あー、喉が痛い。
これは嘘のつきようもないごまかしも効かない完全なる風邪っぴきだ。
情けないな、なんて思ってはあれこれ原因を考えるけど、結局のところ普段からきちんとしたり気を使ったりしないずぼらな自分が悪かったのだろうと原因探りに収集をつける。
だってもうなってしまったのだ。
今からどうこうしようが仕方がなく、いま自分ができることといったらこの風邪を治すことのみ。
それしか無い。
「あ゛ー…、……」
枯れてガラガラの声。
ヒリヒリしているから息を吸うのも嫌になりそうだ。
何をするでもなく、マスクをして加湿器をつけた部屋でまんじりともせずに過ごしている。
暇だ。
休みの日で良かったけれど、一日こんな気持ちで過ごすのかと思えばいつもやらないことが不意にやりたくなる。
大人しくしていなきゃならないと思った途端、動き回りたくなる。
天邪鬼な精神だ。
「ひま…」
呟いたって返事が返ってくることはない。
こういう弱った時に一人というのは本当に心細くなるもので、早くも誰かに会いたくなる。
「………」
携帯を開いてはアプリを眺めたりニュースを見たり、目が疲れては閉じてとただひたすら無意味な時間が過ぎていく。
アドレス帳の中に入っているその番号を、押しそうになっては思いとどまるのも嫌になって携帯を枕元に放り出した。
カタンと音がする。
そんな寂しく思うような子供じみた思いでは無くて、ただ暇なんだ。
何となく話がしたくて声が聞けたらいいとか、そんなもの。
…嘘です、心許なくて側にいて欲しいなとか思ってます。
「はぁ、」
思わずため息が出る。
ダメだ。
電話なんぞしようものなら、何があったと聞かれて、何もないと答えても当然のごとく疑われるし下手をすればバレる。
というか、こんなヒドイ声だバレない訳がない。
あいつは口が悪いけど優しいから、心配をかけるしひとり暮らしだと知っているから、もし暇なら何だかんだ言って世話を焼きに来るだろう。
うつしてしまうかもしれないし、やっぱダメだ。
何弱ってんだ自分、しっかりしろ!
いやまぁ本当に風邪なんぞ引いた自分が悪いんだけど、なんで引いたかなー…
ブーッ、ブーッ、ブーッ、
「わぁあっ」
枕元で唐突に唸り始めた携帯に思わずビクッと体を引く。
尚も唸って存在を主張しつづける携帯をしばらく眺めるも止まる気配がない。
メールではないようだ。
だとすれば、電話?
今度こそ急いで掴んで慌てて開いた途端に、着信を告げていたバイブ音はピタリと止まってしまった。
間にあわなかった。
少しのガッガリ感と何となくの安堵、そして好奇心から誰からの着信なのかと画面を操作して表示させて、
「げ、」
それがさっきまで考えていた相手だったことで、無意識の声が漏れる。
なんの用事だろうか、惜しいな出られれば良かった。
いやいや、そうじゃないだろう。
今は不味いって、さっきまで散々悩んでいたじゃないか。
留守電には何のメッセージも残すことなく切られたその着信履歴を前にしばし思考が停止する。
ブーッ、ブーッ、
「うぁっ、ハイっ」
ビックリして意味のない返事をしながら、またも鳴り出したその画面に表示されたのは、何というかそうだろうとは思ったが、またそいつの名前だった。
ユーリ・ローウェルと表示された画面を見て指先が戸惑うように固まる。
出ようか、出まいか。
携帯の相手が今何をしてるかなんて分かるわけもないから、相手が出ないことなんて珍しくも何ともないことだ。
でも、これをまた無視したら?
どうしたものか迷いに迷って、葛藤すること数秒。
「…は、いー」
出てしまった。
馬鹿か自分。
でも、声が聞きたかったんだと正直な自分が心の中で言い訳をする。
「いるんなら、さっさと出ろよ」
早速の文句だ。
いやいや、何かしてたかもしれないでしょうが。
…実際は何もしてなかったけど。
「おーい、?」
「あ、はいはい」
さっきまで考えていたこととか、不意打ちで来た電話に何を話せば良いんだと思考する頭で、つい無言になってしまった。
慌てて反応を返すも、何故か相手も無言。
「…、なんかお前声おかしくないか」
わー、ほらー!
早速バレてるじゃないか!
急に低くなった相手の声に、待った待ったと焦る。
「ぇ、気のせいでしょ。…それでなんの用?」
慌ててマイクを塞いでゴホゴホアーアーとボイステストをしてから、返事をする。
よし、そんなに変な間は開かなかったはずだ。
必死にごまかしては見たがさてどうだろう。
「んー、そうかあ…?まぁ、いいか」
よし、関門はすり抜けたと内心でガッツポーズをする。
さあ、何の用だ。
「お前、いま暇?」
暇だったら何だと言いたいが、あいにく暇ではない。
絶賛風邪療養のための自宅謹慎中である。
「うう゛ん」
あ、今2個めの「う」になんか変な痰が絡んだみたいな濁音が入った。
「……」
や、やばい。
返事に対して無言だ。
何を考えてるんだ、この間が怖い。
ユーリが何か言い出す前にと、またもマイク部分を指で覆ってゴホゴホアーアーを繰り返す。
「なあ、」
そんな手に持つ携帯のスピーカーから聞こえてきた、訝しげな相手の声にギクリとした。
いや、これはまさか、
「やっぱお前、何か声変」
わー、合ってるけど、合ってるけど…!
「失礼な」
「いつもより、高めっていうか…もしかして」
や、やめろ、言うな!
声の高さなんてだいたいこんなもんだろうと思うが、喉をあまり震わせないようにと無意識に声帯が配慮をしてしまったらしい。
「風邪でも引いたか?」
わー、だから何でいつもあんたはそうやって、無駄な鋭さを発揮するんだよ!
だいたいがいつも大雑把で気づいて欲しいところにはとんと気付かない鈍感な無頓着のくせして!
なんて答えたらいいんだ、とあわあわしていたがその間が既に答えとなっていたらしい。
確信を持ったように「ふぅん」という声がスピーカーの向こうから聞こえてくる。
「いやいや、心配には及ばないから」
大丈夫、ノープロブレム、無問題と心中で連呼するも。
「んじゃ、今から行くわ」
「おい待て人の話を聞こうか」
しかも今からって、いやいや本当に待とうか。
部屋着だよ?
布団でごろごろしてたこら髪の毛ボサボサというか、スッピンだし部屋も片付けてないしとにかくダメだって。
「来ても開けないよ!?」
「何でだよ」
何でだよじゃないよ、むしろこっちが、何でだよ、だよ。
「あー、部屋の中散らかってんだろ」
んなの気にしないけど、と続ける相手に、そりゃユーリの部屋もとっ散らかってるもんねと答える元気もない。
「ゴホッケホ…!、あ」
何か言わないとと思って開いていた口が咳き込んで、思わず塞ぐも時すでに遅し、痛いほどの沈黙がスピーカーを無音にさせた。
「あ、いや本当に大丈夫だか」
「思ったよりひでえな」
なんとなく弁解のように言い訳をしようとしている声に、電話向こうから静かな声音が被さる。
あー、何を考えてるのか分かるような気がする。
これだから連絡取らなかったんだよとため息を吐いても遅い。
こうなればもう、次はおそらく。
「分かった。待ってろ」
やっぱりこうなった。
あー、と携帯を耳に当てる手とは逆の腕を目の上にパタリと倒す。
おい、聞いてんのか、ー?お前、今朝は何食った?とスピーカーから漏れる声を、無意識に聴きとっていく自身の聴覚を恨めしく思う。
いっそ切ってしまおうか。
…いや、それは後が怖いからヤメておこう。
「…んじゃ、イイコにしてろよ」
あれこれ話していたようだがろくに返事がないことにため息を吐かれ、後に切られてしまった。
携帯を持つ手から力が抜けて、カタンとまた音がする。
あーもう、来る気だよあいつ。
どうすればいいんだ。
着替えなきゃいけない、髪を梳かさなければいけない。
メイクはもう下地くらいで…、いいやもうスキンケアだけにしよう。
どうせまた寝るんだ、落とす手間を考えてそんな気力湧くはずもないとメイクはカットすることに決める。
あー、来たら鍵開けないといけない。
「めんどくさい…」
思わず口に出した声は全く元気のない枯れたボソボソとした声だったけど。
ダメだ。
情けなくも自分はこの来訪を嬉しく思ってしまっているらしい。
マシな部屋着はどれだったろうかと、抑えた口元から漏れた吐息は、どうやら安堵のため息だった。
◆アトガキ
2017.3.21
一か月も長引く風邪なんて引いて休みを全部潰して安静にしてたのに全然治らなくて本当に笑えなくなってました。
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