だいたい、そんなに日を置かずに下の宿屋の食堂や俺んとこに「ご飯食べに来たよー」と顔を出すが最近とんとその姿を見せなくなった。
『飯食いに来たって、なぁ・・』
俺はお前の餌やり係でも何でも無いっての。
そう呆れて言ってやってもどこ吹く風。
食材は買ってきたからよろしくと押し付けられ、食費は浮くがなんだかなと微妙な顔で受け取る俺にとどめの一言。
デザートも買ってあるよ、と。
そうして毎度流されては、調理場を借りて作って部屋で一緒に食べるとかいう、傍から見ても謎な関係を築いてしまっていたのだが。
「ちょっとユーリ」
「・・ん?」
ん、じゃ無いだろと頭を叩かれる。
少し・・・というか勢いのついたそれについ後頭部をさすりながら、腰に手を当てて仁王立ちをしている箒星の女将さんを見上げた。
「あの子、最近見かけないけど・・ユーリは知ってるのかい?」
「・・・・・」
まさに今考えていた相手の話に、無言で首を横に振った。
そんな俺の態度に何を思ったのか、腰に当てていた片手を頬にあてて女将さんはため息を吐く。
「あんたがそんなんだから、全く・・・ちゃんと食べているのか、心配だよ・・」
「俺は、別に何も・・」
何でそんなあんたが悪いみたいな顔で見られなければならないのか。
そもそも、何もしていないし、特にこれという関係性も無い。
だというのに、言い淀んだ俺を見る女将さんの目がすっと細くなる・・・、何でだ。
「もっとちゃんとしっかりおしよ!食わせてもらってたってのに、音沙汰無くなったら心配も無しに知らんぷりかい」
言うだけ言って、食べ終わった皿を引ったくるように持って女将さんは戻っていってしまった。
心配、してないわけじゃねえんだけど・・・。
どうしてるのかと思うこともあれど、そこはお互い成人してるからという気持ちもあった。
住んでる場所も知っていたが、訪ねに行く程の理由も無くて。
いつも、向こうから押しかけてくるもんだから。
・・・それに甘えてたのかも、しれねえな。
溜息ひとつ、吐いて席を立つ。
怒った女将さんはこちらを見向きもしないので食堂を出ながら、ごちそうさん、とだけ言う。
それに、やっぱ女将さんの料理はお袋の味だわごちそうさま!と笑顔で続く声は無く。
夜の闇に沈んでいく、下町の坂を更に下って行った。
扉の前で、ふと立ち止まる。
一人暮らしの女の部屋を訪ねに来る時間じゃ無かったと今更ながらに気が付く。
それと同時に、俺達の関係ってやつを脳内で再度おさらいする。
下町の顔見知りで飯食う仲で、でも食費はあいつ持ちなことがほとんどで・・・。
食わせてもらってたっていうのに!と憤慨する女将さんのさっきの言葉に、情けねえとは思いながら何も反論出来ない。
「・・・・・」
ヒモ、じゃねえよな。
いやいやそれは違うよな、と首を振る。
お互い成人していて、でも全くもって所謂そういう関係では無い。
相手も食べ終われば、ごちそうさまと言ってさっさと帰っていく。
そういう雰囲気にすらならなかった。
・・不思議といっても、いいくらいに。
「・・・・・・」
そこまで考えて、扉にかけようとして中途半端に上げかけていた手を下ろす。
もしかしたら、彼氏がいて今はもうそいつと美味い飯でも食ってるのかもしれない。
この部屋だって、向こうが一人暮らしだと言っていただけで、もしかしたらそうでは無いかもしれない。
開けたら、他の奴がいるってことも・・・。
「・・・・・・・っ」
知らず握っていた拳に頭の中の妙に冷静な部分が、何を苛立っているんだ?、と問い掛ける。
お互いそんな関係では無かったし、それに不満も何も無かったわけで。
今、何故か腹立たしく思う自分が分からない。
思えば俺、あいつのこと何も知らねえ・・・。
普段どこで何してんだか。
その毎度いろいろ持ってくる材料費とか、食費はどっから出てるのか。
働いてるのか?なら、何処で・・?
何も知らない自分に自嘲する。
「・・帰っか・・」
そう踵を返しかけた瞬間だった。
ガタッ、ガチャンと。
重たい物音とガラスか何かが割れたような音が聞こえて思わず息を潜めて中の様子を窺う。
それっきり、何の音も聞こえない。
変に静かな家の様子に不審に思って、握った拳で扉を軽く叩く。
「・・おい、?・・・いねーのか?おーい・・・、・・っ」
シーンと静かな室内に訳も分からない焦燥感にかられて再度振り上げた拳を叩き付ける前に、小さな小さな声が聞こえた。
「・・ユー、リ・・?」
思わず扉に耳を押し付けてしまった。
「おい、いるならちゃんと返事しろ。・・何かすげぇ音したけど大丈夫なのかよ」
「・・・・・」
「おい、聞いてんのかよっ」
下りる沈黙に、焦りが不安に変わる。
今にも扉を開けようとするこちらを見ているかのように、再度名前が呼ばれた。
「ユーリ・・折角、来てくれたのに、・・ごめん」
・・帰って。
静かな、闇に紛れて消えてしまいそうなか細い声が、それでもハッキリと耳に届く。
いつものそいつとは思えないくらい弱々しい声に、覚悟を決めた。
バタンッ
まさかなと思いつつ回ったノブを力任せに開け放つ。
大きな音を立てたそれに、信じられないと言った顔ではこっちを呆然と見ていた。
椅子に縋り付くように床に座り込んだまま。
「っ!!?何があった!!」
「ユ、ユーリ・・」
慌てて部屋の中に踏み込んでその肩を揺する。
戸惑うようにこちらを見上げた顔のあまりの青白さに思わず舌打ちをすれば、抱えた肩がびくりと強張った。
無言でその背と膝裏に手を滑り込ませて持ち上げる。
「!?ユーリ、下ろしてっ」
暴れようとするの体を落とさないように、抱える腕に力を込めて胸元に引き寄せる。
途端に目がうろうろと落ち着きが無くなった。
「ベッドは?」
「は・・!!?へっ?!」
真っ赤になるそんな顔は初めて見たなと見下ろしながら思う。
「場所」
再度聞けどもうろたえたように口ごもる相手にしびれを切らし、そのままうろついて少し開いていた奥へと続く扉をくぐる。
軽かった。
怖いくらいに軽い身体と、所在無さげにこちらを困ったように見上げるその顔の生気の無さ。
ちょっと乱暴に足で扉を開け放って、見えたベッドの上にそっと下ろす。
「ユ、ユ・・ユー・・」
「なんだよ」
下ろした途端に跳ね起きようとする相手の肩を押さえ込めば、どうして良いか分からないといった混乱をそのまま泣きそうな顔をされる。
少し、ほんの少しだけ、いたずらしたくなった。
肩を腕で抑えつつ、伸ばした手でそっと頬を撫でて前髪を梳く。
「っっ!!」
ギュッと目をつむる相手を見下ろしつつ、うっかりキスしたくなる衝動をなんとか抑えた。
ここで目をつむったら、やられちまってもおかしくねーぞ、という言葉は心の中に閉まっておく。
「なぁ・・・何かあったのか」
頬に手を添えたまま努めて声音を静かなものにすれば、そっとその瞼が開く。
「急に顔出さなくなっちまったから心配してんだよ、箒星の女将さんも・・・俺も」
迷った末に付け加えれば、こちらを見上げる目が少し丸くなった。
・・心外だな。
「何だよ、俺が心配しちゃ悪いのか?」
ついむっとした声になってしまえば、丸くなった瞳をそのままに慌てたように首を振る。
「う、ううんまさか・・・いや違くって、・・えっと、その嬉しいなって」
しどろもどろに答えながら泳ぐ目を無言で見つめていれば、最終的にそれは困ったように逸らされてしまう。
・・・何だよ、調子狂う・・。
つられてしまいそうな頬の表情筋を何とか引き締めて、真剣な顔で見下ろす。
「んで」
「・・・え?」
え、じゃないだろ・・と呆れて溜息を吐く。
気付いてて分からない振りをしているなら大したもんだが、おそらくこれは違うだろう。
「何が、あったんだ」
殊更ゆっくりと聞けば、言いたく無いのか視線を反らしたまま言い淀む。
「言えよ」
でもこっちだって、今さら引く気は無い。
ここまで来ちまったら聞かずに帰るなんて出来やしない。
「言わねえなら・・そうだな、話す気になるまで添い寝でもしてやるよ」
「やっいいです遠慮します!」
「 に拒否権なんざあるわけ無いだろ」
「!!!」
一歩も譲る気は無いと言外に告げれば、瞠目して固まるそいつの体をベッドの奥に押しやって空いたスペースに乗り上げる。
ハッとしたようにこちらを見て慌てて押し戻そうとする両手を、簡単に捕えて両手首をひとまとめにして頭上に縫い付ける。
「ユ、ユーリ・・・」
「ほっそい手首だな・・」
力を込め間違えればいともたやすく折れてしまいそうな手首を見る。
こんなに弱ってるなんて、思いも寄らなかった。
・・・もっと早くに、様子を見に来るべきだった。
こみ上げてきた色んなものを、飲み込む。
「・・・お前、どっか悪いのか」
「だ、大丈夫・・」
「な、わけねーだろ。・・こんな青い顔しやがって」
額から頬にかけて手を滑らせつつ、視線を外さぬまま言外に吐けと伝えれば瞳が揺れる。
諦めたように閉じられる瞼と、小さく息を吐く の顔をじっと見下ろす。
夜の淡い光の中で、白い顔がくしゃりと歪んだ。
「ちょっと・・ちょっとね」
「・・・ん」
「体の調子が悪いんだ」
・・って見りゃ分かるか、と普段通りにおどけてみせるように笑って、でもそれは妙に不器用な笑みで。
「ユーリのご飯も、女将さんのご飯もすっごく美味しくて」
「・・・・・」
「食べたいの。食べに行きたいなって、ずっと思ってて・・・でも」
の手首を捕えていた手から力を抜けば、するりと抜け出た片腕が目元を隠すようにその顔を覆う。
声が弱弱しく萎んでいく。
宥めるように、労わるようにその髪を梳けば、その体は小さく震えた。
「食べてもね、駄目なの」
「・・・・どういうことだ?」
「お腹空いたって言うくせに、食べるとね、やっぱいらないって・・すぐに捨てようとするの。私のお腹、我がままになっちゃった」
腕の下に覗く口元が笑みの形を象るも、声は小さく震えている。
無言でその言葉を聞く。
つまり、腹の調子が悪いってことなんだろうか。
端的に言えばそうなんだろうけど、彼女の弱りようからしてそんなに簡単な話じゃないのかもしれない。
・・・それでも、だ。
「・・んで、ろくなもん食ってねえってことか?」
コクリと小さく頷く。
そんで、こんなになっちまってんのか。
何やってんだよと言いそうになる口をいったん閉ざす。
「・・・・言えよ」
そうならそうって、言えよ。
知らねえとこで、・・こんな一人きりで弱ってんじゃねえよ。
「・・・やだ」
そんなこと、言えないよと、往生際の悪い声が零す。
その腕を強引に持ち上げて、逃げようと彷徨わせる視線を捕える。
「やだ、じゃねえだろ」
「でも、だって・・そんなの悪い。・・ユーリにも、女将さんにも・・・」
食べても駄目にしちゃうような、そんなんじゃ、悪い。
吐息交じりにポツリと吐かれた弱音に溜息を吐いて、その目の端に浮かぶ滴をそっと指先で拭った。
「急に音沙汰無くなって、心配かける方が悪い」
「・・・・ごめん」
「取りあえず、何か適当に作ってやっから。・・台所借りんぞ」
びっくりしたように瞬きを繰り返すその額を軽く叩いて、大人しくしてろと言い渡す。
何かを言いたそうにこちらを見ながらも、大人しく布団を軽く被ったその頭をそっと撫でて部屋を出た。
「・・・・ほんと、ろくなもんがねえな」
冷蔵庫を覗いてひとりごちる。
どうやって暮らしてたんだと思うほど、開いた扉の中はスカスカだった。
来た時に聞こえた物音は、何か飲もうとしてコップを落とした音のようだった。
床に散らばるそれを片付けてから、さて何を作るかと考える。
材料があまり無い。
しばし考えてから牛乳とハムを取り出して並べる。
棚の籠に入っているパンと、そして調理台の中を漁る。
塩と胡椒と、残り少ないコンソメ。
まあ、こんなもんだなと袖を捲った。
「・・わぁ」
ほかほかと湯気を上げる皿を前に、 が目を輝かさせる。
久しぶりに見たそんな顔についそっぽを向いてしまうも、こちらを見上げるその期待に満ちた目に負けて視線を戻しつつ追い払うように手を振る。
「良いから、冷めないうちにさっさと食え」
「うん、うんいただきます」
簡素なスープにこんがり焼いたパンを浸して、そっと口に運ぶ。
その顔がほころぶのを横目で見つつ、ほっと息をついた。
「・・おいしい」
「・・・・なら、良かった」
「・・もうね、食べられないかなって・・思ってたんだ」
「・・・・・」
ゆっくりゆっくり食べながら、そっと話し出す の顔を、行儀悪くも椅子に横座りして机に頬杖をついて眺める。
「というか、ね。食べるってことを、諦めちゃいそうな気分だったんだ」
「・・・そりゃ、随分だな」
食べずにどうやって生きていくつもりだったんだよ、と呆れた目を向ければ、そうだよねと笑う。
「もういっそ、霞とか食べて生きていければ良いのにな、とか思ってたんだけど」
「・・・そんな奴いんのかよ」
「どっか遠い国のセンニンって人はそうやって生きてるらしいよ」
「へぇ・・・」
そんなんで生きてけんなら食べるもんには苦労しなくて良いだろうなと、食うもんにも困ることが少なくない下町の奴らを思い浮かべる。
かくいう俺だって、食べるもんが無い絶望を味わったことがある。
霞を食べる・・か。
「でも」
「・・・ん?」
不意に食べる手を止めて、 が真っ直ぐ顔を上げてこちらを見る。
真剣な瞳が真っ直ぐにこちらを見ていて、ドキリとした。
「やっぱり美味しいもの、食べたいなぁ」
ふわっと破顔したその表情に、目を奪われながらもかくんと頬が手から滑り落ちた。
「・・・そうかよ」
「うん」
その緩んだ顔からそっと視線を外す。
「・・ま、美味いもんが食べられるに越したことはねえな」
「うん!」
幸せだと満面の笑みでスプーンを口に運ぶその顔に、思わず脱力した。
「んじゃ、それさっさと食って医者にでも行くか」
「・・・えー」
えー、じゃねえだろと向かいに座る相手を睨みつける。
「美味いもん、食いたいんだろ?」
「・・・そうだけど」
そこで、何で嫌がるんだ。
「いや、もう良い時間だなーと思って」
窓の外の真っ暗闇をちらと見て、言い訳のように言う。
「そうだな。んじゃ明日、朝いちで行くぞ」
「ぇえー・・って・・え?」
「何だよ」
「行くって・・・え?ユーリも?」
「何か文句でも?」
「いやいや、ユーリに一緒についてきてもらわなくても・・」
子どもじゃないし、一人で行けるよ大丈夫だよと慌てたように手を振る相手に、にやりと笑い返す。
「また一人、どっかで倒れられても困るんでな」
「だ、大丈夫」
「心配だから、ちゃんと付き添ってやるって」
「え、結構です」
何故かきっぱりと言われた言葉に、内心むっとする。
「ご、ごちそう様!美味しかったよユーリ」
「・・・・・」
「明日!明日、ちゃんと診てもらうからさ」
立ち上がりながら空の皿を重ねて持ち上げ、少し焦ったように言う相手を小首を傾げて見上げる。
「ちゃんと食ったな・・?」
「え・・うん・・?」
こちらの様子に何かを感じ取ったのか、戸惑ったように返す相手の手から皿を奪い取ってテーブルの上に戻す。
「え、・・・ユーリ?」
「んじゃ、寝るか」
「・・・へ?」
動作を停止させた相手をひょいっと担いで、ベッドの上に下す。
慌てて逃げ出そうとする体を捕まえて難なく抑え込み、腕の中に囲い込んだ。
焦ったように名前を呼んで、逃げ出そうともがくその真っ赤な顔を覗き込む。
「・・・何もしねーよ」
「ユーリっ!!!」
「・・本当に。何もしねーから、さっさと寝ろって」
そういって額にそっと唇を寄せれば、真っ赤な顔は更に真っ赤になった。
ついで、ずっと冷たいと思っていた体が急にほかほかとしてくる。
「っ!う、嘘つき!」
「・・これ以上は」
お前が大人しくしてんなら、と告げればピタリと動きを止める。
思わず笑えば、じっとりと睨みつけられた。
そんな目にさえ煽られそうな気持ちを、理性で押しとどめて背中をそっと撫でる。
「・・・寝ちまえ」
囁いて、自分も目を閉じる。
諦めて大人しくなった体が、ほんわりとぬくもりを帯びて腕の中に収まる。
・・・・、なんだかな。
目を閉じたまま、その温かさを感じつつ心の中で一人ごちる。
これといった関係性も無く、あえて名前を付けるなら飯食う仲ってだけで。
それ以上の関係を持つ気にも、持ちたいとすら思いもしなかったってのに。
何やってんだろうなと思いながらも、今の状態に思いもよらず満足感を感じていることに、自分でも首を傾げそうになる。
満足感・・・、充足感だろうか。
思いがけない満ち足りた気分に、気付いて無かっただけで人肌に飢えてたんだろうかと他人事のように思いつつ囲う腕を更に相手に絡めた。
◆アトガキ
2014.9.13
ふっと思い浮かんで、でもこんなに長くなる予定では無く遊覧飛行blogにでも載せる程度の気分でいましたが、打ってたらどんどん長くなってしまいました。
いい加減、適度に文章をまとめられる術を持ちたいです。
でも、名前呼ばせたかったから変換できるこっちにして良かったかなとも。
弱ってる主人公にぐらっときて、思いがけず捕まえちゃって、それで何だか幸せそうなユーリさんです。
お互いそんな気は全く無かったのに、どっちが捕まえられちゃったのかみたいなそんな始まりも良いなと思います。
background by web*citron