真っ直ぐな瞳の先のアザミ



立てつけの悪い引き戸は開店中は開け放たれている。
外のひさしの下にも無造作に籠が置かれて、道行く人の中から暇そうな人がその中を何となく眺めてはまた去っていく。
薄暗い店内には壁をぐるりと取り巻く棚と中央に2つ置かれた棚によって人がすれ違うのもやっというような狭さである。
外の籠や棚の中、棚と棚の間にも隙間を失くすように詰め込まれているのは、どれも色あせて黄ばんだ紙の古い書籍たちだった。
その空間の奥、一段上がった段の上に置かれた机とその椅子に座って今日もは本を手にとっては手元のノートにその本の情報を書き留め、書籍の目録作りに没頭していた。
市民街の市場の端、貴族街には遠く少し裏道を入れば下町に程近いその店は、どう見ても繁盛はしていないしわざわざ足を運びに来る客もいない。
店主の趣味で集められたとしか思えない本の山に埋もれた、市場の喧騒からもやや遠い埃っぽい店だった。
たまの冷やかしや古い本を売りに来るものの相手をする毎日。
一日の客数が片手に満たない時もある。

「・・・ぅ、ひっく」

「・・・・・」

朝から晴れたり曇ったりな一日。
薄い陽が差す眠くなるような午後。
店の扉がガタリと音を立てて、チラと向けた視線の先で赤ら顔の老人が入り口に片手をかけて中に入ってきた。
こんな昼間っから酒を飲んでいたらしい、少しふらついた足取りで店の中を物色している。
そうして暫くふらふらと彷徨わせていた視線を棚に留め、一冊の本を取り出してパラパラと読みだした。
それを横目で見やって、はまた手元に視線を戻した。
狭い店内が少し酒臭くなるのは困るが、客であるなら追い出しはしない。

「・・・・・」

いらっしゃいませとも特に声をかけぬまま、無言の時間が過ぎる。
ここに来る人間も、あまり声をかけられるのを好まない人種が多いようだと店主から聞いていた。
静かな空間で事務的な作業に没頭できるこの職場をは気に入っていた。
そうしてまたしばらくして、ふらりとひとりの女性が入ってくる。
うろうろと店内を探る視線がとある棚に目を留めて、そこから一冊、二冊と薄い本を取り出してパラパラとめくっている。
これも良く見る光景で、彼女が今手に持っているのは所謂料理本というものだった。
買っていく人もいるし、この場でパラパラとめくって夕飯の参考になるものを見つけては熱心にそのページだけ読み込んで、また棚に戻して去っていくものもいる。
その足で市場へ行って、料理に必要な食材を買っていくのだろう。
店長はそれでも構わないと言っていたし、も当初はそれでは古本屋では無くただの図書室になってしまう、せめて貸本屋にすれば多少の益も出るのではないかと思っていたけれど、今ではそんな店の使い方も構わないなと思っていた。
お金にはならないが、と笑っている店長が本というその存在やそこに書かれた文章や絵、そして字すら愛しているのを知ったからだった。

「・・、っ!」

不意に何か小さな声が聞こえた気がした。
それと同時にガタタッと何かが棚にあたるようなそんな物音。
思わず上げた視線の先で、先ほどの女性がどこか慌てた様子で店を出て行こうとするのが見えた。
その女生と一瞬目が合う。

「?・・、」

何か怯えたようにこちらと、そして棚の間を見てそしてもう振り向かずに早足で出て行ってしまった女性を見て首を傾げる。
出てきた棚の間を見に行けば、何事も無いかのように一人の老人が本を立ち読みしていた。

「今、何か物音がしたようですが」

「・・さあね」

こちらをちらと見た視線がまたすぐに本へと戻る。
それっきりこちらの存在を無いようなものとして本を読みだす老人からは相変わらずお酒の匂いが漂っていた。
知らぬ存ぜぬと言ったその様子にそれ以上聞くことも出来ず、また仕方なくカウンター代わりの机に戻る。
その日はその後、新たな客は誰も来なかった。



本を棚に乱暴に戻す音、そして慌てた様に棚とそして店から飛び出していく女性。
その日も開店からずっと目録作りに没頭していたは、はっとして顔を上げた。
つい先日にも見た光景に似てる。
ただその女性は前に見た女性とは全くの別人だった。
薄暗い店内には何人か客がいて、狭い店内が更に狭く感じる珍しく客が多い午後。
問題は女性が飛び出してきた棚の列が前回と同じ料理本が並ぶ列で、その一列はカウンターから一番離れた場所だということだ。
妙な既視感を感じてカウンターから出てその端の列をそっと覗く。
そのタイミングで一人の客がその列の先を曲がってちょうど外に出ていくところだった。
残っているのは周りのことに興味が無いのか気付いていないのか1人の青年だけで、顔を引っ込めて店の入り口に向けた視線の先で、見覚えのある老人が店の前をどこかへ去っていくのがかろうじて見えた。

「・・・・、あの」

今女性が慌てて出て行ったのですが、何か見ていませんかと残る青年に聞いてみたがその客は本の内容に本当に夢中になっていたようで、怪訝そうに首を振るばかりだった。
仕方なしにまたカウンターへと戻る。
何かもやもやとした嫌な感じを覚えるも、証拠も無いそれはただの仮定に過ぎない。

「・・・店長に相談してみよう」

はその日、店を閉めてすぐに店長の元を訪れた。




「・・・(今日は帰るのか」

出て行った客をちらと見てそっと張り詰めていた息を吐く。
店の前から通りへと歩いて行ったその客は、最近時折見かける様になったあの老人だ。
いつもでは無いが大概お酒の匂いと共に、昼過ぎまたは夕方ごろに店を訪れて本を立ち読みして帰っていく。
愛想が悪いその老人は、良く見ていればだいたい決まった動きをしていることに気が付いた。
まずは店内を物色するようにうろつく。
そうして気になった本を手に取ったかと思えばぺらぺらとめくり、そうして一瞬目を離した隙にどこかへ移動している。
そのままふらっと出ていくときもあるが、そういう時は店の前の籠の中を物色したりしてそのまま戻って来ない時もあれば、暫くしてまた店内に戻って来ていたりする。
そうして気が付くと大抵奥の棚にいるのだ。
今日はもう夕日も沈みかけて通りも暗くなってきた。
連日緊張していたせいもあり、深呼吸と共に首の筋を揉んでしばらく目を閉じる。
おかげで目録作りも捗らない。
でも2人目の女性以来、慌てて飛び出す女性はいない。
何事も無いなら、それに越したことは無い。
心配し過ぎたのかもしれないと小さく息を吐いて次の本は、と足元に積み重なった本に身を屈めて手を伸ばした時だった。

「っや」

バラバラッと本が床に落ちる音にまぎれて確かに聞こえた声に、慌てて顔を上げて店の天井付近を見上げた。
奥の棚に立てかけられた鈍く光を反射する銀色。
表面に装飾のようになにやら文字が描かれた古めかしいそれは、骨董品屋で買ったビンテージものの鏡だった。
元は居酒屋の壁にかけられていたというそれはお酒の絵と商品名が描かれていて、鏡としては使いにくいが遠目に目立たないということでそれに決めたのだ。

「!?」

その鏡に2人の人物が向かい合って立っているのが見えた。
壁側の棚に寄り掛かる様に縋りついている女性とその目の前に立っているのは先ほど出て行ったと思っていた老人だ。
いつ戻ってきていたのか、いや今はそれどころでは無い。
怯えたように壁越しに後ずさる女性の様子にただならぬものを感じて慌ててカウンターを抜けて駆け寄った。

「どうしましたか」

背後からかけられた声にビックリしたように振り向いた女性の、縋るような瞳に何があったのかと問う。

「あ、ああの人が・・急に・・っ」


そのまましゃがみ込んでしまった女性につられて腰を折ったその視界の端で、老人が何事も無かったかのように店を出ようとしているのに慌てて声をかける。
「ちょっと、貴方待ってください」

声をかけても聞こえぬふりをする相手にさすがに腹が立って、女性の肩をそっと叩いてその場にいる様に告げてから急いで追いかける。
店を出たところでその腕を咄嗟に掴まえれば、ぶんと乱暴に振り払われた。

「!?、ちょっとどこ行くんですか!」

更に先を行こうとする腕を再度掴む。

「何するんだ!いきなり失礼な奴だなっ」

「ちょっと、待ってくださって・・」

「お前には何の用も無いって言ってるのか分からんか!!邪魔だ、どけ!」

「私にはあるんですけど・・」

苛立つように目を据わらせて怒鳴りつけられる。
市場を行きかう人が何事かとこちらを見てきたが、それに構っている余裕はない。

「無いなら無いでも、一度店に戻るくらい何の支障も無いでしょう」

「誰がお前なんかに構うか、わしは忙しいんだ!」

「っ・・、さっき何があったのか話を・・」

「うるさいっ黙れ小娘!!騎士団を呼ぶぞ!!」

全く話を聞く耳を持たない上に暗に、上に顔が効くんだという事実をちらつかせる老人はまたも腕を乱暴に振り払い、大きく腕を上げる。
よろめいた先、見上げた頭上で振り上げられた拳に瞬間体が委縮して咄嗟に目を瞑る。
その隙に、老人は鼻息荒くさっさと市場へと歩いて行ってしまった。

「っ・・」

店を任された身で、店内にさっきの女性を残してきてしまった。
仕方なくこれ以上老人の後を追うのは諦めて店内へ引き返す。
幸い他の客はみんな出てしまっていて、さっきの女性しか残っていなかった。
片隅でしゃがみ込んでいた女性に手を貸してカウンターの内側に座らせて、手早く店を閉める。
そうしてお茶を入れてやっと落ち着いた女性から話を聞くことが出来たのだった。




「えっ、嘘そんな人来るの?!」

大丈夫なの、?と心底心配そうにしてくれるのは、どうしたものかと悩んで打ち明けた顔馴染のカフェの店員だ。

「私は大丈夫だけど・・」

淹れてもらったカフェオレの横に頬をつけて突っ伏す。
あの老人があの奥の列で、その場にいた女性にどんな卑劣な事を仕出かしたか。
女性に聞いた話を思い返すだに、眉間に皺が寄って腹の底が煮えくり返るような思いがする。
あの老人は酒に酔ってふらついたフリをして、その場にいた女性の尻や胸を触ったのだと言う。
あの列を選んだのはカウンターから遠いということと、料理本が並び女性が良くいる場所だと分かっていたからだった。

「ほんと、腹立つ!・・一発殴ってやれれば良かった」

顔を埋めて零した暗い声に、まあまあとが危ないようなことになるのは嫌よと宥めるような声が降ってくる。
店長に言って出入り禁止に出来ればそれが一番良い気がするが、最後の捨て台詞が頭を過る。
腹いせに騎士団を呼ばれてあることないこと言われ店を壊されたり取り上げられたりするのは困る。
それに店長の体の具合が悪い間だけと引き受けた仕事ではあるが、賃金は多少安くとも悪くない職場だしお店にも愛着が沸いている。

「そんなのは、イヤ・・」

どうしよう、どうすれば。

「・・ていうか、まだ来るのその人」

「・・ね。何でって感じだよ」

まさかもう来ないと思っていたのに、その後日何食わぬ顔でまたその老人は顔を出した。
それからはもう気が休まる日が無い。
何か仕出かすんじゃないかと気を張っているこっちを完全に無視して、無駄に店内を行き来する。
もはや耐久勝負と化している日々に、さすがに溜まる疲れで胃が痛むし食欲もわかない。
だがあの日以来、食事時前にちらほらと訪れていた女性客が全くと言っていいほど来なくなってしまった。
広い帝都とはいえ、下町も市民街もコミュニティは狭いのだろう。
被害にあった彼女か、もしくは見ていた誰かか。
とにもかくにも営業妨害とも取れる相手をどうにかしなければ、騎士団のガラの悪い連中が来よう来なかろうと遅かれ早かれ店を閉めなくてはいけなくなってしまうだろう。

「・・何か良い案あったら教えて」

「あ、うん」

じゃあ店番に戻るわと短く食事もしないお昼休みを過ごしたに、気を付けてねと店員は気遣わしげに手を振った。




最近は食欲もなく昼を抜いているため眠気は無いが、どうにもストレスで胃がキリキリと痛む。
身体を温めるお茶を淹れてゆっくり飲みつつ店を開けて暫く。

「・・・・(げ」

今日もまた素知らぬ風を装ってその老人が、外の籠を物色してから店内に入ってくる。
どうやら、店からは追い出されないと思っているようで自分のしたことを恥じる様子も無い。
その様が本当にむかつくが、騎士団にこの陳情を上げたところで取り上げてくれるとは到底思えなかった。
偉い人とやらに顔が効くと言うのが本当なら尚更だ。
こんな小娘と何らかの裏のつながりのある男。
やったかどうかなんて関係ない、どちらの話を聞き入れるかなんて・・・。

「・・、・・」

こんな、仕返しに怯えて何の手出しも出来ずに犯罪者を野放しにしているような状態もまたに相当のストレスを与えていた。
例えば自分がこの店に何の関係も無かったら。
外でバッタリ会った時に一発食らわしてやったかもしれない。
その上で自分が騎士団にしょっ引かれようがどうなろうが、他に迷惑がかからないならそうしてやりたいくらいで。
だけど、この店を守りたいのならそれは出来ない。
それでも今だってこの店を間接的に脅かされている事態には変わりがない。
どうしよう、どうすれば。

「・・・はぁ」

思わず深く吐きだした溜息と共に、カウンターに肘をついて頭を抱える。
その視界の端を何か青いものが横切った。
ふと顔を上げればいつの間に店内に入っていたのか、こういった店には不釣り合いな少々露出の多い服装の女性が棚の間で本を手に取って眺めている。

「・・(体術」

ついついその白いグローブに包まれた手が持つ書籍のタイトルを目で追ってしまい、そこでやっと彼女がそっと本の向こうからこちらを見ているのが分かった。
ワインのように深い赤い瞳がこちらを向いていて、思わずドキリとした。

「!・・っ」

気が抜けていたとはいえ、客の女性をジロジロと見るなんて。
これでこの女性も気を害して帰ってしまったら、もう店番失格だと焦って赤くなる顔を慌てて俯けて手元のノートに視線を走らす。
そうだ、最近目録作りが全く進んでいない。
集中しよう。
ああ、でも彼女が料理本の棚に行ってしまったら、きっと恰好のターゲットにされてしまう。
焦って見上げた奥の棚の方で、長く黒い艶やかな髪がちらと覗いた。

「!、っぁ」

しまった。
目の前の女性に気を取られて、すでに奥に他の女性がいるなんて全く気が付かなかった。
そうして慌てて店内に目を走らせる。
まだ、老人が店を出た様子は無い。
どこだ、どこに・・・。
何かある前にと焦って店内を見渡そうとした耳に、ガタンっと大きな音が鳴った。

「・・・っ?!」

慌てて椅子から立ち上がる。
そのままカウンターを飛び出そうとした腕を誰かに掴まれた。
思わず上げそうになった声は、こちらの腕を掴む人物と目が合ってその口元に立てられた指先によって喉の奥に押し留まった。
何で。
先ほど目が合った妖艶な雰囲気を持つ女性が、シィッとその人差し指を口元に当てている。
掴まれた腕の力を振りほどけず一体何が起きているのかと頭が混乱を極めている先に、奥の書架から低い呻き声のようなものが聞こえてきた。

「うっ、この・・離せ!」

「!!だ、大丈夫です・・か・・・」

ちらと見上げた天井隅の鏡にぼんやりと映っているのは、あの老人と全身も髪も黒い人影で。
掴む手から力が抜けた隙に飛び込んだ棚の間では、その黒い人影がもがき喚く老人を無言で掴み上げているところだった。
ちらとこちらに視線を寄越した相手はその視線をおもむろに店の入り口に向ける。

「カロル、こっちは大丈夫だ。そっちは頼んだ」

その声に店の外からかまだ高い男の子の声が答えて、どこかへ走り去っていく音が聞こえる。
一体何が起きているのかは良く分からないが、ひとつ確かなことがある。

「えっと・・大丈夫、ですか?」

「ああ」

顔を真っ赤にして大声を出す老人に大層迷惑そうな様子ではあるが、捕えた腕を離す様子が無いその黒い長い髪の持ち主は良く見れば、というか声を聞いて分かった。
男性だ。

「・・ふふ、賭けは私の勝ちね、ユーリ」

「ケツ触られた上に奢りって、どんな罰ゲームだよホント」

背後から先ほどの女性が何やら楽しそうに話しかけてくるのに、その男性がすこぶる嫌そうに顔を顰める。
どうやら知り合いらしい2人の謎なやり取りに気を取られていると、目の前から罵声が浴びせられて身体が一瞬硬直する。

「お前か!?お前のせいだなこのクソ店員が!!!」

「・・おいおい」

最近気が張っていたからか、この前は耐えられた怒号に瞬間息が止まる。
その様子を見た黒髪の男性が呆れた声音を零す。
ビクリと跳ねた肩にそっと触れてきた手を辿って視線を上げれば、その先の彼女の顔が安心させるように微かに微笑んだ。

「店やその客に散々迷惑なことしといて、よくそんなふざけた口きけるな」

吐き捨てるような物言いに、老人が唾を飛ばす勢いでかみつく。

「離せ小童が!こんな店もお前らもタダで済ませんからなっっ」

その台詞だ。
その言葉が怖くて何も出来なかったのだ。
強張るこちらの顔を見て目の前の男性の顔が歪む。
さっきまでの無表情に飄々とした態度はどこへやら、急に漂う怖さを感じる程の怒気に驚いた目を向ける。

「・・てめぇ」

何事か言いかけた男性の声に被さる様に、外から何か重いガチャガチャとした音が近づいて来た。

「遅くなって申し訳ありません。通報を受けて・・」

外から若い男性の声が店内に向かって発せられ、店内の目が全員そちらを向く。

「何している!早くわしを解放させてこいつらを捕まえろ!」

腕を掴まれた老人の喚き声で外からの声が途切れる。

「あの・・!すいませんちょっと待っ・・」

不意に現れた帝国騎士の姿に、慌てて待ってください話を聞いてくださいと言い募ろうとした口元に、そっと白い指先が触れる。
ずっと寄り添うように傍らに立っていてくれた女性のそれに、戸惑う瞳を向ける。

「・・大丈夫よ」

微かに首を傾げ目元を和らげるその女性に何が大丈夫なのだろうと思うも、入り口からこちらに向かってくる鎧を纏う足音に身が竦む。
反対に老人は勝ち誇った顔でこちらを嘲笑うように見て、そして朗々と言い放った。

「この無礼な輩をさっさとまとめて牢に入れろ」

その言葉に早くなる鼓動が、やけに静かな店内に響くように感じる。

「・・・・・」

「・・・・・」

「・・?」

背後に立つ女性の顔は見えないが、老人の腕を掴む男性と騎士である金髪の男性の視線が交差する。
・・そして、何も言わない。
どうしたのだろう。
戸惑う合間にも苛立ったように更に老人が口汚く私たち三人を罵り続ける声が店内に響き渡る。

「何を、しているんだっ!早くしろこの役立たずが!」

「・・ですが、」

「わしは評議会のマルコムに顔がきく人間なんだぞ!」

それを聞いて金髪の騎士は少し考える素振りをする。

「マルコム元議員は、先日辞職されたという覚えがありますが」

そうして諭すような声音が告げた事実に老人の顔に更なる朱が浮かぶ。
自分の後ろ盾になると思っていた相手が権力を失くしていたという現実とそれを知らされていなかったという事実に、目を見開いて怒りにぶるぶると震えている。

「つべこべ言うなっ、ええいお前では話にならん!!!」

役立たずの小童め!!と罵る老人に、金髪の彼が多少困ったように口を噤む。

「お前の隊長は誰だ!上司を呼んで来い!!!」

それを好機と受け取ったのか、鬼の首を取るかのように命令をする。
店内に響く大きな声と相変わらず発せられている黒髪の男性からの冷気の様なものにどうにも萎縮して何も言えずにいたが、その言葉を境にその凍てつくような怒気がふっと和らいだ。
瞬きの合間に溜息ひとつ吐いて、また飄々とした様子を見せる男性が軽く口を開く。

「だってよ、フレン」

その口が呼ぶ名前にふと脳内を何かが過った。
その名前聞いたことがある。
そうだ、その名前はこの帝都ではとても有名な人の名前じゃないか。

「どうする?」

親しげに問われた金髪の騎士はその誠実そうな顔を一瞬顰めて、どうもこうも・・と小さく息を吐いた。
その後に瞳がすっと細められる。
全く害の無さそうな温和な笑みをしているようなのに、不意に増した威圧感に目が離せなくなる。

「上司と言われましても・・・、皇帝陛下は執務で忙しいお方ですので」

サラリと告げられたその内容に、さすがの老人も言われた意味をすぐに理解できずに口を開けたまま動きを止める。

「・・・フレン・シーフォ、帝国・・騎士団長・・?」

半信半疑の声が口から洩れて、その言葉に老人の目がコチラを向くのと同時に金髪の騎士がにこやかに微笑んだ。
さきほどの底冷えするようなものではない、意志のこもった青い瞳が真っ直ぐにこちらを向く。

「女性への不埒な行為並びに、店員への嫌がらせを含む店への営業妨害」

「ま、・・待ってく」

「複数の女性から陳情が届いています。・・騎士団へ同行願います」

焦るような言葉にも最早取り合わず、帝国騎士団長は強い口調できっぱりと言い放った。




「・・・先に説明できず、いきなりのことに申し訳ない」

「!!そんな、頭を上げてください」

きっちりと下げられた金髪を前に狼狽える。
あの後、一応事情聴取をさせてくれと申し訳なさそうに言う相手に勿論と店を手早く片付けて閉めてから、その場にいたメンバーに加えて少年一名と何故か犬一匹も増えてぞろぞろと大所帯でついて行けば、辿りついたのはザーフィアス城で。
戸惑う内に案内された先はまさかの、騎士団長の執務室だった。
こちらはもう恐れ多すぎてもうどうしていいか分からない状態だと言うのに、他のメンバーはびっくりするほどその空間に馴染んで、しかもめいめいくつろいでいる。
意味が分からない。

「緊張しなくても、何も心配することは無いよ」

周囲に目を走らせてカチコチで高そうなソファの真ん中に居心地悪そうに座るこちらを見てか、目の前の相手はついと言った風に目元を和ませた。

「部屋に連れ込まれて、取って食われそうだと思われてんじゃねーの」

何故かこちらに並んで座っている黒髪の男性がからかうように話しかければ、その言葉に騎士団長の顔がむっとしたものに変わる。

「取っ・・ふざけないでくれ、ユーリ!」

「へいへい」



ユーリと呼ばれた男性と私の間に座ってくれているクリティア族の女性に不意に話しかけられて、ドキドキしながらもハイと返事をする。

「私たち、あなたの知り合いに依頼を受けたギルドなの」

「ギルド?依頼って・・」

「市民街のワッフルが上手いカフェあんだろ?」

女性の向こうからひょいっと顔を覗かせたユーリさんに話しかけられて、それが昼時にお邪魔するワッフルとカフェオレが美味しいあのお店だと分かる。
となると、依頼をしてくれたというのは店員の・・。

「オレ、あの店の常連でさ」

あそこのワッフル美味いよなーという言葉に、確かにと頷く。

「依頼してくれた店員とも顔見知りでな、あんたが困ってるから助けてやってくれないかって」

私の身を案じてくれていた彼女だ。

「それから、さ」

ユーリさんとフレンさんの視線が一瞬交差する。
何だろう、と首を傾げればその言葉の続きを引き取ったフレンさんがにこやかに口を開く。

「君のところの店主とは、僕たち2人とも顔見知りなんだ」

「顔見知りっていうか、オレたちと同じ下町の出身で一緒に同じ先生に学んだ」

思わぬ言葉に目を丸くした。

「一緒に?あのでも、店長ももうおじさんって歳で・・」

「俺たちの倍とかそんなもんじゃねえか?」

「・・たぶん」

オレたちはさ、とユーリさんがフレンさんを指差す。

「コイツのおふくろさんの、ノレイン先生に文字の読み書きを教えてもらったんだ。それまではみんな本なんて読めなくってさ」

「・・あ」

懐かしそうな目をするユーリさんと、少し眉根を下げるフレンさんの話を聞きながら思い出したことがある。

「店長、あの今ちょっと体調崩しちゃってるんですけど」

「・・悪いのか?」

「あ、いえそんな大したことは!ただのぎっくり腰です」

重い本をいっぺんに運ぼうとして痛めてしまったのだ。
安静にしていればまた店にも出てこられる。
ただし、重いものを運ぶ時は手伝いを呼ぶこと。

「・・・大切にしている一冊の本があって。何度も読み古してボロボロなんですけど、ずっと大事にしていて」

フレンさんの顔をじっと見る。
彼のお母さんなのだ、きっと綺麗な人だったのだろう。

「ノレイン先生からもらったって、聞いたことがあるんです」

「え、・・母さんが」

「詩集のようでした」

いつも缶の中に入れていてちゃんと見せてはくれないんですよ、と笑えば少し泣きそうな顔でフレンさんが微笑む。

「・・ありがとう。大切にしていてくれて」

「店長にも伝えておきます」

言えば、そっと頭をふる。

「自分から言わせてくれ。それに・・」

「ちょっと見てみたいんだろ?」

ユーリさんの言葉に一瞬詰まって、それから頷いた。

「・・できれば」

「フレンさんにはさすがの店長も見せない訳にはいかないと思います」

「そうと決まれば店長の見舞いだな」

「そんな急に・・向こうの都合だってあるだろう」

いきなり言い出すユーリさんにフレンさんが慌てるが、ユーリさんは構わずこちらに身を乗り出す。
その腕がこちらに向かって伸ばされた。

「あんたが体張って守った店だって、ちゃんと言っとかねえとな」

伸ばされた手の平が頭の上をぽんぽんと優しく叩いていく。
思わぬことに、不意に視界がぼやけた。

「・・、気が緩んだのかしら」

「あ、っすいません・・」

ユーリさんと横の女性の視線が交わる。

「あなた、良く眠れてないって顔してるわ」

「フレン、事情聴取ってやつ明日とかでも構わないだろ」

「あっ、え」

大丈夫です、と言う前にさっさと横に座る何だか美男美女の2人が話を進めていってしまう。
慌てて視線を向けた先では、苦笑したように微笑む騎士団長がいて、何してるんだろう恥ずかしい!とポロリと零れた涙を急いで服の裾で拭おうとすれば、そっとその手が抑えられた。

「擦らない方がいいわ」

どこから取り出したのか、綺麗なハンカチでそっと目元を抑えられる。
間近で微笑む女性に色々と恥ずかしくて顔に熱が上がれば、少し脳がくらくらとした。

「よし、そーと決まれば客室借りるぞ」

「え、いいのフレン?」

「え、君たちも泊まるのかい?!」

背伸びをするように立ち上がったユーリさんの言葉に、青い毛並みのやけに眼光鋭い犬の隣の椅子に座っていた少年がやった、と声を上げれば慌てた様にフレン騎士団長が腰を上げる。

「帝都の治安を守るのに貢献しただろーが」

明後日の方向を見ながら片手をあげて、どうなんだ?とその視線を騎士団長に向けているユーリさんと、突然の申し出に困ったようなフレンさんをおろおろと見上げる。

「あ、あのゴメンなさい、大丈夫です」

両手を振って、用が済んだらすぐに帰る旨を申し出る。
そんなこちらを見たフレンさんは暫く考えた後、眉根を下げて微笑んだ。

「そんな顔の君をこのまま帰すなんてことは出来ないよ」

仕方が無いな、君たちの分も許可をもらってくるから大人しくしているように、と言いつけて騎士団長様は部屋を出て行ってしまった。

「あ、えっと・・」

「大丈夫。私たちも付いているわ」

「ボクたち、この城の中にフレン以外にも仲間がいるから困ったことがあったら何でも言ってね!」

胸を張って誇らしげ、というか自慢げにいう少年の言葉に驚く。
確かに随分と騎士団長と親しげだったけれど、他にも知り合いがいるなんて実はすごい人たちなのだろうか。

「何でもっていうのは、さすがに言いすぎだろボス」

「・・ボス」

「そうだよ!そういえばまだ自己紹介していなかったよね」

「あ、と申します。この度は本当にお世話になりました」

コホンと一拍置く相手にそういえば、自分もしっかり名乗っていなかったなと今さらながらの挨拶をすれば。

「ジュディスよ」

「オレはユーリ・ローウェルだ」

「ちょ、ちょっとみんな!それは僕がこう・・」

「おっと、ボス直々に紹介してくれるつもりだったか、悪ぃ悪ぃ」

「もー、ユーリ!」

「そして、あそこでユーリを叩いているのが、私たちギルド凛々の明星のボス、カロル・カペル」

「!ジュディスまで!!」

「そんでこっちがオレの相棒のラピードな」

よろしく(な)とニッコリと笑う、年上の綺麗な2人に完全にからかわれている少年、もといカロルくんが。

「ボス・・?」

「そうだよ!!」

拳を振り上げてどこか投げやりな返事に被さる様に、ワン!と元気よく鳴く犬。
何だか賑やかで面白い人たちだ。
つい笑ってしまえば、カロルくんは完全に拗ねてしまうしそれをユーリさんがまたからかい半分で宥めはじめるし、ジュディスさんはこちらを見て微笑んでいる。

「・・・ギルドの人って何か怖い人ばかりだと思ってました」

「あなたの考えを覆したのは、カロルのおかげかしら?」

「、そうですね」

面白そうに聞いてくるジュディスに、それもあながち間違っていないと頷けば耳ざとくその後ろの人たちが反応する。

「だってさ、聞いたかカロル。いやぁ、さすがはうちのボスだなー」

「え、えへへ・・僕のおかげ?そ、そうかなぁ?」

ここぞとばかりにヨイショするユーリさんにさっきまで卑屈な事を呟いていたのがウソのように照れた様に後頭部をかくカロルくん。
その足元で臥せって欠伸をしているラピード。

「飽きないわ」

カロルくんの純粋さに少しばかり彼の行く末が心配になったが、ただの仕事仲間という以上に家族みたいな温かさを感じるやりとりに見ていて心が和む。

「何かあったらまた、力になれると思うわ」

微笑むジュディスさんに、今回のことが終わってもどこかでまた彼らと出会えたら良いなと笑い返した。




◆アトガキ



2016.11.8



こういうこと言う人って本当に多いなと、みんなにすっきり成敗してもらいたい気持ち一杯です。
危うくジュディスお姉さまの膝の上でお休みエンドしそうでした。
凛々の明星のフェロモンズは人を落とすの得意そう。
色んな意味で。



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