浮かべて向かいに座っているフィガロを無言で睨みつけた。

「……さん、大丈夫ですか?」
「どうしましょう、なにか苦手なものがあったのかもしれません。さん、どれか食べられないものがありましたか?」

どうにも無言でムッツリとしているに気付いてこの気のつかいようだ。
「二人の好意を無碍にできるの?」というフィガロの無言の笑みの圧を感じる。

「いいえ、どれも美味しそうです」

目の前に並べられた料理からは、確かに美味しそうな香りと湯気が立っている。
観念したようにそう言えば、先程までの不安げな顔をしていた南の兄弟の表情がパァと明るく輝いた。
眩しい二人の笑顔に絆されそうになるが、嫌でも視界に入ってくるフィガロのニコニコとした笑顔はうっとおしいことこの上ない。

「それなら良かった!さあ、いただきましょう」
「いただきます!」
「いただきます」
「……いただきます」

ルチルの号令にミチルとフィガロが続けば、も手前に並んだカトラリーに手を伸ばす他ない。

二人に頼んで食事を用意してもらって良かった。ゆっくりではあるが食事を取るの姿にフィガロも目の前のスープを一口、口に運んだ。
魔法使いはある程度食べなくてもやってはいけるが、ただでさえ魔力が少ないには、せめて体力をつけないと、と何度説教をしたか分からない。
身に物が詰まっている感覚が苦しくて空を飛べなくなりそうで嫌だ、食べる行為が好きじゃない、といつもフィガロ相手には何だかんだ反抗してくるが、あの兄弟がすでに料理を用意しているとなれば、その心を無碍にするのはさしものにも難しいらしい。
若く元気な兄弟たちがお代わりをしている横でゆっくりゆっくりとスプーンを口に運んで、フィガロよりも少ないスープをはやっとのことで食べ終えていた。





さんの魔道具って何ですか?」
「香炉ですよ」
「わあ、とてもきれいですね」

ひと仕事終えたようにぐったりしていたを気遣ってルチルが入れてくれたお茶を飲んでしばらく、聞くともなしに聞いていたフィガロと兄弟たちの会話にもぽつぽつと参加しはじめれば、いつしか話題の中心は彼女自身のことに移っていた。
二人の好奇心旺盛さに押されて、漂白の魔女はあちこちを渡り歩く旅路で見聞きしたものを話して二人を喜ばせた。
食べ終わった食卓の上にことんと置かれた手のひらに収まるほどの大きさの香炉に、ルチルもミチルも興味津々の様子でしげしげと見入っている。

は、失せもの探しが得意なんだよ」

フィガロのウインクを実に煙たそうにしっしと追い払ってから、はルチルとミチルに向き合った。

「お茶と食事のお礼に。何か身近で失くして探しているものがあれば手伝います」
「無くしたものですか?何でしょう、何かあったかな」
「あ!……、えっと、いいですか?」
「ミチルくん、どうぞ」
「あの、最近植物の種を入れていた瓶がひとつ見つからなくて」

何か思い出したように声をあげたミチルが、遠慮がちにしながらも打ち明けた探しものに、は頷いて小ぶりの巾着をひとつ取り出した。
口を縛っていた紐を解いて、ミチルに中を覗くように勧める。

「うわ、これもしかして全部お香ですか?」
「そうです。この中から好きな色と形のものをひとつ取り出してください」
「え、この中から?」
「まあ、とってもきれい。何かに広げようか。このハンカチでいいですか?」

横から覗いたルチルが感嘆の声を上げて、畳まれていたハンカチをテーブルの上に広げる。
が頷くのを見て、ミチルは巾着の口を傾けた。

「あ、わ、わわっ」
「すごい!」

ざらざらと巾着の容量を遥かに超えた、大小様々な形をしたお香が転がり出して慌てた声をあげるミチルの横で、ハンカチの端を持ち上げて転がり落ちないように受け止めるルチルの目も丸く見開かれている。

「この中からひとつ……」
「これは迷っちゃいますね」

細い棒状のものや、円錐形、かわいい花の形をしているもの。
指先で転がして色や見た目を楽しむルチルの横で、ミチルは真剣に手のひらに乗せたり指先で摘んだりしてこれと思うものを選び始める。

「匂いは、うーん……あまりしませんね」

お香というからにはそれぞれが違う匂いが練り込められているはずなのに、いまひとつ香りが分からない。
ルチルが首を傾げているのを、フィガロが手を伸ばして深い青い色をした六角形のお香をひとつ摘んで目の前に翳す。

「火を点けるまでは、匂いが漏れ出ないようになっているのかな」

フィガロがくるくると手の中で回してしげしげと眺めている間に、悩みに悩んでいたミチルはやっと選んだお香をに差し出した。
若葉のような黄緑に黄色と茶色の筋が混ざったアーモンド型のお香を受け取って、は香炉の台座に乗せた。

《インドゥオマーレ アルティシモス》

ひそやかな呪文と共にぽっと小さな火が灯り、ふわりと煙が溢れ出す。どこか香ばしいような香りをまとった煙はしばしその場に留まったかと思えば、不意にすうっとどこかへ向かって漂い始めた。
食卓のテーブルの上から4人の視線を横切って、ふんわりと隣の部屋へと流れていく。

「えっと、これついて行ったほうがいいですか?」
「意外と近くにありそうですよ」

戸惑うミチルの声に頷いては立ち上がる。
ぞろぞろと付いていく中で、不意にルチルが「あっ」と小さな声を上げた。

「兄様?」
「ごめんね、ミチル」

煙の先頭にいたミチルとの横を通り抜けて、ルチルが向かったのはキッチンの調味料が入っている戸棚だった。
開けた扉の隙間から吸い込まれるように入っていく煙に導かれるように、ルチルも手を伸ばす。胡椒や塩の入った小瓶の中から、煙が巻き付くひとつの小瓶を取り出した。

「うっかり調味料と勘違いして、私がしまっちゃったみたい」
「!あんなにたくさん探したのに、こんなところにあるなんて」
「そうだよね、ごめんね」

頬を膨らませて拗ねたように兄を見上げるミチルに、ルチルが眉を下げて謝ればミチルも小さく肩を落としてため息を付いた。その瞳が、大事そうに手の中に抱えた小瓶に向けられる。

「もう、兄様ったら。前にフィガロ先生に分けてもらった貴重な種が入ってて、そろそろ植えないと時期が過ぎちゃうと思ってたのに」
「ああ、確かにその薬草は発芽の時期が限られてるからね。でも大丈夫、まだ間に合うよ」
「本当ですか?良かった!」

励ますようなフィガロの声に、兄のものよりも少し深いみどりの瞳が意志の強さと喜びを湛えてを見上げる。

さん、ありがとうございました。僕、ずっと探していたんです」
「無事に見つかって、お役に立てて私も嬉しいです」





「私も是非何かと思ったんですけど」
「思いついたらでいいですよ」
「ありがとうございます」

探しものというのは、ずっと探し続けているものもあれば失ったことに気付いていない事も多い。いつでも大丈夫だと頷けば、ルチルはにっこりと微笑んだ。

「さて、そろそろ夜も遅いし寝る時間だね。俺たちはお暇しようか」
「え、さんは泊まっていかれないんですか?」

随分長居してしまったとフィガロについて立ち上がろうとすれば、驚いたようなルチルと期待が込められたミチルの瞳と目が合う。
自身の寝床についてはフィガロの診療所の空いてるベッドでも借りようと思っていたのだが、兄弟はすっかり泊まっていくものだと思っていたらしい。

「明日は学校に行くんですけど、良ければ一緒に行ってみませんか?」
「!僕に案内させてください」
「えー、フィガロ先生は?」

一人だけのけ者にされちゃうんだ、とフィガロが拗ねたような顔をすれば、ミチルが眉をきっと上げて腰に手を当てた。

「フィガロ先生は朝起きられないじゃないですか」
「ミチルが起こしてくれればちゃんと起きるよ」
「そう言って、何度起こしてもすぐ寝ちゃうし。明日は外で体操するってみんなで決めてるんですよ!」
「ふふふ、そうだったね。フィガロ先生、起きられなかったら戸締まりお願いしますね」
「はーい」

ルチルは起きられなかったら置いていきますねと言外に伝えているが、よくあることなのだろう。「参ったなあ」といった風に返事をするフィガロに、ルチルは笑い、ミチルはぷんぷんと怒っている。
南の国ではよくあるやり取りだろうが、他所の長生きの魔法使いたちから見ればありえないものでも見るような目で見られるに違いない。
”あの”フィガロが若い魔法使いにこんな扱いをされているとは。特に北の魔法使いたちは、この二人の魔法使いが石にでもされているところを想像するかもしれない。
もしくは、不敬だと怒って二人を石に……はされないか。
怒られながらもどこか締まりのない笑顔でへらへらしてるフィガロをぼんやりと見ていれば、不意に片手を握られた。

「すいません、楽しくてつい長話をしてしまいました。お疲れですよね。部屋を案内しますね」

気遣うように覗き込む淡い緑色の瞳を無言で見つめ返せば、何故かわからないけれどもう片方の手で頭を撫でられてしまった。

「あっごめんなさい。つい学校の子供たちみたいにしてしまいました」
「えっと」
「兄様、眠そうな生徒はちゃんと起こさないと」
「そうだね。でもお家の手伝いとか頑張ってる子もいるでしょう。眠たいときには眠らせてあげてもいいかなって」

学校の先生をしていると聞いたルチルの眼差しは、常に優しく柔らかい。弟の抗議にも、意見を受け入れつつもこういう見方もあるだろうと、広い心を感じさせた。

「いい子たちでしょう」

横に立った高い影からどこか自慢げな声が寄越される。と、同時にまたもぽんぽんと頭を撫でられた。こちらは慣れたとは言いたくない大きな手だ。

「あなたがお世話したとは到底思えません」
「ええ。何でだろう。みんなそう言うんだよね」

そう言ってから、ぱんぱんと軽く両手を叩くフィガロの合図ではっとしたように動き出したフローレス兄弟の家が、の今夜の寝床となった。







2024.1.28





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