一
声にならない悲鳴のようなものが聞こえて、慌てて隣の部屋に駆け込んだ。
「どうしたっ」
は入ってすぐの壁に張り付くようにして、声を上げた口元を抑えている。
その目が凝視しているその先にいたのは、黒光りする・・・。
「・・・・ゴキブリか」
脱力して呟けば、その名を口にするなと言わんばかりに瞠目される。
てか、こっちは何があったのかってひやひやさせられたっての。
「・・・・・」
嘆息しつつちょうど手の届くところにあるティッシュボックスを持ち上げる。
「!!素手!?」
「いや、ティッシュあったら素手じゃねえだろ・・・」
驚愕の声を上げるの前で箱を振り上げれば、待ったがかかった。
「・・何だよ、このままでいーのか?」
「良くないっ良くないけど、叩き潰すのはナシっ!!!」
ぐちゃっとか、体液が!とか、わざわざ自らグロいことを言って顔を青くさせている。
「じゃあどーすんだ」
玄関にゴ●ジェットがあるはずと、指で指示される。
「私、見てるからっその内に!!」
「へーへー」
早く取りに行けと言わんばかりのに押し出されるように部屋を出る。
っつっても、部屋出たらすぐに玄関なんだけど。
どこに置いてあるんだと玄関内に目を走らせて聞いたほうが早いかと口を開きかけたところで、下駄箱の脇にそれらしき缶が置いてあるのが見えた。
拾い上げて部屋に戻ろうとした瞬間、いきなり飛び出してきたと見事に衝突する。
「なっ、んだよ、あっぶねえ!」
突っ込んで来た勢いのまま、脇を擦り抜けたいのか何なのかしがみつく体を、仕方なく缶を持ってない右手で受け止める。
「足っ足っっ!?」
パニックになったように小さくジャンプしながら叫ぶ、その足元に嫌な音と共に接近していくのは。
「・・・ああ」
どうやら膠着状態を止めてこちらに向かってきたらしい。
丁度見下ろした視界に入った平べったい生物に向かって、慌てず騒がず左手のスプレーを噴射した。
「いやっ!!!」
その噴射音にびくっと反応したは、腕の中からも全力で逃れて背後に張り付く。
「・・・・・」
噴射音が止んで、部屋の中が静かになる。
「ど・・・どうなったの!?」
安全だと確信が持てなければ動きたくないと言わんばかりに、強張っている両手が自分のシャツの背中側を掴んでいるのが分かる。
見たくは無いけれどどうなったかが気になっているのだろう、そわそわと落ち付かなげにしている背後の気配につい笑みが浮かんでしまう。
「無事、仕留めましたよオネーサン」
言えば、背中にひしっとしがみついていたは、そのままはあああっと安堵の息を吐いている。
肩越しに振り向いて、背中に顔を埋める頭をぽんぽんと軽く叩いてやった。
くっついているところから感じる温かな体温に、くすぐったいようなむず痒いものを感じる。
小動物みたいになってるは可愛い。
振り向いてぎゅっと抱きしめてやりたくもなるが、まずは足元の死体の処理もしてやらなきゃ駄目だろう。
「ほら、離れろって。・・・コロッと転がってるこれ、そのまんまで・・」
「すいませんが、本当によろしくお願いいたします」
ぺこっと下げた頭が背中にぽすっと埋まる。
何だソレ反則だろ、とか言いたくなるのを堪えて、ちょいちょいと手を振って下がってと合図をすれば、ダイニングキッチンまで後ずさってから新聞に挟まっていたチラシを数枚寄越してきた。
これで包んでしまえってことなんだろう。
受け取ったチラシで足元に転がる黒いもんを摘んで、スリッパでくしゃっと踏んで止めを刺す。
これでもかっていうくらい包んでからゴミ箱に捨てようと一歩歩けば、がチラシを渡しに来た距離から一歩後ずさる。
「・・・・・・」
何となく。
何となーく意地悪がしたくなって、そのまま更に数歩近付いてみる。
勿論手に摘んでいるものの中身が見えることはないし、止めを刺したので間違っても動くことは無い。
どっからどう見てもただのチラシの塊にしか見えないけれど、からしたらこれは宿敵が潜んでいる恐怖の対象なのだろう。
中が透視出来ているかのように顔を引きつらせて、首と両手をぶんぶん振って後ずさる。
「ユ、ユーリ・・・」
眉根が力なく下がって、泣きそうな顔でこちらを見ている。
何だこの生き物、本当にカワイイ。
上がりそうになる口角は何とか抑えていたが、どうしたって隠しきれるものじゃない。
「た、楽しんでるでしょ、ひどい!!」
「あー・・・うん、楽しい」
必死に訴える様子も堪らない。
自分ってこんなにエスっ気あったんだなーと、新たな自分に目覚めそうな勢いだ。
でもやり過ぎは良くない。
何事も程ほどにしないと、・・・ほら、さっきまで泣きそうだった顔が徐々に怒りに変わろうとしている。
「冗談だよ。これは?そこのゴミ箱でいいのか?」
聞けば、ビシッと音が鳴りそうな勢いで指で指し示される。
口がへの字になっている。
ちょっとやり過ぎたらしい。
大人しくゴミ箱に捨てて、そういや明日が回収日だったなと袋の口も更に縛る。
玄関に置いてきて新しいビニールをゴミ箱にセットする。
・・・ここでの生活に慣れすぎている気もする。
「あ・・ありがと」
「おう」
おふざけに怒りかけていたのもあってか、その顔は実に複雑そうだ。
でもさっきのことを回想すれば・・・あー、ぎゅってしてやりたい。
伸ばしかけた手は、だが見事に空振りをした。
さっと避けたにビシィッと指差されたのは・・・。
「・・・へいへい」
まあ、そうなるか。
まるで本当にペットにでもなったかのようだ。
ハウス、じゃないが無言で指示された通りに洗面所で両手を洗う。
もちろん、ハンドソープでがっつり洗った。
かけてあったタオルでしっかり水気を取って、振り返ろうとした。
「!!っと・・・・おーい?」
後ろから腰元に衝突してきた相手に呼びかける。
俺としてはそんなちょこっと服摘むとかじゃなくて、もっとこう腕を回して全力で抱きついてくれても良いんだけど、とか思う。
まあ、これはこれでも良いんだけど、な。
「どうした」
「・・・かった」
「・・ん?」
くぐもってよく聞こえない。
もう一度と促せば、柔らかいものが背中に張り付く。
残念ながら胸じゃないけど、その柔らかさも嫌いじゃない・・・好きだな。
「ユーリがいて、良かった・・ありがと」
「・・・だから、そういうの反則だろ・・」
「?・・え?」
その威力って言うか破壊力に気付け。
くるりと振り向けば、きょとんとした顔がこちらを見上げている。
無言で見下ろしたまま、押し当てられてた頬に触れる。
ふにふに柔らかくって、かじったら甘そうで。
「え・・ちょ、ユーリっ」
今更慌てたって、遅い。
右腕を腰に回して逃げ出せない程度に捕獲。
左手の指先でそっと撫で上げて、顔を寄せれば真っ赤になって離れようとする。
・・・させねーっての。
「ご褒美、ちょーだい?」
「!!・・ユッ」
が何か言う前に、その朱に染まった頬をペロリと舐める。
びっくりしすぎ。
落ちちゃいそうなほど目が真ん丸なんですが。
「・・・ん、甘い」
「っ!!んなっ・・な・・」
もう1回舐めてやろうと思ったけど、言葉にならない声を発したは頬を手で隠した。
ご丁寧に両手で両頬を覆っている。
「・・・ふうん」
それでも俺は別に構わない。
てかそのポーズ、かわいいだけなんですけど。
何をされるかと目がうろうろと落ち着かなくさ迷う相手の、防御力ゼロな鼻先をぺろりと舐める。
「ひゃ」
目を瞑ってきゅっと首を竦める、その唇の端にちゅっと口付けを落とす。
「!!!っ・・ユーリっ!!」
「言いつけは守って、口にはしてないだろ?」
「~~~っ!!」
「何だ、して欲しかったのならそう・・」
にやにやと笑って見せれば、むっと眉をしかめる。
次の瞬間には思わぬ速さで、その両手が伸びてきた。
バチンッ
「・・・っってえ!」
「・・・ふん」
衝撃から立ち直れば、じいいんと痛みを発する頬。
じわじわと熱くひりひりしてくる頬に己の手を当てて、何とか冷やそうとする。
人の両頬を両手ではたいた相手は、囲っていた腕が無くなると同時にさっと離れてから、腕組みをして仁王立ちしている。
その目は鋭い。
「・・・・倒してやったってのに」
「ええ、だからご褒美」
「・・・・・」
「もっと欲しいなら、遠慮しないけど」
「・・・・十分デス」
当分、怒りは収まりそうに無い。
溜息を吐いて、火照った頬に手の甲を押し当てる。
また奴が出てこないかなと、ついダイニングキッチンの隅を見渡してしまった。
◆アトガキ
2013.11.20
早く全滅しろー!!
某番組でヤツを飼うとか、た・・TABERUとか言ってましたがアリエンデス。
ヤツを倒せる方がいない場所では暮らせない・・・。
background by Blancma