一
だるい。
意識すると体内を駆け巡る血液の熱を感じるような、体内にこもる熱さにラジエーターの調子が悪いような気がする。
頭に熱を集めてくれるな、暑い・・・
「おーい。どした?」
食べ終わった食器を片付けつつぼんやりと虚ろな目を窓の外に向けていれば、隣から声をかけられる。
同じく食べ終わった食器を持ってきた相手から、その食器を無言で受け取ってスポンジで洗って濯ぐ。
覗き込もうとする気配を感じるも、そちらを向いて相手をするのも億劫でそのままでいれば、すっと視界に何かが入ってきた。
目元の光を遮って、ひたりと額に触れて来る。
冷たくて気持ちが良い。
思わずそちらに頭を預けてしまう。
「おっ・・と?おいおい」
慌てて支えてくれた手の平の下でそっと目を閉じて深く深呼吸をすれば、呆れたような声。
「・・・お前、熱あんじゃねえの?」
「ラジエーター故障中・・」
「はあ?」
ひんやりした手の平に額を擦り寄せていれば、支えてくれていた手が米神あたりに移動していく。
それを無意識に追おうとすれば。
「じっとしてろ」
もう片方の手も伸びてきて、頭の向きを固定された。
少し仰向けにされたその状態が煩わしくて手を離してくれと軽く頭を振ろうとするも、固定する両手に更に力が込められて動かせない。
「離せ・・・」
「こら、動くな」
睨みつけようと開いた眼前に、思いの外近い相手の顔があってびっくりする。
「ユッ!!?」
コツリ、と額が触れて思わず目をつむれば、小さく笑った気配がした。
「何だ、・・他のことでも期待したか?」
額をくっつけたまま意地が悪そうな声を出す相手を、うっすらと開けた瞳で見据える。
「・・・・」
「!・・おいっ、ちょっと待・・」
止めようとユーリが両手に力を込めるより先に、今持てる力の全てを総動員して頭を背後に引いて思い切り前に打ち出した。
「~~~~っっ!!」
「~~~・・・っ」
ゴツッと実に鈍い響きが伝わってユーリが手を離したのが分かった。
いってぇと呻く声に、してやったりといった気分でうっすらと笑みを浮かべる。
頭痛に目眩がして、もうこれ以上頭を支えていられない。
慌てたようなユーリの声が聞こえたような気がしたが、ずるりと傾いだ体を支えようとした腕はシンクの淵を滑っていく。
熱い頭は重く怠く、体を支える力はもうどこにも残ってはいなかった。
痛ぇ・・・こいつ本気でやりやがった。
額を押さえてうっすらと涙が浮かんだ視界の端で、笑ったような顔をした相手の体が崩れ落ちる。
「おいっ!!」
慌てて伸ばした手でその体を引き寄せれば、抵抗もせずに倒れ込んで来たは意識が無いのかぐったりとしていた。
思わず舌打ちをしそうになる。
馬鹿やろう!と言ってやりたくても、相手には聞こえちゃいねえんだろうな。
「・・・・・」
浅い息を吐く相手に両腕を回して抱え上げる。
思えば、昨日はいつになく早くに布団に入っていた。
眠いと言っていたからその時は特に何も思わなかったが、すでにその時から具合は良くなかったのかもしれない。
・・・言えっての。
付き合わせた額から感じた熱がうつったかのように、自分の額もじぃんと鈍く痛む。
まだそれほど長い付き合いでは無いが、それでも普段から甘えることが苦手なやつだということはもう分かっている。
具合が悪いなんて、口が裂けても言ってくれなさそうだ。
そういう相手だと分かってはいても、いざ本当に何も言ってくれないとなると自分ってそんなに頼りがいが無いのかと落ち込んだ。
そして一緒にいたのにすぐに気が付けなかった自身にも、腹が立った。
ぐったりと力が抜けた体は思ったよりも熱い。
頭突きなんかしやがって、それで更に熱が上がったりしてたんじゃ世話ねえぜ・・。
放っておけば腕の中の彼女にも八つ当たりをしてしまいそうで、深く息を吸って深呼吸する。
ベッドに下ろして布団をかけて、またキッチンへと戻り冷凍庫から保冷剤を取り出してタオルでくるむ。
辺りを見回した視線の先、棚の中に薄茶に十字マークの入った救急箱を見つけて、体温計を取り出してからベッド脇に戻った。
「・・・・・」
ちょっと悩んで、服の上から脇に体温計を挟み込ませる。
ん、と小さく声を漏らしただけでが起きる気配は無い。
額に滲み出た汗を軽く拭えば、寄せられていた眉根からから少し力が抜けたようでほっとした。
とはいえ息は荒く、早い。
辛そうな呼吸を繰り返す口元を見てコップに水を注いで持ってくるも、さてどうすべきかと左手に持ったコップと相手の様子を交互に見遣る。
起こして飲ませるべきかとは思うが、ここまで辛そうだとそれも忍びない。
飲ませればいい。
でも唇へのキスは、同居する上で決めたルールに違反する。
・・・あー、くそっ
心の中で舌打ちをする。
ルールが何だってんだ。
今はそれどころでは無いのだし、こんな状態のだってきっと気が付かないだろう。
悩んだのは少しの間だけ、それからコップに口をつけた。
冷えた水を少しだけ口に含む。
「・・・・・」
片手を相手の体の向こう側に置いて、静かに体重をかける。
覆いかぶさるようにしてのことを上から見下ろせば、汗ばんだ額に前髪が張り付いていて指先を伸ばして除ける。
熱に火照り、赤みを帯びた額と頬をじっと見つめる。
喘ぐように小さく開かれた口元に、そっと自分の唇を寄せた。
柔らかいそれに眩暈がしそうになる。
こんな時でなければルールなんて放り投げて、食んで揉みしだいてその感触をもっと感じていたい程に、柔い。
そう、思う存分堪能したいのを理性を総動員させて我慢して、重ね合わせた隙間から零さないように少しずつ口に含んだ水を流し込む。
「・・・ん、んん・・ぁふ」
少しぬるまってしまった水を喉に詰まらせないようにゆっくり受け渡せば、が小さく喉を鳴らして素直に飲み込むのに安堵する。
コップの残りを数回に分けて飲ませ、最後に口の端に零れた水滴を舐め取る。
これくらいは許されるだろうなんて、甘く感じた雫に目を閉じた。
しゅんしゅんしゅん・・・
「・・・・ん?」
ぼんやりと重い瞼を開ける。
ぼやけた視界にはやっと見慣れてきた天井が映り、何か感じた違和感を確認しようとすれば頭の余りの重さにまた目を閉じる羽目になった。
水を吸ったスポンジを詰められているような、もんやりとした鈍い痛みに片手で額を押さえる。
「お、起きたか?」
近付いてくる人の気配。
「ん・・・圭・・」
無意識に呼んだ名前に、一拍おいてハッとする。
近付いていた足音が止まる。
違う、あの人とは別れたのだ。
自分が・・振ったのだ、ここにいるはずがない。
押さえた片手の下から、そっと覗くように声がしたほうを見れば。
「あ・・ユーリ・・」
長い黒髪をゆるく結わいて、入り口に片手をかけたユーリがこちらを見ていてドキッとした。
聞かれた、だろうか。
ちょっと怒ったような気配がして思わず視線を余所にずらせば、はあと溜息を吐かれた。
「腹は?減ってんなら、粥があるけど」
何事も無かったかのように歩き出して、近寄ってきた相手は躊躇いもせずにベッドの端に腰をかけた。
ギシッと沈む音に顔を上げられずにいれば、少しの沈黙を挟んで視界で何かがさっと動いた。
「聞いてんのか、こら」
「い、いひゃい・・」
両頬に伸びてきた手に逸らす間もなく顔を持ち上げられて、そのまま片頬をむにっと摘まれる。
間近で交わった視線に、顔に血の気が上るのを抑えられない。
眉根をぐっと寄せてこちらを睨むように覗き込む紫がかった黒い瞳から、不意にふっと力が抜ける。
「・・ふっ・・変な顔」
「ユッ・・!!」
笑った顔が更に近付いてきて、思わずぎゅっと目を瞑った。
瞑りながら、あれこんなこと前にも無かっただろうかと頭の片隅で思う。
コツリ、と額に軽い衝撃を受けて思い出した。
「ん・・・少し下がったみたいだな」
「ユーリ・・・」
恨めしげに下から睨み上げれば、にやりと意地悪そうに笑う。
そして。
チュッ
「!!??」
鼻の頭に軽く触れたそれが、すっと離れた先で弧を描く。
「頭突きする気力もまだねえだろ。・・もうちっと安静、な」
何か言ってやりたい気持ちはあったが、確かにまだ頭がぼんやりと重たい。
開きかけた口を閉ざせば、頭のてっぺんに手が置かれてゆっくりと撫でられた。
「お腹の空きはどうですか、オネーサン?」
「・・・・・空いた、ような気もする」
いまいちよく分からないけれど、体に力が入らないから少しは食べておいたほうが良いのだろう。
そう答えれば、最後にぽんぽんと叩いて手は離れていった。
離れていく温もりが少しだけ寂しくて、そんな風に思う自分が情けなく思う。
自分から人を振っておいて、いなくなったら今度は寂しがるなんて自分勝手すぎる。
自己嫌悪に陥っていれば、暫くしてふんわりとした湯気と暖かい匂いが近付いてきた。
「・・・どした、眠いか?」
お盆を持った相手に聞かれて、ゆるゆると首を振った。
「何でもないよ」
首を傾げながらもまたベッドの縁に座ったユーリは、片足を組んだその膝の上に器用に盆を乗せる。
小ぶりのお椀の中に、淡く優しい色をした卵粥がふわふわと湯気をたてて盛られていた。
「買ってきてくれたの?」
「いや、俺が作ったけど」
思わず聞けば、きょとんとした相手が即答する。
その答えに目を丸くして、お椀の中身と相手の顔を交互に見れば、その表情は次第にむすっとしたものになる。
「なんだよ、何か言いたいことがあるなら・・」
「あ、ううんごめん。あまりにも美味しそうだったから、つい・・」
慌てて首を振れば、ユーリは無言で盆を右手で支え直し、左手でれんげを持ち上げた。
受け取ろうと手を伸ばすも、れんげは卵粥をひとさじ掬うまま渡される気配は無い。
「・・・えっと、ユーリ・・?」
妙な気配を感じてそっと名前を呼べば、目が合った相手はじっとこちらを見ている。
「れんげ・・・」
というか、お盆ごと渡してくれて構わない。
持つよ、という意思表示を込めて両手を伸ばせば、ユーリが小さく笑ってちょいっと首を傾げるような仕草をした。
「口、開けろ」
「!!!」
や、やっぱりそう来たかと伸ばした両手が脱力する。
「作ってくれただけで十分嬉しいな、だからそのお盆を・・」
「ほれ、あーんってしてみ?」
「・・っ!!ユーリっ・・む」
何とか阻止しようと再度伸ばした手はやっぱりかわされて、名前を呼んだ口元にくっつくほどにれんげを寄せられて反射的に口を閉じてしまう。
「」
どうしたって、素直に口を開けるわけが無い。
こちらの名を呼ぶユーリの楽しげな顔を困ったように見返せば、にっこりと笑ったままユーリが再度口を開いた。
「このまま大人しく口開けんのと、頭押さえられて無理やりれんげ突っ込まれんのと、どっちが良いか選ばせてやるよ。・・・ああ、もしくは俺が口移しで」
「あ、あーん!!!」
黙っていれば怪しげなことを言い出す相手に、もはや叫ぶような勢いで口を開けばそっとれんげを寄せられる。
渋々それを大人しく口に含めば、堪えきれないといった風にユーリのれんげを持つ手が震えたのが分かった。
乗せられた卵粥は文句なしの美味しさで、でも飲み込んだ後も感謝の言葉は出てこない。
くつくつと肩を揺らして笑う相手をじっとりと睨む。
「・・・・・はぁ」
もう寝てしまおうかと思う前に、何とか笑いを収めた相手がこっちを見る。
「まだ食べるか?」
「・・・知らない」
まるで子どものように可愛げの無い返事をしたにも関わらず、ユーリは笑っていた。
「んじゃ、何か欲しくなったら言えよ」
椅子を引き寄せてそこにお盆を置いて立ち上がる。
無意識に置かれたお盆を自分の膝の上に乗せながら、どこかへ行こうとするその姿をつい目で追ってしまった。
名前を呼んだわけでもないのに何気なく振り返った相手は、足を止めて一瞬目を丸くしてこちらを見て、苦笑した。
何だと思う間もなく、戻ってきた相手を無言で見上げる。
「・・やっぱ、心配だから傍にいても良いか?」
「・・・?」
盆を退かしたことで空いた椅子に座る、その手が伸びてきて頭を撫でた。
頭を撫でられるのは気持ちが良い。
大きな暖かい手に髪を梳くようにされて、目元が和んでしまう。
目をそっと閉じれば、心地よい重みを感じる。
「次は倒れる前に言えよ」
「・・・え?」
ぼんやりとしていてよく聞き取れずに聞き返せば、頭を撫でていた手がするりと滑り降りて頬を撫でていく。
「・・」
すっかり大人しくなった相手が、小さく首を傾げてこちらを見ている。
その顔に、熱で火照った赤みを帯びた顔が重なる。
苦しげに喘いでいたその唇の柔らかさを思い出してしまえば、まるで警戒心の無い相手に苦笑するしかない。
ぽんやりと見る瞳に自分が映っていれば、今のところは我慢してやろうと思う。
心細そうな顔をしていたのはきっと無意識なんだろう。
もっと素直に甘えてくれてもいいんだけどな。
なかなか、どうも上手くいかないもんだ。
でもそれなら、上手く出来ないっていうんならこちらから歩み寄ってやれば良い。
・・もうその名を呼ばない程に、自分の手で甘やかしてやりたい。
◆アトガキ
2014.3.26
看病ネタを色々と混ぜ込んだら、イベント盛り込み状態になってしまった。
もっと小分けにしないとそれぞれの美味しさがあまり味わえないですね。
そして、ちょっと仄暗い終わりに。
background by Blancma