疲れた時には甘いもの



疲れたな。

今日も一日ギッシリやることが詰まってる勤務時間を終え、それでも時間内に終わらなかったあれやこれやに思いをはせる。
・・残ってもうちょっと頑張れば良かっただろうか。
でも一度そうしてしまえば、それで良いってことになってしまう。
時間外に無理して終わらせるんでは無く、もっとどうにか効率良く仕事を進められるようにしたい。

「・・・・はぁ」

いつも、その日の業務の間に少しだけ、手が届きやすようにと物の配置を変えてみたりとあれこれ手を加えてみたりするけれど、効果が出ているようには見えない。
そのことも、溜まる疲労にプラスされて気落ちする。

「お腹、空いたな」

そういえば、あいつは今日お休みだったな。
・・というか、世間と一般企業で働くものはゆっくり休日を過ごしているだろう、なんたって今日は週末の日曜日。
ゴソゴソとバッグを漁って、取り出した携帯のアドレス帳からその名前を探し出す。

トゥルルルル・・・

通話ボタンを押して、耳に当てながら駅のホームで電車を待つ。
待つこと、数秒。

『・・・ほい』

何だその、気の抜けた応対は。
良いなぁ、今日はきっとのんびり過ごしてたんだろうなと、勝手に想像して勝手に羨みながら、そのちょっと眠そうな声におはようと挨拶を返した。

『ん、おはよーさん。・・で、こんな時間にかけてきたってことは、仕事終わったのか』

「うん」

『お疲れさん』

「・・うん」

相手がちょっとあくび交じりでも、誰かにそう言ってもらえるのは嬉しいものだと思った。
今日一日、頑張ったこと。
褒めて欲しいなんて到底思えないいっぱいいっぱいの仕事ぶりだったが、労いの言葉は心にじんわりと溶けていく。

「ユーリ・・」

『ん?』

「・・お腹、空いた」

沈黙を挟んで暫く、電話口でぷっと噴き出す音が聞こえた。

「・・ユーリ・・」

くつくつと笑う声が聞こえてくる。
そんなにおかしなことだろうかと、ちょっと拗ねた気持ちでその名を名前を呼ぶ。
一日動き回ってお腹が減るのは仕方が無いじゃないと思いながら、耳に入ってくる笑い声が収まるのを視界に入る線路を見るとも無しに眺めながら待つ。

『っふ・・悪ぃ悪ぃ』

「・・思ってもいない謝罪はいりません」

『まあ、そう拗ねんなって・・んー、そうだな』

電話口から少し声が遠ざかる。
んー・・・と喉の奥で小さく唸りながら、しばらくして。

『んじゃ、そのままうちに来いよ』

「え、良いの?」

『パスタで良いだろ?』

「え・・本当に?良いの??」

どうせおうちでまったりしているであろう相手に、ちょっと愚痴混じりに声をかけただけで他意は・・・全く無いとは言わないが、思いがけない言葉に気分が一気に上向いた。
嬉しくて、さっきまでむっつりと電車を待ってた沈んだ気持ちが吹き飛んでしまった。

『良いって。・・ただし、食費は請求するぜ?』

「もちろん!」

おそらくはちょっと意地悪気な顔をしているであろう相手に、そんなものは構わないしもちろん払うよ!と即答すれば、苦笑した気配が耳に伝わってきた。

『・・んじゃ、待ってる』

「うん。・・ありがとう」

『おう』

通話ボタンを切って会話を終えて携帯を閉じる。
丁度ホームに入ってきた電車に、笑顔のまま乗り込んだ。



ピンポン

『・・・・開いてるから、入って来い』

インターホン越しの返事に、お邪魔しまーすと扉に手をかければ本当に鍵が開いていた扉はあっさりと開いた。

「ユーリ・・鍵開けっぱは、さすがに不用心過ぎるでしょ」

「いーんだよ。ってか、お前が来るっていうから開けといたんだって」

さっさと上がれと、キッチンから顔だけ出していた相手に促されて、扉に鍵をかけて靴を脱いで上がる。
薄らと醤油の香ばしい匂いがする。

「お邪魔します」

「おう。・・お仕事お疲れさん」

電話でも言ってくれた言葉を、面と向かって言われると何だかこそばゆいというか恥ずかしいというか。
嬉しい笑顔をそのままに、片手に持っていたビニール袋を相手に差し出した。

「何だ?」

「コンビニスイーツ」

受け取った相手が袋の中をごそごそと見て、目を輝かせるのと同時に答えた。
ゼリーとクリームの層が重なって上にフルーツが乗ったパフェや同じくフルーツが上に盛られたプリンパフェ、チョコクリームとバナナが挟まっているロールケーキにエクレアや、ちょっと和風にみたらし団子とイチゴ大福。
女子が1回で選ぶ量としては異常だし、値段的にもカロリー的にも罪悪感がむくむくと湧き上がってきそうなものだったが、今日のこの嬉しい誘いをしてくれたお礼に渡すと思えば何も怖いものは無い。
それに、甘党のユーリが受け取った時に絶対に嬉しそうな顔をすると分かっているから、そんな笑顔が見られると思えば安いものだ。

「って、良いのかよこんなに」

「うん、もちろん。あ、一つくらい私にも食べさせて」

買ってきたのに1つも食べられないのはちょっとだけ寂しいと思えば、目を丸くしたユーリはまたぷっと小さく噴き出した。

「それこそ、もちろん。・・食後に、な」

言って、いそいそと冷蔵庫にそれらを閉まっていくその顔が心底嬉しそうで、買ってきた甲斐があった。

「パスタ、今から茹でるからちょっとそこ座って待ってろ」

ダイニングキッチンのテーブルを指で指し示される。
頷いて上着を脱いで足元にバッグを置いて、洗面所を借りて戻ればテーブルの上にはアイスティーが置いてあった。

「ありがとう」

「ん」

キッチンで具を温めているのか、フライパンをかき混ぜながらユーリがこちらを向く。
何気無いやり取り、キッチンに立つ相手の動作。
なんだか急に恥ずかしくなってきた。
キッチンに立つ相手が様になり過ぎていて、一緒に住んでいるわけでもないのに、一緒に住んだらこんな姿をもっと見ることが出来るのになとぼおっと考えている自分がいて、ハッとした顔に血の気が上る。
ごまかすように、アイスティーに口をつけた。
カラリと氷が揺れて、冷えて少し甘めのそれが喉を潤していく。

「・・・ふぅ」

ちょっとだけ、冷静になれたような気がした。

「・・疲れてんな」

吐き出した息を聞いて、ユーリがこちらをちらと見る。

「土日入れた5連勤は、ちょっとだけ、ね」

「そっか」

素っ気ない返事だけど、構わない。
聞いてくれたことだけでも救われているのだ。
それ以上何かを言ってほしいとも思ってはいないし、そもそも何も言わなくてもこうして今、手料理を振る舞ってくれていることに彼のさり気無い気遣いを感じている。
ユーリは、優しい。

「何だ・・・眠いのか?」

ぼんやりと頬杖をついていれば、いつの間にか出来上がったのかパスタを持った皿を両手に持ってユーリがキッチンからこちらに歩いて来た。
そのちょっと瞬きをした相手に、んーんと首を振る。

「大丈夫。美味しそう!」

「ほれ。夏野菜のパスタ」

コトリと目の前に置かれた皿から、ふんわりと香ばしい匂いが漂ってくる。
トマトとズッキーニとコーンにベーコン。
味付けは醤油と和風だしで。
目にも鮮やかで食欲をそそるお皿を前に、早速両手を合わせた。

「いただきます」

「めしあがれ」



ペロリと平らげて、同じく食べ終わった相手に洗い物を申し出てキッチンを借りる。
アイスティーに大量のガムシロップとコーヒーフレッシュを足して飲んでいるユーリが、じっとこちらを見ている。

「何?・・あ、デザート待ちかな、ちょっと待ってあと少し・・」

「いや、そうじゃなくて・・」

「?」

何だか少し歯切れ悪く答える相手に首を傾げながら、洗剤の泡を落としていく。
水ですすいで軽く振って水気を落としてから、水切り籠へ。
フライパンと鍋は、軽く拭いてからコンロの上へ。
その間もユーリの視線を感じて少し、落ち着かない。
何だろう、何か変だろうか。
いつも自分がやるのと何かが違って、それが珍しいのだろうか。
意味も無く、結んだ髪の付け根をぐっと押さえ直したりしてしまう。
そわそわしながら後片付けを終えれば、飲み終わったミルクティーの入っていたコップを片手にユーリがキッチンに入ってきた。
一人暮らしのキッチンは、二人で立つと途端に狭く感じる。
手を拭いてそこから退こうとすれば、立ち塞がるような状態のままユーリが冷蔵庫を開けた。

「ちょ・・退くよ」

言えば、ちらとこちらを見下ろしてくる。
何か言いたげな、でも何も言わない相手にまた首を傾げれば、頭に手が置かれてぽんぽんと軽く叩かれた。

「そこの引き出しにスプーンが入ってっから」

「あ、うん」

言われた引き出しを開けて、デザートを食べるのに使えそうな小さめのものを2本選ぶ。
取り出して振り返れば、それを受け取ったユーリにちょいちょいと手招きをされた。

「どれにすんだ?」

「え・・ユーリの中で一番ランクが低いやつで」

言えば、困ったように眉が寄せられた。
その目がこちらと冷蔵庫の中を交互に覗いていて、ちょっと面白くて笑えば腕を軽く引っ張られた。

「わっ・・と、何っ」

「自分で選べ」

俺はどれも好き、と耳元で囁かれるように言われて思わず肩が跳ねる。
冷蔵庫とユーリの間に立たされて、扉を抑えているユーリの腕に囲われてしまっている。
近い、近いよ!と抗議を上げたくても、早くしろと背後の声に急かされる。
背中に触れている相手の体温を感じて、頭に血が上った。
軽くパニックに陥りながら、急いで冷蔵庫に並ぶスイーツの群れを眺める。
自分で選んだ時は、どれが一番美味しそうだっただろうか。
いや、美味しそうだったのならなおさら、それはユーリに譲るべきだろう。
焦って決められないでいれば、肩にこつりと何かが乗ってふっと笑う気配がした。

「や・・もう、ユーリ!」

「さっさと決めろって。冷気が逃げちまうだろ」

「~~~っ!」

わざとか、わざとだなこのやろう、と思いながらヤケクソな気分で手を伸ばして取り出したのは、一番シンプルなエクレアだった。

「ん?それでいーのか?」

言外に、もっと高くて美味そうなやつがあんだろ、と不思議そうに問われて首を振って返す。

「これで、いい!」

くすくすと笑った相手の手が背後から伸びてきて、やっぱり一番美味しそうだと思ったプリンパフェを掴んで取り出した。

「んじゃ、俺はこっち」

そうだろう、それにするだろうとも。
分かっていました。
そして、取り出したからにはさっさと背後から退いて欲しい、と思っているのにことさらゆっくりと冷蔵庫を閉めたユーリの手は、デザートを持ったまま体の両脇から動こうとしない。

「・・・・・」

振り向くのも怖くてそのまま固まっていれば、耳元から首筋をそっと撫でられた。
びくっと肩が大きく跳ねる。

「・・・真っ赤」

っふ、と吐息を漏らす音。
その手が離れていくとともに、背後の気配もそっと離れた。
緊張で固まっていた体からやっと力が抜ける。
色々と複雑な気持ちを込めてじっとりと振り向けば、にやと意地悪気に笑った相手はさっさとダイニングの床に敷いてあるラグに座って、蓋を開けはじめた。

「いただきます」

「・・・どーぞ・・」

追って間に少しスペースを開けて並んで座り、手に持っていたエクレアの袋を開ける。
手に持っていたせいで、少し溶けかけているチョコレートに、またも隣に座る相手をじとっとした目で睨みつけてしまう。

「ん?・・・ああ」

こちらの手元を見て合点が言った様子で、でも考えていたことは違ったようだった。
パフェを掬ったスプーンをぬっと突き付けられる。
思わず仰け反ってしまった。

も甘いの、好きだろ?」

好きだが、・・だが。

「ほれ」

誘惑に負けて手を伸ばせば、すっとスプーンは離れていった。
何故だと見上げれば、また意地悪そうな顔をしている。
ピンときた展開に、相手が何かしようとする前に手に持っていたエクレアに更にかぶりつく。

「って、おい。こっち向け」

「いいです」

「・・ったく、強情な奴」

諦めたのかと思えば、もぐもぐと食べていたエクレアを掻っ攫っていく。

「あっ」

まだ半分ほどしか食べていない食べかけのエクレアは、文句を言う前に相手の口に消えて行く。
代わりにと寄越されたのは、これまた相手の食べかけのプリンパフェだった。
添えられたスプーンを、まんじりと見つめてしまう。

「お前・・・気にしすぎ」

隣からの呆れた声に反論したい気持ちを無理やり飲み込んで、スプーンを手に取って一口掬い一瞬ためらってから思い切って口に運ぶ。
優しい卵と生クリームの甘さに、添えてある桃の甘酸っぱさがちょうどいい。

「美味いな、それ。さんきゅ」

言って笑う相手に、一口もらったカップを返す。

「うん、ありがとう」

「食べちまっていいぜ?」

俺は食べた、と空っぽのエクレアが入っていた袋を見せられるも、その手に押し付けるようにデザートの容器を返す。

「お腹がいっぱいだから」

「・・・なら、遠慮なく」

残りをまた嬉しそうに食べる相手に、本当に幸せそうだとちょっと脱力すれば、おまけのように小さなあくびがこぼれ出た。
仕事を終えて帰ってきて、美味しいご飯とデザートを食べてお腹がいっぱいだ。
まったりとくつろげば、・・後はもう眠くなってしまうのも仕方が無いというもの。
このままだとここで転寝をしてしまうに違いない、とそよそよと涼しい夜風が入ってくる外を見て、意を決して立ち上がろうとすれば、手首をがしっと掴まれて立ち上がりかけた腰を強制的に戻される。

「眠いんだろ?ちょっと休んでいけよ」

「・・・・・」

無言でじっと相手の顔を見つめる。
転寝で済めばいい。
だが、うっかり本寝入りしてしまうかもしれない。
さすがに一人暮らしの異性の部屋に泊まることになってしまうような事態は・・と返事をためらっていれば、苦笑した手が手首から離れる。
それを目で追えば、そっと頭に乗せられたその手がゆっくりと髪を梳き撫でていく。
あ、まずい、そう思った時には魔法にかけられたかのように、頭がぼおっとして瞼が重くなっていく。
ついでとばかりにもう片方の手に目元を覆われる。

「・・ユーリ」

少し不安げに名前を呼べば、何もしねーよと静かな声が降ってくる。

「だから、安心して寝ちまえ」

暗闇に誘われて、意識はぼんやりとその中に溶けていった。



ふっと傾いだ体をそっと受け止める。
妙に寝つきが良いのは、逆に最近寝つきが悪かったのかと疲れた様子の目元を指先でなぞった。
起こさないようにそっとその身体に手を添えて、立てた足の間に引き寄せる。
胸元に寄り掛からせ、腕を回して抱きかかえた。
くったりとしたその重みと温かい体温と、そして柔さを感じる。
片手を伸ばして頭を撫でれば、小さく身じろぎをして居心地の良い場所を探すようにもぞもぞと体勢を変え、収まりの良いところを見つけたのかまた大人しくなった。

こっちの気も知らねぇで。

確かに、安心しろと言ったのは自分だが、それであっさりと寝てしまわれると、何だか男として立つ瀬が無い気もする。

「・・・・・」

それだけ、信用されているのだとは思うが。
嬉しい反面、これは少し・・いや大分困る。
無意識にすりすりと摺り寄せられる柔らかさに、手の置きどころが分からなくなってくる。
でも離れたいわけがなく。

「・・はあ」

いつ起きるかなー、もういっそこのまま俺も寝ちまうかと、心地よい風と腕の中の体温に目を閉じる。
その身体から香る甘いような香りに、誘われるようにそっと髪に口づけを落とした。




◆アトガキ



2014.8.11



変換がひとつしか無い・・だと。
キッチンに立つ相手に、お互い同じことを考えて悶々としていればいいよ!



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