思い出には収まりきらない



「あっ」

間近で聞こえたその声に、ん?と思う間もなく視界がカクンと揺れた。
びっくりして掴まれた腕とこちらを掴んでいる手を目線で辿ってその持ち主の顔を見る。
目が合った瞬間、相手はビクッとしながら掴んでいた手を離す。
何故かもう片方の手も挙げて、いわゆるホールドアップ状態だ。
そのまま何故か焦ったようにわたわたと視線をさ迷わせ、そして少ししてちょっと赤くなった顔をこちらにそろりと向けた。
その謎な反応に階段を上がりかけた段の上から、そろっと窺うように見上げてくる男性をまじまじと見てしまう。

・・・ん?この目、この顔どっかで・・

「あっ、えっとちゃん・・・よね?」

遠慮がちに確かめるように名を呼ぶ彼。
その声と呼び方を耳にしてようやく思い出した。
じっと見てしまったことで、ちょっと引き攣った顔をしながらもおすおずと聞いてきたその男性は確か・・・。

「あ、れ・・レイヴンさん??」

こちらも若干自信が無いながらも思い浮かんだ名を呼び返せば、その顔はパァアと花が咲くように緩まった。

「そう!そうそう!!嬉しいわぁ、覚えていてくれたのねー」

「こちらこそ!すぐに気付かずすいませんでしたっ」

慌てて段を下りて向かい合う。

「こっちこそいきなり掴んじゃってごめんね。いやぁ、ちゃんかなって思ったら、つい」

そう言ってにこにこと笑う相手の意外と綺麗な肩くらいのサラサラの髪を見ながら思い出したのは、いつもぼさぼさっとした髪をこれまた適当に一つ括りにしていた姿だった。
本当に久しぶりだ。
レイヴンさんは私の通っていた大学の先輩。
とは言え私が入学した時にはすでに院生をやっていたから大分年上だろうに、ゼミにひょっこり顔をだしてはお菓子をくれたり面白い話をしてくれたり、果ては人生相談も引き受けたりと実に面倒見の良い先輩だった。
そんなだからゼミ生にはもちろん事務の人や食堂のおばちゃん、構内の至るところに顔の広い人だった。
そんな先輩が自分のことを覚えていて、わざわざ呼び止めてくれるなんて…何だかこそばゆいというか。

「本当にお久しぶりです!」

結構嬉しい。
しかもいつもだらっとボサッとしていた姿ばっかり見ていたためか、今のように髪もきちんとしていてよれていないシャツやパンツをさらっと着こなしているのを見ると、実は先輩はかっこよかったのかと思ってしまうほど。
うーん、意外な真実だ。

「あらー、もしかしてちゃんってば…ちょっと俺様に見とれちゃってる?」

「・・・・」

そうだった、こういう風にからかう人でもあった。
でもこのちょっとオネエみたいな口調が警戒心を無くさせるのだ。
懐かしい。

「・・そうですね」

「・・・えっ・・」

途端にきらりと嬉しそうな顔をした先輩を上から下までちらりと見て。

「ホストかバーのマスターって感じです」

ちょっと胡散臭いです、とにっこりと付け加える。
途端にレイヴンはがっくりと肩を落とした。
そんな様子をくすくす笑って見ていたら、ひとつ溜め息をついた後にレイヴンさんは顔を上げる。

「ね、ちゃん」

「・・、はい?」

「この後何か用事ある?」

不意にかけられた問いに、柔らかな緑色の瞳を見返しながら考える。
仕事終わりで乗り換える途中だったことと、今日は本屋に寄って発売したばかりの雑誌の最新号を買って帰ろうとしていたことを思い出した。
でもそれは別に明日でも構わない、そんなにすぐに売り切れるものでは無いから。

「いいえ。今帰るところだったので」

首を振ってこの後は特に用は無いと伝えれば、レイヴンさんの顔はまた嬉しそうに綻んで。

「じゃあー・・・」
「あれ、・・・?」

「あ?」

何か言おうとしたレイヴンさんの声を遮るように、誰かの驚いた声が被さった。
思わず声が聞こえた方、自分が上がりかけていた階段の先を見上げる。
ちょうどこちらに向かって下りて来る途中といった様子の二人組が目に入る。
その内の片方、金髪に碧い目の男性が立ち止まってこちらを見ていて、その連れであろう綺麗な長い黒髪を軽く結わいた細身の女性が降りかけた足を止めて、連れの男性の顔とそしてこちらを見下ろした。
ん・・・、こんな色合いの二人組どこかで見たような気がするが、こんな美男美女カップルの知り合いはいない。
それでも何か記憶の片隅に引っかかるその金髪と黒髪の二人組というキーワードに首を捻りながら、二人を見上げていれば不意に黒髪を揺らして細身の女性がスタスタと階段を下りてきた。
わー、背が高いし腰も細いし・・モデルさん?

「・・・・・、おい」

「わー・・・、ぇ?」

ほう、と近くに立てば背の高さから見下ろされて何故かそのまままじまじと見られて、思わず後ずさってしまう。
トンと背中に何かが当たって、支えるように添えられた手に後ろに立っているであろうレイヴンさんに謝ろうと振り返ろうとした瞬間、腕を掴まれる。
へ、と掴んだ相手を見上げる。

「いっ・・?!」

「・・・・・」

正面に向き直れば、危うく頭突きをかますような近さに相手の顔が合って、思わず顔が引きつった。
いや、美人さんド迫力ですけど、何でそんな顔・・・近すぎ!!

「あっ、あの・・え・・・なんです・・」

「・・・いや、てか・・・」

「おいっ、ユーリ!!」

「!ぐぇっ・・ちょ、おい襟首掴むな、って」

瞳を覗き込むような距離に、あれこの人って瞳は黒じゃなくて綺麗な紫だな・・と思っていればタタタッと階段を急いで降りてきた連れの金髪の男性がベリッと引き離してくれた。
良かったー、やっと息が吸えるよ・・って、え。

「え、今・・え、ユーリ?」

「けほっ・・、・・ぁあ」

だよね、こんなところで会えるなんて思わなかったよ。本当に、久しぶりだね」

「じゃ、え・・フレン?!」

わぁわぁ、久しぶりとはしゃぎだす私とフレンを、咳き込みながら見ているユーリがチラとこちらの背後に視線を送った。
そのことで、背後の先輩を完全に置いてけぼりにしていたことを思い出す。
ついでに軽く寄りかかったままだった姿勢を、はっとして元に戻した。

「あ、先輩すいません」

「いーのいいの。役得って、ね」

「?」

「んで、。その胡散臭いおっさん、誰だ?」

若干低めの声とジト目で、やっと何だか懐かしいユーリらしさを思い出す。

「こちら大学の先輩でレイヴンさん。・・先輩、こちらユーリとフレン、高校時代の同級生なんです」

いやー、今日は何か懐かしい顔ぶれに出会える日だな、としみじみと再会を噛みしめていれば伸びてきた手にくっと引っ張られる。
手首を掴む大きな手は、ユーリのものだ。

「で、レイヴンさんとやらは、に何の用なんだよ」

「何なにー。青年?後からきて横取りは良くないわよー」

肩にポンと置かれた手と、背後の先輩を見上げる。

「その喋り方、ますます胡散臭いな」

「そっちこそ、綺麗なお顔が台無し」

「黙れホスト」

「それはこっちの台詞」

「・・え、え?」

急に始まった頭上の言い合いに、全くついて行けずに二人の顔を交互に見上げる。
初対面とは思えない言葉のやり取りに、もしかして知り合いとかだったのかなと最早他人事のように傍観していれば、横に立った新たな影と共に手首からユーリの手と肩からは置かれていた先輩の手が外された。

「いい加減にしないか、ユーリ。こんな道端で言い合いなんて」

「・・フレン」

「すいません、えっとレイヴンさん?」

「・・・・・いいえー」

言いながらちらと見合った二人の間に謎の沈黙が流れて首を傾げれば、ふと綺麗な青い瞳がこちらを見た。

「ごめんね、。折角久しぶりに会えたのに」

ユーリってば、相変わらずだろう?と困ったように笑いながら頭をぽんぽんと撫でてくるのはあの頃のフレンのままで、その手の平に思わず頬をが緩む。
どうやらフレンのお兄ちゃん体質も相変わらずのようだ。
そして、頭を撫でられるのが好きな私も、相変わらず。

「へへっ」

が元気そうで良かったよ。あ、そうだ折角だからメールアドレス交換してもいいかな?」

「あ、待ってね。携帯出す・・って、どうしたのユーリ」

「・・・・・」

「・・・・・」

「あ、ごめんなさい、先輩、もうちょっと待ってもらっても良いですか?」

鞄の中から携帯を探すのに手間取りつつ、何か苦虫を噛み潰したような顔をしているユーリとそんなユーリをチラ見している先輩に一言声をかける。
大丈夫だと、頷き返す先輩の方をフレンがまたちらと見た。

「?・・二人はこの後どこか行くのかい?」

「え?・・・あ、先輩?」

どこかに行く用事でした?と聞けば、先輩は顎に手を当ててちらと腕時計を見た。

「お茶でも・・って思ってたけど、もう良い時間だしご飯でもいいかなーって」

「あ、良いですね。私もお腹空いてきちゃいました」

思えば今日は忙しくてお昼は少なめで済ませてしまっていたから、帰りに何か食べたいなと思いながら歩いていたんだった。
ぐうと鳴ってしまいそうなお腹を押さえて、やっとみつけた携帯でフレンとメールアドレスの交換をするために携帯をいじれば画面に影がかかった。

「ユーリ、暗い」

フレンの肩口から覗き込んでくるユーリによって光が遮られる。

「後でにしよーぜ。俺も腹減ったし」

「ぇ?」

「なあにー、青年。俺はお二人さんを誘った覚えはないわよ?」

いつの間に二人も付いてくる話になっていたのかと思えば、先輩が不満そうに抗議をする。
見上げた先のユーリはしれっとした顔で、誘われた覚えはねえよと返している。

「・・、でもそうだね」

「?フレン?」

「レイヴンさん、良ければ僕たちもご一緒しちゃ駄目ですか?」

こちらに向けて少し屈んでいた背を真っ直ぐに伸ばしてそう言うフレンも高校生の時より大分背が伸びて、先輩の方を見ているその表情は近い距離にいる今、下からだと良く見えない。
二人とも背は高かったけど、更に伸びているなんてずるいし不公平だ。
せめて私も160は欲しかったなあと影が出来る自分の背丈に溜息を吐く。
それに被さるように、先輩の溜息が降ってきた。

「・・・・はぁ。そう真っ直ぐに言われちゃうとねー・・・いーい?」

急にぽんと背中を叩く軽い衝撃にぽへっと上を見上げれば、苦笑した先輩の顔と柔らかく笑うフレンの顔、その後ろの方で明後日の方向を見て頭の上で手を組むユーリの姿が見えた。

「もう、こんなんだと心配だわ」

「本当に。は相変わらずだね」

「え?・・、もう何ですか??ご飯、一緒に食べることになったんですか??」

そう聞けば、視線を合わせた二人は更に苦笑する。

「はいはい。もー、負けました。・・・そうそう、一緒にご飯することになったのよ」

は何が食べたい?」
にこにこと聞いてくるフレンに、うーんと考える。

「フレンはお肉好きだったよね・・じゃあ焼肉?」

「覚えていてくれたんだ。確かにそれは好きだけど、今日はの好きなものにしようよ」

「あ、じゃあちゃん、女の子に人気だけど安めの居酒屋が近くにあるのよ。それでいいかしら?」

「・・・、おっさん・・」

「何よユーリくん、怖い顔して」

「あ、居酒屋、私好きです」

そこでお願いします、と言えば、先輩は了解と笑顔を返し、その隣のユーリはこちらを向いていたその瞳を少し見開いたのち、細く眇めてちょっと怖い顔をした。
え、何だろう・・・。

「・・、酒飲めんの?」

「え、ちょっと・・なら」

「女の子向けの甘めのカクテルとか、お酒の種類がいっぱいあるのよ、そこ」

「あ、甘めだって!ユーリ甘いもの好きだったよね?」

「・・・・、ったく」

へーえとからかう笑みで先輩がユーリのことを見て、ユーリはそっぽを向いた。
甘いもの好きだって、言っちゃいけなかったのかな?
何だか少し機嫌の悪い様子のユーリの背中を見ながら、じゃ、行きましょ、と歩き出す先輩の後を追おうとすれば、フレンがそっと耳打ちをしてきた。

「・・ユーリも、甘めの酒ばっか呑んでるんだよ」

行こうか、と促すように肩を叩くフレンの笑顔に、なら問題ないかな?と頷いて歩き出した。




「あ、これがいいんでない?」

「あ、確かに美味しそうですね・・でもこっちとどっちにしよう・・迷っちゃいます」

「好きな方にしなさんな。・・でもそうね、向かいの青年ズがたくさん食べそうだからどっちも頼んじゃう?」

「え、でも・・そんな・・」

「・・・・早くしろよ」

先輩と二人であっちは、これは、と指をさしてメニューを覗き込んでいれば、にゅっと伸びてきた指がくいっとメニューを下げてきた。
覗く顔は、前の席に座っているユーリのもので。
腹が減ってるんだけど、と書いてありそうな顔が険しい。
・・・またというかまだ、何か怒ってるような気がする。
急いで、口を噤んでメニューに視線を戻す。

「え、えっと取りあえずこの豆腐のサラダで」

「チョレギサラダはいーの?」

「また、後で頼みたくなったら言います」

早く決めないと向かいからデコピンが飛んできそうで怖い。
学生時代、学食のパンの種類などで迷っている時によくされたものだ。
あれは、本当に痛い。
思い出しながら思わずおでこを擦れば、ポコンと頭を軽く握った拳で叩かれた。

「ほれ、決まったんなら呼ぶぞ」

「うん、お願い」

ユーリが呆れた顔で握った拳を解いて、店員を呼ぶボタンをポチと押す。
ピンポンとどこか遠くで音がして、はぁーいと声が聞こえて暫く伝票を持って店員がやってきた。

「ビール2つと、カルーアミルクと・・・」

「あ、私はカシスオレンジで」

「・・えっと、軟骨のから揚げと揚げ出し豆腐、枝豆と厚揚げの煮物・・・」

「後、豆腐のサラダ、お願いね」

女性の店員さんに最後に先輩が声をかけて、ニコリと笑う。
それに店員さんもにこっと笑い返しながら注文を復唱して去っていった。
フレンが広げていたメニューを閉じてテーブルの端に仕舞う。

「それにしても、本当に久しぶりだね。・・・5年ぶり・・くらいかな?」

「高校卒業して、成人式で会って以来かな?」

「成人式かぁ・・ちゃん、お着物着たの?」

「着ましたよー。折角だからって」

「何色にしたの?見たかったなー、ちゃんの着物姿」

ちょっと拗ねたような先輩に、そんな見せるもんじゃ無いですよと返せば、ブーブーとむくれてみせる。
きちっとした格好でそんなことしても、可愛いだけだと笑う。

「確か、淡い水色だったよね」

「うん。さすがに赤やピンクはどうかなーと思って」

「何言ってるの、赤やピンクもいけるでしょ」

「いやぁ、そういうのはもっと似合う子がいたんですよ!」

エステルのことを思い出して、久しぶりにメールを送ろうかなと思っていれば。

にもきっと似合ってただろうけど、水色の着物姿もとっても素敵だったよ」

「や、フレンはもうそういうことサラリと言うんだから」

本当なのにな、と笑うフレンは天然のたらしだと思う。
そんなフレンはきちっと黒い袴姿をしていて、金髪が少し浮いていたけれどとても格好良かったのを思い出す。
そしてそんなフレンの隣にいたはずのユーリはといえば。

「・・・何で、ユーリは袴着なかったの??絶対似合ったのに」

言えば、嫌そうに視線を少しずらす。

「あんな息苦しそうなもん、着てられるかよ」

面倒くさかったんだよ、というユーリは無難にスーツを着こなしていた。
それも格好良くないわけが無かったのだけど、式が始まる前にすでに首元を緩めていたユーリを叱るフレンとのやり取りも同時に思い出して笑ってしまった。

「・・なんだよ、人の顔見てニヤニヤしやがって」

「んにっ」

すっと伸びてきた手に逃げ切れず、頬を軽く摘ままれる。
そのまま軽く引っ張ったりつついたりとやりたい放題なユーリのからかう顔に、ムッとして手を伸ばし返した。

「ん、なんだやんのか・・って、イテッ・・おいこらっ」

「んーりが、あるいっ」

「何言ってんだかわかんねえって、こら髪の毛離せ!」

「ほっちが、あきっ!」

「こら、ユーリ」

お返しとばかりに長い髪の毛を掴んでぐっと引っ張れば、ユーリの顔が痛みに歪む。
頬を摘まむ手首とユーリの髪をひっつかんでこっちを睨むユーリを睨み返し、お互い引かない攻防戦を繰り広げていればユーリの隣から、フレンのお叱りが飛んだ。
ついで後頭部をどつかれたユーリがテーブルに顔をぶつけそうになって、慌ててこちらから手を離す。

、大丈夫?」

赤くなってると言いながら伸びてきた手が、頬を労わるように撫でる。
指先で撫でられてくすぐったさに小さく笑えば、フレンも何だか困ったように笑う。

「大丈夫、フレンありがとう」

乗り出したフレンの下で、むすっとした顔のユーリが顔を少し動かす。
緩んだ手の中から、ユーリの長くて艶やかな黒髪がさらりとすり抜けていった。

「うーん・・羨ましさを通り越して憎たらしい」

テーブルに手をついてじっとりとフレンを睨んでいたユーリが、こちらに顔を向ける。

「何がだよ・・」

「髪の毛サラサラのつやつやで・・・むかつくなあ」

「・・はあ?」

訳が分からないという顔をするユーリに、そう言えばと続ける。

「今日だって、最初階段下りてきたときモデルのお姉さんだと思ったくらいだし」

「・・・は」

ぷっと横で聞こえた音に、ギロリとユーリが睨みつける。

「フレンと二人で、カップルかと思ったくらいだよ」

「っぷ、く・はははっ・・僕が?ユーリと??っふ・・」

笑い出すフレンの頭を伸ばした手でユーリがバシッと叩くも、尚もフレンはあり得ないね!と笑い続けている。
隣でも先輩が笑いをこらえているが。

「そっちの肩揺らしてるおっさん、後で覚えておけよ」

「え?いやー・・うん、うん・・・っふ・・」

顔を手で押さえて先輩は実に楽しそうだ。
つられて笑いそうになる私に、冷水を被せるがごとくに低い声がかかる。

?・・・お前も、な」

「え、えー・・やだなー怖いよ、ユーリ」

冗談だよと軽く笑って返せば、今まで見たことが無いような深みのある笑みが返ってきた。

「・・覚えとけよ・・?」

やばい、本気で謝った方がいいかもしれない。
笑顔が引きつってるのを自覚しつつ、どうしようか迷っている間にやってきたお酒とおつまみで、結局私は謝るタイミングを逃してしまった。




「あ、この煮物美味しい」

「でしょでしょ。ここってチェーン店なんだけど、店舗ごとにしっかり味作ってあってどこの店も美味しいのよ」

「確かに店の名前は結構見る気がするが・・」

「でも、入ったことは無かったね」

だな、と言って箸を進める二人は、やっぱり普段から結構会ったりしてるようだ。

「お二人さん、本当に仲がいいのねー」

今でも二人が仲が良いことに何だかうれしい気持ちになっていれば、先輩がさっきのことを持ち出してからかう。
そしてユーリが睨み返すのも、今日何度目だろうか。

「そ、そうだよね。二人とも確か幼馴染だもんね」

小学校からだっけ、と話をずらせばそうだね、とフレンがにっこりと笑う。

「腐れ縁ってやつですね」

「そっちはいかにも独り身って感じだよな」

「こらユーリ、人に箸を向けるな」

「いやー、見せつけちゃって。本当、独り身には目に毒ってね」

「おい、おっさんだからって手加減なんかしねーからな・・・」

「せ・・、先輩・・」

何がそんなに面白いのか、さっきから先輩はこの調子だ。
表に出ろとでも言いそうなユーリは、今にも手にした箸を投げつけてきそうで怖い。
先輩はもう酔ってるんだろうかと思うけれど、まだビール3杯目だし・・・思ったよりお酒弱いのかなと横を見上げる。

「ん、なーにちゃん?あんまり可愛い顔してると、困っちゃうな。独り身で寂しいおっさんを慰めてくれちゃったりする??」

「えっと・・、酔ってます?」

「まだまだ全然イケルわよー」

言って、ぐりぐりとこちらの頭を撫でてくる。
いや・・・これは結構きてるんじゃないだろうか。
ぐらぐらと少し揺れている頭のまま、その手の下からこっそりと仰ぎ見る顔はちょっとだけ赤みを帯びている。

「ところで、レイヴンさん」

「ん?フレンくん、何、おっさんに質問?どーぞどーぞ」

ニコニコと締まりのない笑顔で私の頭に乗せている左手はそのままに、空いている右手で先を促す。

「レイヴンさんって、オネエ系とかそういう方なんですか?」

「・・っぶ」

ニコニコと一点の曇りも無い笑顔でフレンが聞いてくるのに、先輩の手の動きがピタリと止まった。
聞こえた噴き出す音は、箸片手に睨んでいたはずのユーリからだ。
そう真っ直ぐ聞いたことは無いから、私もちょっと気になるなあとちらりと横目で見上げてみればこちらを丁度見た先輩と目が合った。

「え、もしかしてちゃんも・・?」

「・・、あ、はい」

ちょっと気になってましたと素直に頷けば、よろりと席に身を沈めた先輩の手は頭から離れていった。
向かいではユーリが腹を抱えている。

「・・・あ、えっとごめんなさい・・?」

「はは・・っく、・・謝らなくたっていーからな、

「さすがにちょっとそれはキツイわ・・・」

「いい気味だぜ」

別々の理由でソファの端と端に沈む対角線の二人を見遣って、斜め向かいのフレンの顔を見た。
質問を投げかけたのはフレンだが、答えが無くても割と満足そうににこにこしている。
目が合って、やはりにこにことしている。

「・・・・フレン?」

「ん?どうしたんだい?あ、何か頼みたいものでもある?」

言いながら、傍に立てかけておいたメニューを取り出そうとしているのを首を振って、大丈夫だと止める。
行動にも言動にもあまり酔った様子は見えないし、レイヴンと違って赤みも無い。
ただ、何だかずっとやけに機嫌が良さそうににこにこと、そうひたすらに。
ちょっと心配になって、ちらと見たフレンのグラスはまだ2杯目のジントニックだ。
そういえば辛いものが好きだった、と思い返せば、つられて思い出す味音痴騒動だった。

「?・・、どうかしたか?」

フレンの器の中が真っ赤だったらどうしようと、薬味の並ぶところとフレンの手元をちらちらと見ていればその視線に気付いた向かいのユーリが、涙が浮かんだ目元を擦りながらこちらに声をかけてきた。

「あ、いや・・・フレンの味音痴を不意に思い出して」

「・・ああ」

途端に苦虫を噛んだように顔を顰めた様子からして、フレンの味音痴はどうやら健在のようだ。

「何だい二人とも。僕の顔に何かついてる?」

「あ、ううん、何も・・」

「フレンが昔作ったカレーという名のぐろいスライムを思い出してたんだと」

「ちょ、ユーリ!」

「・・・スライム?」

私そんなこと言ってないし、と思わず声を上げれば、こちらも分からないといった顔でやり取りを見ていた先輩が呟いた。

「スライムカレーとか、そういやいつだったか売り出してたけど・・・」

「青いカレーですよね」

「あれは、・・まあ見た目えぐいけど食えるだろ」

「・・・食えない、話なの?」

先輩の疑問に、私とユーリがそっと目を逸らす。
残ったフレンに先輩の視線が向かって、え?とフレンが慌てた様子で両手を振った。

「いや、僕は食べられないものを作った覚えはなくって・・」

「・・お前はそーだろうよ・・お前は、な」

はぁ、と重い溜息付きで呟くどんよりとしたユーリの声に、フレンがちょっとむっとした顔をした。

「あれは、でもカレーを作るのにルーを忘れた君がいけないんだろう!」

「ルーは無くとも、カレー粉はあっただろうが!」

「・・・カレー粉はちゃんとあったんだよね」

「え、なになに。ちょっと気になるんだけど」

面白そうな話にちょっと目がきらきらとした先輩に、あのですねと高校時代を思い出しながら話をする。
それは仲の良かったメンバーで河原まで遊びに行った時のこと。
メンバーの一人がキャンプではカレーを作るものだと聞いたことがあります、と拳を握って力説したので、お昼はみんなでカレー作る予定で各自分担して材料や鍋やらを用意して行ったのだった。
力説した彼女、エステルは小学生時代に合宿に参加できず飯盒炊飯でカレーを食べた話を後に聞いてそれをとても羨ましがっていたので、みんなそれならばと張り切っていた。
作業も分担して、じゃがいもやにんじんの皮むき、石を並べて集めた木に火を熾したりととても楽しかったのを覚えている。

「・・・火が、消えちゃったのが、ね」

「あそこで消えなければなー・・」

ぐつぐつと煮込み始めて数分後、上手く燃え移らなかった火が途中で消えてしまって、私とユーリや数人のメンバーは慌てて枝を拾い集めに行った。
それがいけなかったのだ。
何しろ戻った時に鍋の傍にいたのが、エステルとフレンの二人だけだったのだから。
そこそこ集まった木と、誰かが気を利かせて近所の人にもらってきた木炭と新聞紙で火は無事に点いて、ご飯も何とか炊けた。
そしてカレーもそろそろと蓋を開けた瞬間。

「異臭が・・・・」

「え」

「・・・やばい匂いが」

「えっ」

先輩がそっと見た先では、フレンがちょっと拗ねた顔をしてお酒を飲んでいた。

「味が薄いからって、とうがらしを入れたんだよね、フレン」

「あと、色味が足りないんじゃないかって、おやつのチョコレートもいれたよな」

「・・・チョコレートは隠し味にも使うって聞いたことあるけど?」

「隠すつもりじゃない量を入れたんだよ、こいつ」

レイヴンに話しながらぴっと箸で横を差せば、無言のフレンは箸の先を手で下げさせた。
しかもユーリが美味しそうに食べていたお徳用チョコ入りマシュマロを大量に、だった。

「んで、極めつけに何入れたと思う?・・・川魚だ」

「あちゃー・・」

みんなで釣った魚を焼いていたのを、何を思ったのか入れてしまったらしい。
生臭さが強烈な赤黒いスライムのようなカレーに、みんなの顔から血の気が引いていった光景が今でも鮮明に思い出せる。
エステルは、フレンの迷いのない動きに何も言えなかったらしい。

「それ、どうしたの?」

「食った」

「え?!」

「勿体ないから、食えそうなやつで食った」

「あ、なるほど。・・ちゃんは?」

どこか恐る恐るという風に聞いてきたレイヴンさんに、視線を逸らせてやはり拗ねたような顔をしたフレンに眉を下げつつ、そっと頷いた。

「え?!ちゃんも食べたの?!」

「えっと、ちょっとだけ」

怖いもの見たさとフレンの困った顔に、少しだけ食べるのを手伝った。

「で、ど、どうだったの・・・」

言いつつ、ちょっとフレンに聴こえないようにそっと小さく聞いてくる先輩に、困った顔をすれば自分の顔と先輩の間にすっと手の平が差し込まれた。
見遣った先にあるのはやはりというか、なんというかユーリのしかめっ面で。

「近い、ってのおっさん。・・・聞きたいか?そーかそーか。そんなに知りてぇなら今度振る舞ってやるよ」

「え?!あ、いやいやいや」

「おっさんのために俺が直々に手料理を振る舞ってやる」

「け、結構で・・」

「ユーリの手料理かぁ。普通のなら食べたいな、久しぶりに」

話を聞いて思い出す。
ユーリはこれで料理が上手い。

「出来れば、お菓子も!」

「お前は、調子にノるなっての」

「いたっ」

付け足せば、脳天にチョップされた。

「へぇ」

「何か言いたそうだな、おっさん?」

「いや、料理なんてしそうには見えなくて・・これは意外だわ」

「・・・・・」

「いい、嫁さんに・・あぃだっ!ひどい!角は駄目でしょーが!」

「黙れ」

メニューの角で脳天を叩かれている先輩を見て、あれはさすがに痛そうだと顔を顰める。

「はぁ・・。ユーリ、食べ物の上で騒ぐな」

静かにお酒を飲んでいたフレンが、ユーリの手からメニューを取り返す。

「フレンの料理も、また食べたいな」

「はぁっ?!」

「ぇ・・ええー」

途端にユーリが目を剥いて、先輩もさっきの話を聞いたからだろう非常に不可解だという表情でこちらを見ている。
でも、私は覚えている。

「だって、フレン。家庭科の班で1回一緒になったよね」

「えっと、ああ、そうだね」

顎に手を当てて遠くを見たのは一瞬、思い出したのかこちらを見てにっこりと微笑む。
あの時にフレンが作ってくれたひき肉入りのオムレツはとても美味しかった。

「あー・・、まあ余計なものが無ければな、美味いんだよな」

ユーリも、フレンの料理のことは知っている。
余計なことはせずに、レシピどおりに作れば味も見た目もそれこそ文句なしに出来上がる。

「へぇー、それは気になるわね」

「そうなんですよ」

そう説明すれば、先輩も興味津々でフレンの方を見た。
そしてこちらを、ちらと見る。

ちゃんはどーなの?」

「え」

は、料理上手いよね」

「いや、何言ってるのかなフレン!私、本当にたいしたものも作れないって」

「そうか?煮物とか得意だろ?」

「そうなんだ?」

「ちょ、ユーリまで何言ってるのかな!」

本当に大したものは作れないから、余計なことはもうそれ以上言わないでくれと表情に出してユーリを威嚇するも、頬杖ついてこちらを見ているユーリはにやにやと笑っている。
フレンは、僕は何も変なことは言ってないよと、にこにことしている。

「俺、の作ったあれ結構好きだったけど。にんじんの甘煮?」

「甘いからでしょ!」

「んなことねーよ。美味かった」

真顔で言われれば、それ以上の反論も出来ず口を噤む。

「で、でも本当に料理は、あのあんまり出来ないんです・・・よ?」

言いつつ、隣の先輩をそっと見る。
自分から料理できないなんて男の人に言うのはどことなく恥ずかしいが、出来ないものを出来ると見栄を張ることなんて出来やしない。
視線が力なく下がれば、何故か頭の上に手が乗ってぽんぽんと優しく叩かれた。

「いーんでない?これから出来るものが増えればさ」

見上げれば、声音と同様に柔らかく微笑んだ先輩がいて、何だかほっとした。

「ねね、今度煮物作ってよ。好きなんよ、煮物」

「え、ええ」

「あ、ずりーぞ、おっさん」

「ずるいって何よー。文句があるならおたくも自分で頼みなさいよ?」

「いや、まだいいなんて一言も・・」

「んじゃ俺、にんじんな。ちゃんと甘いやつ」

「・・・俺はあまり甘いの得意じゃないんだけどー・・」

「それこそ知らねーよ」

「ま、まあまあ・・?」

大丈夫?とフレンに気遣わしげに声をかけられる。
いや、作るのは構わないがそれを持って会いに行くのか?いつ?何のタイミングで・・・?

「作るのは、別にかまわないですが・・・」

「えっいいの?!期待しちゃうよ?!」

「いや、期待はされると大変困るんですが・・・あまりそんな自信無いですし」

「いーのいいの!ちゃんが俺のために作ってくれたっていうだけでもうじゅーぶん・・・」

両手を乙女のようにぎゅっと握りしめて、満面の笑みを浮かべている先輩にたじろぐ。
本当にそんなたいしたものは出来ないというのに。

、次の休みいつ?」

「え?次の、休み?」

「また、集合すんだろ」

「え、いつそんな話に・・」

「今」

さらっと言いつつ、隣のフレンにも予定を聞いていて、戸惑った様子ででも几帳面なフレンらしく荷物から手帳を取り出してスケジュールを見出す二人に慌てる。
そんな、急に。

「んじゃ、おっさんとは別の日に・・」

「おっさんも、一緒に、な」

何故か、一言一言区切りつつも、こちらをちらとも見ないユーリの言葉に先輩は小さく「ま、そうよねー」とがっくりと肩を落としている。
訳が分からないが、まるで長年の付き合いのように意思疎通が出来ているような先輩とユーリに首を傾げる。
何が、そうよね、何だろうか。
と、それより何より、何故か今日会ったばかりの久方ぶりのメンバーで、次にいつ会うかの話を進めていて、何故か自分はその日に煮物とにんじんの甘煮を作ることになっている・・・ような気がする。

「え、本当に?」

「何だよ、嘘ついたのか?」

「えいやいやそういうつもりはないけど」

「ほら、ユーリ。急すぎないか」

心配そうに手帳から顔をあげたフレンがこちらを窺う。

「だーいじょぶだって。後はそっちのおっさんの日程が合えばいいだろ」

「ちょっと、今さらだけど。青年からすりゃおっさんかもしれないけど、まだそんなおっさんって程でも無いんだけど」

「んじゃ、レイヴンさん?あんたはいつ空いてるんだよ」

「はいはい、んもう最近の若者は・・」

言いつつ先輩も小さな手帳を取り出して、何やら書き込んでいるそれを目で追いだした。

「ほら、。んで、お前はいつ空いてるんだよ」

視線で促される。
久しぶりに街中でばったり会ったかと思えば、まるで昨日までよく会っていたかのように時間の流れを感じさせないやり取りをして。
懐かしささえ吹っ飛ぶ勢いで、次の予定をきめることになっていて。
でもなんだかすごい楽しみな自分がいた。
また、集まれること。
今日会ったばかりの二人と先輩が、意外と楽しそうにしていること。
フレンは少し先輩を気遣わしげにしていて、それに「大丈夫よ」とまた一緒に集まることを衒いなく請け負う先輩と、何も気にしていないユーリのやり取りが聞いていてとても楽しい。

「なーに、にやにやしてんだよ」

「ぃだっ」

額に衝撃が走る。
デコピンした指を戻してユーリが促す。
フレンがこちらをみてにこにことしている。
レイヴンが気遣わしげに額を撫でてくるのに、また笑う。

「えっと、次の休みは・・・」

いつまた集まれるか、本当にとても楽しみだ。




◆アトガキ



2015.6.16



全く、タイトルが思いつかなかった。
駅の階段を地上に上がってる途中で思い浮かんだネタでした。
もっとちゃんが酒に酔うかどうかとかを盛り込みたかったけど、もう十分長くなってしまったので。
もし手料理持ち寄り会が実現したら、お酒はその時に盛りこめられればいいかな!



PAGE TOP