〇●● 彼女の甘やかし方






ポツポツと顔に、肩にあたるものを感じる。
降る前に帰れるかと思っていたけれど間に合わなかったかと若干足を速めに運ぶ。
まだ傘はささなくても良さそうだと思っていたが、そう思う間にもどんどん雨粒が大きくなり地面の染みはあっという間に繋がって歩く足元を濃く塗り潰していった。

「・・・・・」

一瞬迷ったがまだいけそうだと、折りたたみ傘を出そうか迷う手をバッグから離す。 だってもう後少しだったから。
後2つ角を曲がれば…。

「・・!?」

ザァアッ、と急に雨音が激しくなって最後はさすがに駆け足でエントランスに駆け込んだ。
小さくため息をつきつつ鍵を取り出そうとバッグを探る手に、淡く光を点滅させる携帯が触れる。
何だろうと探す利き手とは逆の手で携帯をいじれば。

「・・、げ」

着信が数件。
何処からといえば、この今まさに開けようとしていた扉の中からだった。
無言で携帯の画面から視線を逸らす。
これはもしかして、もしかするとと、折角バッグの中から鍵を見つけ出したものの差し込むことを逡巡していれば、不意に内側でガチャリと鍵が回る音がする。
そして呆気なく扉は開かれた。

「・・・・・」

「・・・・・」

見つめ合うこと数秒。
実に無表情の相手にそっと視線を足元に落とせば、濡れた靴の暗い影にまたポツリと水滴が落ちる。
自分の髪の先から垂れた滴を拭いもせずにいれば、頭上から相手のため息が降ってきた。

「・・・お、怒ってる?」

「・・・・・そー見えるんなら怒ってんだろうな」

余りにも無言の相手に恐る恐る声をかければぶっきらぼうな声が返ってきて、気まずさに更に目を泳がせれば玄関の内側、壁に立てかけてある2本の長い傘が目に入った。
いつもは置かない場所にある揃えられた傘。
気付かなかった着信とその並んだ傘が示すものは言わずもがなで、相手もこちらの視線に気付いたようにまた小さくため息を吐いた。
迎えに来ようとしてくれていた彼に何か言わなければと口を開きかけたところで、ぐいっと腕を捕まれて今更ながらに玄関の中に引き込まれる。

「・・ぁ、・・・っ!ちょ、ユー・・ぅぷ」

そのまま抱き込まれるように引き寄せられたかと思えば、背後に伸びた手が扉を閉めて鍵をかける。
ガチャンと鍵が回る音がするも、相手の体とぶつかって視界は真っ暗だ。
勢いでぶつけた鼻先をさする間もなく、体が微かに浮遊するような感覚に思わず目の前の相手にしがみついた。

「何して・・、ユーリ!下してってば」

「あー、はいはい。靴は後で揃えといてやるから今は大人しくしてろっての」

おもむろにしゃがみ込んだかと思えば腰に回された腕にひょいと抱え上げられ、靴を勝手に脱がせてポイポイッと玄関に放ってしまう。
そのまま問答無用とばかりにくるりと方向転換して歩き出すその振動に、不本意ながらその背中に手を伸ばしてしがみつくしかなく、そうして米俵のように担がれて運ばれた先は、やはりというかお風呂の脱衣所だった。
放られると思いきや、思いのほかそっと下されて自分の住んでる場所で間違いないのに所在無げに目をうろつかせてしまう。
それをちろりと見下ろしてすっと歩き去ったかと思えば、またその顔がひょいっと覗いた。

「ちゃんと温まってこいよ」

「・・っぶ」

言ったかと思えば、視界が真っ白でもこもこしたものに覆われる。
軽く振りかぶったユーリが放って寄越したタオルは間に合わず顔面キャッチしてしまった。
ずり落ちそうなそれを慌てて手で押さえる。
それを見届けたのか、軽く笑うような声と共に洗面所の扉が外から閉められた。




「・・・口、尖ってる」

風呂から出てきたはどことなく拗ねた顔をしながら濡れた髪をタオルで拭いている。
温まって血色が良くなった頬を伸ばした指の背で撫でてついでと言う風に唇の上をそっとなぞれば、眇めた目がちらとこちらを見上げた。
不服そうな顔をしながらも払われはしなかったが、ぷいっとそらした顔をタオルで隠すようにする辺り、拗ねている自分を自覚しているのだろう。
顔色は陰ったせいだけでなく白く唇も少し青ざめていて。
掴んだ腕が冷え切っていたからもう問答無用で風呂場に押し込めてしまったけれど。

「ほら、」

そのまま無言で頭を拭いている肩をそっと押してリビングの椅子に座らせる。
その前に電子レンジから取り出したホットミルクを置いて、用意しておいたドライヤーをオンにした。

「い、・・いい」

椅子までは大人しく座ったものの、ドライヤー音に少し驚いたように奪い取ろうとするの腕をかわして上から温風を向ければ、舞い上がる自分の髪に視界を遮られてはぎゅっと目を瞑った。
タオルは肩にかけて手でわしわしと少し強めに髪に風を当てていけばその動作に細い首がぐらぐらと揺れて、その揺れに耐える様に閉じられたの顔が一層顰められる。
自分の髪より柔らかく軽くうねる髪が徐々に軽さを増して、ふわふわと指に触れては離れていく。
いつしかその感触を楽しんでいて適度に場所を変え風を通しながらずっと梳いていれば、気が付けばの眉間のしわが取れていた。

「・・・・・」

最初よりだいぶゆっくりと撫でる様にしていても、やはりの細い首では揺れを抑えることは出来ないようで。
自分の手に合わせてこっくりこっくりと船を漕ぐように揺れている。
寝てはいないようだが終わるまでは大人しくしていることにしたのか、静かに閉じられたその瞼と長い睫を指の隙間からじっと見下ろす。
もう、十分乾いた頃だろう。
ブラシに持ち替えて梳こうと考えている思考とは裏腹に、指の間を抜ける髪が気持ち良くてなかなか手を離せない。
ふと、髪の先まで通した指をそっとその奥の白い首筋に滑らせた。
ぴくり、との体が小さく震えたのが伝わってくる。

「っ、・・・・」

ちょっと当たっただけだと思ったのか特に何も言われないことに、気付かれないようにそっと笑う。
髪を持ち上げて今度はもっと手を広げて包み込むように首筋に手を這わした。

「んっ・・ちょっと、」

ユーリ?と尋ねる様に訝しむように聞くに、何事も無かったかのように小さく首を傾げてみせる。
納得のいかない顔でこちらの様子を窺っていたが、その目がすっと伏せられて膝の上に置かれていた手が動いた。
一瞬叩かれるかなと思ったが、その手はテーブルの上に置かれていたマグカップにのびてそっと持ち上げられる。
両手で大事なもののように抱えられて、目を伏せたその口元に運ばれていった。
こくり、と小さく喉が鳴る。

「・・・・、ありがと」

細く滑らかなその首筋をもう1回くらい撫でたいなと思っていたけれど、ドライヤーの音にかき消されそうな声で落とされたその言葉に、浮かんだ疚しさは残念ながら裸足で逃げていってしまったようで。

「・・、いーよ」

こんくらい。
宙に留まった中途半端な手で、仕方なしに自分の髪をわしわしとかく。
今度こそ持ち替えたブラシでそっと丁寧に上から解すように梳かしていけば、ホットミルクを抱えたままが小さく息をつく。
俺のご主人様は、相変わらず素直じゃないし自分からは甘えベタだけれど。

「次は連絡なんて待たずに迎えに行くから」

「?!い、いいって、いい!」

「文句はナシ、な」

「ユーリ!本当に、いいから!!」

焦ったように繰り返すの頭を撫でて、まだ何事か言い返そうと見上げてくるその額に小さくキスを落とした。




◆アトガキ



2015.9.9



拗ねたユーリがお説教。
もしくは風邪ひいたを看病しつつ、やはりお説教。
・・・でもいいと思ったんですけど。
そこは脳内で補填を、すいません。



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