コンコンコン
「ファウスト、今いいですか?」
「…賢者か」
夕食を終えて、各自部屋に戻ったり談話室でくつろいでいる時間。賢者は城から戻ってきたアーサーが抱えてきた依頼の内容を、手分けして確認し振り分けを行っていた。
その中にあった何とも言い難い依頼内容に悩んだ結果、一番詳しそうな魔法使いの部屋を訪ねていた。
「いいよ。入って」
「失礼します」
ファウストの部屋は、相変わらず何に使うのか分からない謎の呪具が部屋のあちこちに置いてあるものの、ゆらゆらと揺れる蝋燭の灯りに照らされたそれらは、意外にも無秩序ではなく不思議と静かに調和していた。
それらを眺めつつすすめられた椅子に座れば、こぽこぽという音と共にティーセットが寄せられる。
「ありがとうございます」
「それで、僕に何の用だ」
ふわりと漂うハーブティーの香りを挟んで、丸眼鏡の奥の瞳が賢者を静かに見据えている。
賢者は一瞬、この一見気難しくも真面目で繊細な魔法使いに依頼内容を相談するのをためらったが、「呪い」という一文字を目に映して覚悟を決める。
「あの、賢者の魔法使いあてに送られてきた依頼のひとつなんですが」
言いながら、口に出すより依頼書を見てしまったほうが早いと、さっと手渡せば、ファウストは無言で受け取ってさっと目を走らせていく。
その瞳が細く眇められたのを見て賢者は視線をそっとそらし、ハーブティーを一口飲んだ。
「……はあ。で、この呪いを僕にどうにかしろって? 断る」
だろうなと、賢者は思った。
依頼内容は匿名からのもので、西や中央の一部で男性の体の一部が使えなくなる呪いが広がっているというもので、身も蓋も無い言い方をすれば、呪われて勃たなくなってしまったどうにかしてくれ、という内容だった。
「病気かもしれないだろう。フィガロのところに持っていけばいい」
「それもそうなんですけど。一応、呪いとあったので」
「それに、たぶんそいつらは……」
「……え?」
「それで俺のところに来たの?」
「たらい回しにされちゃったね、賢者様」と愉しげに笑ってフィガロはその依頼の紙をひらひらとさせた。
「んー。まあ、これだけじゃ何とも言えないよね」
「そうなんですよね。でも発生時期が厄災の後にってあったので、念の為」
「俺たちに頼んでくるなんてよっぽど困ってるんだろうけど、頼む相手を間違ってるんじゃないかな」
「、はは」
呆れたように依頼内容に目を通すその姿は、若干の愉快さ加減を差し引けば師弟共々同じ反応だった。
「やっぱり、差し戻しか別の相談先の斡旋でいいですよね。ファウストも何だか、自業自得って言っていたし」
「ファウストが? そう言ってたの?」
「ええ、? はい」
賢者が頷くと、フィガロはいっとき顎に手を当てて何かを考えている様子だったが、不意にぱっと顔を上げてニコッと人好きのする笑みを浮かべた。
賢者が内心身構えているのに気付いているのかいないのか、急にどこかうきうきした様子でフィガロはスタスタと歩きだして部屋の扉を開けようとする。
「え? どこに行くんですか、フィガロ」
「ん? ファウストのところだよ。賢者様も一緒に行く?」
当然といった様子のフィガロに、よく分からないながらも依頼についてというのならと賢者も同行する他無い。
「良かった。俺が行っても扉を開けてくれないからさ。賢者様、よろしくね」
「で、どうして、この男を連れて戻ってきたんだ」
「えっと、すいません……」
低い唸り声のようなファウストの声に賢者は素直に謝ったが、背後のフィガロはにこにこと笑みを浮かべているだけだ。
「やあ、ファウスト。いい夜だね」
「全く良くない。その足を退けろ」
「退けたら閉めちゃうだろ」
「当たり前だ」
しばしの押し問答を挟みつつ、部屋に入れるのを渋ったファウストが譲歩として提案した談話室へと移動して、再度依頼内容について話を始めたのはフィガロからだった。
「ファウスト。きみ、この呪いについて何か知ってるんだろう」
「え、そうなんですか」
「そもそもそれが本当に呪いかどうかが問題なんじゃないか」
「まあ、それもそうだけど。仮に呪いだとして、心当たりがあるなら教えてくれてもいいんじゃない」
どこか確信めいたフィガロの追求に、心底嫌そうな顔でファウストは溜息を吐いた。
「呪い屋をしていると、同業者の話も耳に入ってくる」
組んだ膝に両手を置いて、ファウストは小さく頭を振った。
「その魔女は男嫌いで有名で。前にもそういった呪いの話があれば犯人はその魔女だと言われていた」
「へえ。ファウストはその魔女に会ったことはあるの?」
「無い。男嫌いだと言っただろう」
「ちなみに、呪いを受けたのは人間? 魔法使い?」
「さあね」
「住んでる場所は?」
「詳しくは知らないが。中央と東の間辺りで噂を聞いたことがある。……もういいだろう。僕は寝る」
「え、もう寝ちゃうのかい?」
「何時だと思ってるんだ」
いらいらとしたファウストと窓の外の暗さに、賢者の口からもつい欠伸が飛び出た。
「ほら見ろ。賢者も、続きは明日でもいいんじゃないか」
「ふぁ、そうですね」
「あまり無理はするな」
眼鏡の奥の瞳は厳しいが、優しさ故に心配をかけているのも分かり賢者もその言葉に素直に従うことにした。
ひとり不満げなフィガロの腕を引いて、談話室を出て部屋へと向かう。
「明日、きみも空いてるよね」
「僕は行かないからな」
「どうして?」
「同業者に会いに行くなんて、そんなわざわざ喧嘩を売りに行くような面倒なことはしたくない」
「でも、きみのターゲットを横取りするわけじゃないだろう。君自身がターゲットになることもあり得ないだろうし」
フィガロの笑みを含んだ言い方に賢者はハラハラする。どうしてこの人はこういう物言いをするのかと嘆息し、案の定、階段に足をかけて振り向いたファウストは眉間にひどくシワを寄せていた。
「畑違いだとしても関係ない。お前と出掛けたくないからだ。賢者、おやすみ」
「あ、おやすみなさい」
と言っても、賢者の部屋も上の階なのだが何となくすぐに後を歩きづらくなってしまって、傍らのフィガロを見上げる。
「あーあ、振られちゃった。賢者様はこの依頼を受けるの?」
「え、受ける流れだと思っていました」
「いや、受けるとは言ってないよ。ただ、呪った方に興味があるだけ」
「そうだったんですか」
「受けるかどうかは別として、調査に行ってもいいよ。俺はちょうど手が空いてるし。もし呪いじゃなくて病気が広がっているのなら、大変だしね」
「で、結局ファウストもついてきてくれるんだ」
上機嫌なフィガロと反比例するように、並んで飛ぶ箒の上のファウストはむっつりと黙ったまま眉間の皺を深めていく。
はためく白衣の袖の隙間から、そんなファウストとフィガロのやり取りを賢者はハラハラと見守っていた。
「すいません、ファウスト。無理を言ってしまったみたいで」
「……きみが悪いわけじゃない」
気遣わしげな賢者の視線を遮るように、ファウストは帽子のつばをそっと下げてから、その下から鋭い双眸をフィガロに向ける。
「この男が、余計なことを言わないようにだ」
「余計なこと?」
「人聞きが悪いな。きみ以外に手が空いている魔法使いが、ヒースクリフとリケしかいないって言っただけだろう」
なるほど、と賢者は納得した。呪いかどうかはともかく、症状が症状だ。
年長者か、そういった内容にも動じない相手であればともかく、繊細なヒースクリフと、まだ世の中のことに疎く少し潔癖なところがあるリケという若い魔法使いには依頼の同行は頼みづらい。
現に、賢者も相談する相手に悩んだ。
「そもそも、こんな依頼おまえだけで十分だろう」
イライラとしたようにファウストが吐き捨てれば、フィガロは「ええ?」とおどけたように肩を竦めた。
「でもその魔女が原因なら、男嫌いなんだろう?」
症状からして依頼主はおそらく男で、女性の自分には話しづらいだろうと同行することを迷っていた賢者が、最終的にフィガロの箒に乗っているのはそういう理由だった。
「そんなもの、おまえが女の姿で行けばいいじゃないか」
「そういうこと言う?バレたらどうするの」
「おまえが不能になるだけだ」
何も問題無いとばかりに言い切って、ファウストはふいと前を向いてしまった。
「さすがにひどくない」
「あの、もしその魔女が関わっているのなら、出来るだけ私が話をしに行きますね」
「聞いた? ファウスト。賢者様は優しいね」
「賢者、かばう必要は無いからな」
「はは……」
ファウストの言葉を聞いても、フィガロの声音は軽やかに箒の上を風と共に流れていく。
「まあ、そうだね。本当に魔女だったとして、何があるかわからないところに賢者様だけ行かせたりしないよ」
「だから、安心してね」と、腰元を掴む賢者の手を、大きな手がきゅっと優しく握って離れていった。
「じゃあ、賢者様はここで待っててね」
降り立った街の外れから少し歩いて、依頼主がいるという料理屋の扉の前でフィガロは、まずは依頼主から話を聞くだけだから、とそう言ってさっさと扉を開けて入っていってしまった。
残された賢者が隣に立つファウストを見上げれば、薄いレンズの向こうで紫の瞳がちらとこちらを見下ろした。
「どうした?」
「いや、ファウストは何か分かったりしますか? その、呪いの気配とか」
「ああ、そうだな」
建物の外壁に少し背を預けながら、口元に手を当ててファウストは静かに辺りの気配を探ってみる。
「……いや、ここでは何も感じないな」
しばらくの後に、頭を振って答えるファウストに賢者はそっと詰めていた息を吐いた。
と、同時に店内からガチャン、パリンと立て続けに何かが割れる音が響き、賢者が驚いて肩をはねさせる。
「わっ、フィガロは大丈夫でしょうか」
「……僕が見てくるから、きみはここにいるように」
《サティルクナート・ムルクリード》
ふわりと小さく風が巻き起こって、賢者を包むように淡く光って消えていく。
ファウストは守護の魔法が賢者にしっかりかかっているのを確認してから、店の扉に手をかけたがそれは既のところで届かなかった。
バタン!と大きな音を立てて中から開けられた扉から、ひとりの男が必死の形相で飛び出していく。
《ポッシデオ》
その男を追うように、低い声が店内から発せられる。
「う、わああ、止めてくれっ」
「どうして逃げるかなぁ」
「フィガロ?!」
地面を這うように伸びた観葉植物の蔦が、逃げ出すように駆け出す男の足元を絡め取り地面に縫い付けている。
魔導具の鏡を浮かせたファウストの背中にかばわれた賢者が、店内から同じく魔導具を片手に浮かせて出てきた魔法使いの名前を呼べば、その瞳がちらりと賢者の方を向いた。
「フィガロ、何をしたんだ」
「まだ何もしてないよ」
「おい、まだって」
「許してくれっ!俺が悪かったから!!」
地面に引き倒された男は、そのまま否応なく地面を引きずり戻されて、動かない足の代わりに両手を組みフィガロの足元で跪いて許しを乞い始めた。
青ざめた顔とその尋常ではない様子に、気色ばんだファウストがフィガロの腕に手をかけようとしたが、フィガロはその男を睥睨したまま口元に笑みを浮かべた。
「”本当に”病気になっているなら大変だからね。南の優しいお医者さんが治してやろうかって言っただけ。……ねえ、そうだよね」
「すいませんごめんなさい、嘘なんですっ」
「は? 嘘って」
「そっか、嘘だったんだ」
にこりとその瞳を薄く細めてフィガロは答えたが、足元の男はもうびくっと肩を震わせたあとは丸まって体を縮こめるばかりだった。
「おかしいと思ったんだ。呪いの気配はおろか魔法の気配も無いし」
「すいません、許してください……」
「詳しい話を聞こうと思って、症状について問診を始めたのに」
「……」
「賢者様は、今日は来てないのかって」
「……っ」
「賢者様は一緒じゃないのか、話を直接聞いてほしいって言うから」
足元を見下ろして淡々と話すフィガロに、何が起きたかと上がっていた賢者の心拍数がすうっと下がっていくのが分かった。
「今すぐここで脱いでみせてご覧って言ったんだよね」
「ね?」とフィガロが問いかけるも、相手はもう声も出ない様子で地面に頭をこすりつけている。
可愛らしく小首を傾げて見せているけれど、その実とてもフィガロが怒っているのが手にとるように分かって賢者の背に冷や汗が流れた。
「つまり、この男は」
そんな賢者の耳に、もうひとりの魔法使いから発せられた地を這うような声が届く。
「賢者に嫌がらせをするために、こんなろくでもない依頼を寄越したと……」
「そういうことになるかな」
一瞬、シンと場が静まり返った。息をするのもはばかられるその沈黙は、嵐の前の静けさだった。
「恥を知れっっ!!!」
「いやあ、あのファウストの腹からの声には、何もかも吹き飛んだよね」
人通りから外れていたとはいえ、さすがにあれだけ騒ぎを起こしたのだ。当然のように集まり始めた野次馬にはっとして、賢者は若干険の取れたフィガロに男を解放するよう説得して、渋々解放された男性に謝罪しようとしたが、それは当然のようにファウストによって阻まれた。
「きみは近づくんじゃない」と汚らわしいものを見る目で男の首根っこをつまんで、ファウストがどこかへと連れて行くのを呆然と見送っていれば、いつの間にか横にフィガロが立っていた。
「はあ、無駄足踏んじゃったし、賢者様も災難だったね」
「えっと、私は何も」
結局何もしていないし、言うほど災難に見舞われた気がしない。それは賢者の魔法使いである彼らが、隣に立って守ってくれたからに他ならない。フィガロと、戻ってきたファウストに改めて頭を下げる。
「ありがとうございます。フィガロ、ファウスト」
頭を下げれば、ぽんぽんと軽く頭を撫でられる。
「さて、と。お腹空いちゃったね。ちょうどいい時間だし、なにか食べてから帰ろうか」
「はい!」
「ねえ、仕事終わりってことで一杯飲まない?」
フィガロがくいと杯を傾ける仕草をすれば、誘われたファウストは嫌そうに顰め面を返す。
「帰るまでが仕事だろう」
何を言っているんだ、とすげない返事に、フィガロはこれみよがしにため息を吐いた。
2023.3.8
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