一
ガリガリ、ボリボリ、ガリボリ・・・
食べ終わってしまえば、またグラスに手を伸ばしてアイスコーヒーの中を漂う氷をスプーンで掬って口に運ぶ。
ひんやりとした氷は少し口に大きくて、でも1、2度噛み砕いてしまえば、すぐに小さくなって溶けていってしまう。
膝の上に雑誌を広げて、そこにグラスの外側に付いた結露が落ちないように片手を添えながら、また次の氷を食べるためにグラスに伸ばした手が。
「・・・、ん?・・???」
スカっと見事に空振りをした。
さっきそこに置いたグラスが無いと、置いてあった痕跡だけが残る濡れた横の机をペタリと触る。
管理人の窓口の椅子に座ったまま、空ぶった手に首を傾げて振り向きかけた。
「・・なあ」
「!?ひぁっ」
頭上にコツリと何かが置かれて、ひんやりとした冷たさが脳天に触れる。
ついでつうっと落ちてきた滴が耳を掠めて首筋へと垂れていった。
「冷たっ・・ユーリ!」
いつの間にか後ろに立っていたのか、人のグラスを取っておいてそれを頭の上に置いたユーリが何とも言えない顔でこちらを見下ろしている。
頭上のグラスを倒さないように片手を添えてそれを返してもらえば、暑いとぼやく彼の、ポニーテールに結んであげた髪がふらんと揺れた。
「・・・さっきから氷ばっか食ってて・・大丈夫か?」
手元のグラスの中には、小さくなった氷が数個浮いている。
見れば食べたくなる衝動が抑えられなくて、スプーンで掬ってまた口に運んだ。
ポリポリと冷たい塊を噛み砕いていく感覚が心地よい。
後に残るのはスプーンで掻き混ぜる要素などどこにも無いブラックのアイスコーヒーだけだが、溶けた氷でだいぶ薄まっている。
「だって、暑いんだもの」
また氷を足しに行かなければと立ち上がりかけた腕に、自分のよりだいぶ熱い手のひらが触れた。
「あっつ!ユーリ、暑い」
「・・あー、お前の腕ひんやりして気持ちいい」
「ちょっ」
暑いから離してともがくのも気にせず、ユーリの体温が高い手のひらが素肌の腕にまとわりつく。
半袖シャツの二の腕をお気に召したらしい、そこを握られてひとしきり揉まれる。
だがこちらはそれどころではない。
「ユーリ!」
熱いわ、揉まれるのが耐えられないわで名前を呼べば、勝手に堪能しているユーリの目がふっと細められた。
「二の腕の柔らかさって・・」
「・・っ!・・っっ」
胸の柔らかさって言うよな、と耳元でセクハラ発言する斜め後ろの相手に向けて、思い切り椅子を引いた。
「っっつ!!」
作りの良い背もたれの高い高級な椅子に体当たりされてよろめいた相手は、背後の棚に後頭部をぶつけたらしい。
勝手に人の腕で涼をとって温まっていて手が離れて、頭を擦っている。
その横をさっさとすり抜けて冷凍庫を開けた。
自動的に氷を生成してくれる冷蔵庫には感謝している。
氷をプラスチックスコップでがっと掬って、薄まったアイスコーヒーの入っているグラスにザァッと流し込む。
グラスの縁を少し越えるくらい盛ってから、その隙間にアイスコーヒーを注ぎたした。
「コーヒー飲みたいのか、氷食べたいのか・・どっちだよ」
「ただ氷食べてたんじゃ味気ないじゃない」
コーヒーを少し飲みつつ、コーヒー味の氷に齧りつくのが至福なのだと言えば、後頭部を擦りつつユーリはやっぱり微妙な顔をした。
「暑いってのは分かるけど、な」
その指がそっと顔に伸びてくる。
避ける間もなく、長い指先ですっと目元をなぞられた。
「顔色が、悪ぃ」
「・・・いつもとそんな変わらないよ」
「いや。確かにいつも白いって思ってたけど・・・青白い」
眉をひそめたしかめっ面に覗き込まれて、反射的に俯いて後ずさる。
距離が開いたことで宙に浮いた指先が、すっと視界を下がっていってぎゅっと拳を握るように力が込められたのが見えた。
「・・最近、食欲落ちてるよな」
「・・・・味が濃いものと揚げ物はちょっと」
「それだけじゃないだろ」
即座に返されて、それ以上言い返す気力を失くす。
暑くて食欲が無い。
朝はアイスコーヒーだけで過ごすことが多く、昼はパンを少しかじる程度。
夕飯は主に冷奴とニンジンやキュウリをスティックにしたり、トマトを添えたりと、サラダ的なもので済ませてしまう。
ちなみにユーリは朝からパンを焼いて、昼は何やら炒め物を作って、夕飯はそれの残りとサラダを共有しご飯も添えて、しっかり3食食べている。
「氷ばっか食ってると腹壊すだろうが」
溜息を付いた手に再度グラスを取られて、思わず恨みがましい目を向けてしまう。
おそらく、自分の腹というか腸辺りが弱っていて、消化する能力も栄養を吸収する力も衰えているのだろう。
栄養も足りず血液が作れずに血色が悪くなり、体内温度の調整がうまくいかなくなり、氷を食べて何とか体内を冷やそうとする。
そして氷や冷たいものばかり摂ってしまうことで、お腹が冷やされて更に弱っていく、この悪循環。
これじゃ駄目だと頭の隅では分かっていても、どうしてもやめられないのだ。
そんなことを考えている間も、二の腕にまとわりついたような熱はなかなか離れていってはくれなくて。
仕方なしに、グラスを取り返すことは諦めて扇風機を回している小部屋に戻ろうと踵を返した。
「 」
「・・・・」
振り向いた目の前にグラスを突き付けられる。
返してくれるとは思わなかったから驚いてそれを見れば、苦笑したようにユーリの手がこちらの手を掴んでグラスを持たせた。
「ちょっと買い物してくる」
「え・・うん・・?行ってらっしゃい」
大人しくしてろと、何故か頭を軽く叩いて手早く出かける支度をした相手はさっさと靴を履いて出ていってしまった。
「・・・・・」
窓口を通り過ぎるユーリのひらひらと揺れる手に手を振り返して、一本に結んだ髪が視界から消えるまでぼおっとそれを見送った。
横の机に置いたグラスの中で、氷がカラリと溶けて触れ合う音がした。
「 ・・・、」
そっと肩に触れるものを感じる。
ゆさゆさと揺さぶられて、薄らと開いた視界は薄暗い。
思わずハッと目を見開いた。
「やっと起きたか」
少しほっとしたような顔が、飯にしようぜと明るく笑いかける。
それより何よりと、起きてキョロキョロと辺りを見回せばいつの間にか自分は寝室のベッドの上にいた。
「え?・・・え!窓口っ」
夏になり日が長くなったとはいえ、薄暗いカーテンの向こうを見て頭の中がパニックになる。
今は何時で、窓口を閉める時間は何時だったっけと混乱しながら立ち上がれば、部屋を先に出ようとしていたユーリが窓口は閉めたとアッサリと答えた。
「・・え!?」
「帰ったら寝てるのが見えて・・・焦ったっての」
カーッと顔に熱が集まるのが分かる。
窓口のカーテンを開けっぱなしにして転寝をしてしまったとは、いくら何でもそれは駄目だろうと、やってしまったことに大いに落ち込む。
気落ちして一気に暗くなった顔に、ユーリが苦笑した気配が伝わってくる。
「まあ、俺が出かけて帰ってくるまでの間だから、30分もあるかないかくらいだし」
その間に出入りしたやつにはバッチリ見られただろうけどな、と少し意地悪そうに言ったユーリは、さっさとキッチンに立って何やら作り始めてしまった。
「・・最近、寝付きも悪かったろ」
トントンと包丁を動かしつつ、フライパンを温めて油を引く。
その動作に合わせて揺れるポニーテールのしっぽを見るともなしに眺めてしまう。
ちらと振り向いたユーリは、まだ眠いならそこに座って待ってろとダイニングテーブルを顎で指し示す。
正直またぼおっとし始めた頭を持て余していたので、 は厚意に甘えて椅子に腰かけた。
テーブルに頬をペッタリと付ければ、少しひんやりとして心地よい。
視界では手慣れた様子で、切った青菜と肉を炒めているユーリの背中があった。
「・・・・・」
誰かが一緒にいるということは、こうも心強いんだなと思う視界の端に、何やら手の平に余る大きさの箱が入ったビニール袋が見えた。
何だろうとそれをじいっと見ていれば、ごま油の食欲をそそる良い匂いがふんわりと近づいてきた。
いつの間に炒め終わったのか、両手に皿を乗せたユーリがそれをテーブルに並べながら、 の視線の先を追って足元に置いたままのビニールを見る。
「・・ああ。ちゃんとこれ食べきったらご褒美、な」
「・・・・?」
のっそりと頭を起こしつつ、これまたいつの間に炊いていたのかふんわりと盛ったご飯に梅干しを添えているユーリを見上げる。
「カリカリ梅・・・」
「俺はこっちのが好き」
「・・・私も」
そっか、と嬉しそうに笑うのにつられて微笑む。
最後に麦茶を注いだグラスをコトリと置いて、ユーリが向かいに座る。
箸をとる。
「いただきます」
「めしあがれ」
そっと両手を添えて、ご飯のお椀を手に取った。
自分で夕飯を作ると思うと、温かいものは何となく避けてしまった。
炒め物も、作っている間に熱くて辟易してしまって。
だから豆腐をさっと切って野菜を添えて、ドレッシングを変えれば味付けにバリエーションも出るからと、それで済ませてしまっていた。
「温かい」
ご飯をもぐもぐと頬張りながら梅干しを齧れば、酸っぱさが口内に広がって思わず眉をしかめてしまう。
でも、箸を止める気にはならなかった。
温かいご飯は、それだけでも甘く体内に染み渡る。
「・・・・豚肉?」
「レバー」
「・・・う」
「好き嫌いせずちゃんと食え。・・鉄分足りなさすぎ」
向かいで箸をすすめる相手にちらと睨まれて観念する。
チンゲン菜とニラと一緒に口に運べば、思ったより生臭さが無くてびっくりした。
「味付けは?」
「酒と醤油と生姜、後は香りづけにごま油」
「・・美味しい」
「そりゃ良かった」
作った甲斐があったってなもんだな、とユーリは満足げに笑う。
珍しくテレビも何も付けずにいた静かな食卓は、黙々と箸を進める私を先に食べ終わったユーリが見守るという、何だか気恥ずかしくも感じるものだった。
開け放した窓から申し訳程度に入ってくる微風に揺れる草木の音と、やっと鳴きはじめたセミの声、それと麦茶の入ったグラスの中で、氷がカラリと溶けて触れ合う音が微かに響き合う。
「ごちそう様でした」
「お粗末さんでした」
食器を重ねて持っていこうとするユーリの手を遮って、洗い物はすると申し出た。
「んじゃ、任せるわ」
「うん」
シンクで泡立てたスポンジをお皿に滑らせていると、足元でユーリが何やらごそごそと取り出した。
ビニールに包まれていた箱にちらと見えた文字に目を見開く。
しゃがんでいたユーリがこちらを見上げて、片目をパチンと閉じて笑う。
「ご褒美、な」
立ち上がって開いた箱に覗くのは、頭に銀色のレバーがついているペンギン型のかき氷機だった。
渡されたそれを軽く水でゆすいで、布巾でサッと拭いて返す。
棚から透明で小ぶりのガラスの器を二つ出して手渡せば、サンキュとユーリはそのひとつをお腹の空洞にセットした。
冷凍庫から取り出した氷をガラガラと入れて、レバーを握る。
洗い物を終えてそれを見ていれば、ギギギっと抵抗を示すレバーを加減した力でユーリが何とか回し始めて。
「買って早々壊しちゃったりして」
冗談めいて言えば、ムっとしかめた顔を返される。
「言うな。本当に壊れたら凹む」
徐々に上手く回り始め、シャリシャリと少し荒目だが削られた氷が器に落ちていく。
時折止めては少し場所を変えてと、綺麗な形に氷を盛り付けていくユーリの手が途中で止まった。
まだ氷は山の形にはなっていない。
「氷?足す??」
「それもあるけど」
ユーリが開いたのは冷蔵庫で、それも一緒に買ってきてくれたのか手には3色のビンがある。
赤と青と黄色のそれは、イチゴとブルーハワイとレモンのかき氷シロップだ。
「使いきれないよ」
つい、ふっと笑ってしまう。
どれが良いかと尋ねられ迷った末にイチゴを指差せば、ユーリは残りの2本を冷蔵庫に戻した。
「んじゃ、俺もイチゴだな」
そう言って、作りかけのかき氷に赤いシロップをかけていく。
かけた器を再度戻して、その上からまた氷を落としていった。
イチゴの濃いピンクが、ふんわりと氷に埋もれて淡い色になっていく。
「・・こんなもんか」
今度こそ綺麗な山形に氷を盛り付けて、その上からまたシロップをかける。
少し崩れてしまった形がもったいないなと思っていれば、ユーリが思い出したかのようにまた冷蔵庫を開けて何やら取り出した。
「やっぱイチゴにはこれだろ」
「・・・練乳」
さすが、甘党だ。
ユーリらしすぎて笑えば、反射的に少し寄せられた相手の眉は、笑いをこらえきれない につられたようにふっと和む。
「ほい」
「ありがとう」
小さなスプーンを添えて、先に出来た方を渡してくれる。
続けて自分の分を作り始めるユーリを待っていようと思えば、ぐるぐるとレバーを回して氷の山を作る相手はちょいと首を傾げて、それから小さく笑った。
「溶けちまう前に、さっさと食えよ」
「・・・うん」
サクッと山に差したスプーンで、イチゴシロップと練乳が混じって淡い桃色に染まった氷を一口掬う。
口に運べば、いつものように噛み砕く楽しみは無いけれど、優しく甘く溶けていった。
◆アトガキ
2014.8.5
アイスコーヒーとチョコミントアイスがあれば幸せです。
でも本当に、腸様との戦いが半端ないです。
そろそろ、せめてコーヒーには慣れて欲しいのですが・・駄目ですね。
background by Blancma