一
襲い掛かかってくる敵に向かって右手を凪ぐ。
巻き上がった風が手首に描かれた錬成陣に反応して、鋭い牙を四方へ散らして一気に収束、そのあぎとに捕まった敵を切り刻む。
直後に背後から近寄る気配をサイドステップでかわし様に振り向く。
目の横を鋭い角の先が抜けていき、皮膚を少し削り取っていった。
もう少しずれていたら目をやられていたかもしれない。
今のはしゃがむべきだったなと、眼前でぶんぶんとうるさく翅を鳴らして威嚇している馬鹿でかい虫を見ながら考えていれば、横から光る太刀筋が空を切って飛来、突撃体勢をとっていた敵を吹き飛ばしていった。
「おいこら、!寝てんじゃねーだろーなっ!!」
続いて投げ掛けられた声は、少し遠くから聞こえる。
ユーリに近い場所からリタの詠唱が聞こえるから、前衛として敵を引き付けているらしい。
「起きてる」
返事を返さないと確実にこっちに来るだろう相手に、聞こえるかどうかぐらいの声をぎりぎり張り上げて返す。
納得したのかは分からないが、呆れた顔を見せたユーリはまた目の前の敵に向かっていった。
吹き飛ばされた敵が怒りを露わに体を起こすのを横目にしながら、そんな周囲の状況を確認する。
敵が固まっているのをユーリとカロルとラピードが引き付けていて、リタはその数匹をまとめてターゲットにして詠唱中。
そこから少し離れたところでレイブンのフォローをもらいながらエステリーゼが剣を振るっている。
流れるような動作でくるりと華麗に舞いながら鋭い突きを入れるのが見事だ。
レイブンは少し余裕がありそうに見える。
おどけたように動き回りながらも、エステリーゼはもちろん他のメンバーも敵もしっかり見える位置取りをしている。
その薄青い瞳と目が合った。
一瞬見開かれたように見えるその目に、反射的に横転。
突っ込んできた敵に向き直り、平手を打つように手を閃かせる。
甲高い打突音と共に敵が宙に舞う。
追って跳ね上げた足が届く前に敵の体が内側から爆発した。
レイブンが補助してくれたらしい。
あの一瞬の内にこちらに矢を射り、しっかり命中させる腕は本当にたいしたものだ。
普段ふらふらと掴み所の無い言動をしているくせに、やけに腕がたつ辺りがつくづく胡散臭い。
そんな視線を向ける先から、綺麗な淡い桃色の髪を揺らしてエステリーゼが走ってきた。
「カナエっ大丈夫です!?」
どうやらそちらの敵も倒せたらしい、走り寄ってこちらの全身を確かめるように見回した瞳が見開かれる。
「血がっ!!」
「ん?・・・ああ」
恐る恐るといった風に伸ばされた細い指先が触れようとした目の淵に、先に自分の指を触れさせる。
鋭利な角にえぐられたらしいそこは、触れれば液体が流れているのが感じられた。
見なくても分かる、血だ。
「治しますから動かないでください」
「いや、このくらい・・」
少しヒリリとするだけだ。
戦闘を終えたばかりの仲間にわざわざ治してもらうほどのものでは無い。
そう思ったのに、言いかけた言葉はエステリーゼにしては珍しく強い口調で遮られた。
「駄目です!!・・聖なる活力ここに、ファーストエイド」
かざされた手の平から光と、暖かい波のようなものが押し寄せて目元を柔らかく包む。
思わず目をつむって、そして瞬きした。
「大丈夫です?痛くないです??」
触れた先に先ほどあった裂傷はもう感じられない。
本当に不思議な力だと思うが、この世界では魔法として普通にこんな力が存在しているというのだから驚くしかない。
尚も心配そうに問い掛ける目の前の少女に大丈夫だと笑みを返すも、その視線は他にもどこか怪我をしているんじゃないかとこちらの全身をチェックするのに余念が無い。
思わず苦笑する。
「他にはないから大丈夫」
重ねて言えばほっとしたようなその顔は、はっとなって詰め寄っていたのを一歩下がった。
その背後から、残りのメンバーも集まってくる。
「お疲れさん。・・・どした?」
言うほど疲れていなさそうな相手は、こちらの様子に首を傾げて聞いてくる。
さっきの今だ。
怪我なんてしたと言えば何を言われるか。
「いや・・、お疲れ」
何でも無いと首を振れば、急に両肩と頭の上に重みがかかった。
「それが、ちゃんがちょいと怪我しちゃってね~」
「なっ・・馬鹿レイヴン!」
のしかかるおんぶおばけレイヴンに、何を余計なことを言ってくれてんだと肘を背後に打ち出すのと同時に、目の前から伸ばされた鋭い切っ先が頭上を抜けていった。
「ちょっ、セーネンのそれは危ないでしょーがっ」
「危なくしてんだよ」
レイブンに向かって横凪ぎに抜けていったニバンボシは、薄っすらと笑うユーリによって何事も無かったかのように鞘に納められた。
「危ないですよ、ユーリ!」
「大丈夫だ。おっさん以外に当てるわけねえからな」
飛び退ったレイヴンが、その言葉にガックリと肩を落とすのが視界の端で見えた。
「・・・・」
一歩間違えばこっちの頭というか、耳の先が削れるとこだっただろう。
そう思わず睨みつければ、それ以上に不穏な笑みの相手と目が合った。
背筋がすうっと冷える。
「・・・で、何だって?」
「・・・何でもないデス」
すっとそらそうとした顔をがしっと両手で掴まれる。
「じゃあ、これは何だ」
「・・ケチャ」
「ップとか言ってみろ。首輪つけてリードで繋いでやるよ」
「いや、それ戦闘中邪魔じゃ・・」
「目の届く範囲に置いとけば、すぐに叩き起こせるだろ?」
何か問題でもあんのか?っていうその目が真っ直ぐ過ぎて怖い。
・・本気なのか?
やると言ったら本当にやりそうな雰囲気だ。
魔物と戦っているときのユーリは、実に生き生きとしている。
所謂、戦闘バカだ。
そんなのに引きずられたら、付いていけなくなった瞬間にボロ雑巾と化す。
「ボロ雑巾は勘弁してください、本当ニスイマセンデシター!」
90度きっかりに上半身を倒して、即座に謝った。
「・・・・そういう問題なのかな」
ユーリから一歩どころか数歩引いたところで、カロルがぼそっと呟いた。
「おい、やっぱあん時寝てたんじゃねーだろうな・・?」
何とか街の宿屋に辿りつくも、部屋は大部屋1つしか空いておらず。
しかもベッドが5つしか無いというので、それじゃ自分は屋根の上で寝るからと提案したが、即却下されてしまった。
結局、エステリーゼとリタが同じベッドで寝るということに落ち着いて、今は自由行動中。
「寝てないよ」
ベッドに腰掛ければ途端に襲ってきた眠気に、そのままこてんと横になる。
その視線の先、隣のベッドに腰掛けていたユーリはまた呆れた顔をこちらに向けている。
重い瞼を持て余して、ゆっくりゆっくり瞬きをしながら見るともなしに相手の顔を眺めていれば、溜息を吐いたユーリは立ち上がった。
みんな休まずに出かけていってしまった。
元気だなと思いつつ、ユーリもあまり疲れた様子も見えないから出かけるのかと思いきや。
「そんな顔で言われても・・どうだかな」
ギシリとベッドのスプリングが鳴る。
何故かこちらのベッドに腰掛けなおしたユーリに顔を覗きこまれる。
顔に影を作るフードを指先でそっと押し上げられる。
「・・・何だ?」
暗い方が眠れそうだったのだがと見上げれば、武醒魔導器をつけた左手がすっと伸びてきた。
避ける間も無く、目元をなぞっていく指先に反射的に目をつむる。
「エステルにはちゃんと治してもらったんだよな」
ついと拭っていった指先に、こびりついていたらしい残っていた血の欠片が付いているのが見えた。
「すっかり治してくれたから、痛みも何も無い」
「そうか」
その視線が何となく居心地が悪くて、フードが脱げるのも構わずにごろりと寝返りを打った。
どことなく機嫌が悪いように寄せられた眉、気遣わしげな瞳。
エステリーゼと同じく心配をしているのだろうが何だか違うような気もするし、自分もエステリーゼ相手のように、大丈夫だからと素直に受け取ることが出来ない。
思わず溜息を吐いてしまった。
・・たかがかすり傷だ。
今回は目に見えて血が出てしまっていたから何とも言えないが、血も出ないような切り傷やちょっと擦っただけの赤みでもこんな反応がかえってくるから困り者だ。
エステリーゼは慌てて治しつつ、何で言ってくれなかったのかと落ち込むし、ユーリも他に怪我を隠してないかと威圧してくる。
他のメンバーはそれほどでも無いのにこの二人ときたら、こちらをこどもか何かと勘違いをしているんじゃなかろうか。
廊下から聞こえた足音に、上半身を起こしてフードを被りなおした。
「ただいま帰りました」
「・・・・」
「おかえり、二人とも」
この二人は本当に仲が良い、姉妹みたいだ。
どっちが姉でどっちが妹かはいまいち掴めないのだが、仲が良いのはいいことだ。
「?・・もしかして、まだ傷が痛むんです・・?」
ベッドのヘッドボードに寄りかかっていれば、何故かエステリーゼにも心配されてしまった。
「いやいや、何も問題は無い。眠いだけで・・」
「寝るんだったらちゃんと布団をかけないと駄目ですよ、風邪を引きます」
言って、早速足元の毛布を広げ始める。
何だろうこの感じ。
ぼけっとしている合間に、投げ出していた足の上から肩までをすっぽり毛布で覆われている。
あったかい。
ぬくぬくして今にも寝そうな頭でやっと辿りついた答えに、右手を左手の平に打ちつけようとして、毛布で上手く身動きがとれずもぞもぞと身じろぎする。
「どうかしましたか?」
「ああ、うん」
不思議そうな顔をするエステリーゼと、その向こう側でベッドに腰掛けているユーリを交互に眺めて口を開いた。
「二人とも、まるでおとんとおかんだなと思って。式でも挙げたらどう?」
部屋の中の時間が止まった。
と思えば、目の前に立っていたエステリーゼの顔がさあっと朱に染まる。
お、案外満更でも無いのか、と思った瞬間。
「・・・・・・おい、おま」
「むっ無理無理無理ですっ!!」
盛大に脱力した半眼のユーリが何かを言いかけたのを遮り、エステリーゼは悲鳴のような声と共にぶんぶん首と両手を振った。
「無いです、ありえませんっ!!!」
「・・・・・・・」
余りにも力強い否定に、見上げるこちらも呆気に取られてしまった。
「・・・フラれたな」
その背後で額を押さえているユーリのことをつい不憫そうな目で見れば、顔を覆っている指の隙間から鋭い眼光が覗いた。
反射的に仰け反らせた頭上を高速で枕が飛んでいく。
枕は意外と重いものだ。
今のをまともに食らったら、首の骨がいっちゃってたかもしれない。
バアンッと信じられない勢いで枕が激突した先で、開きかけた扉に顔面を激突させたレイヴンが顔を抑えて蹲っていた。
つくづく運が悪いというか、間が悪いというか。
声も無くしゃがみ込んだレイヴンの背を、その後から入ってこようとしていたのだろうカロルが心配そうに摩っている。
その二人の足元を、何事も無いかのようにラピードがすり抜けて入ってきた。
「な・・・一体、なんなのよ・・」
「だ、大丈夫、レイヴン?」
完全なる巻き添えを食らったレイヴンには申し訳ないなと思う。
けれど、そんなおかしなことを言ったつもりも無かったのだが。
「あんた、あんまり馬鹿なこと言わないでよね」
鬱陶しそうな顔でそうリタに言われると、さすがに少し凹む。
「えっと、ごめん。忘れて、二人とも・・」
エステリーゼとリタに向けて言えば、おいおいと低い声が被さる。
「・・何で俺には謝罪の言葉がねーんだよ」
「いや、だってもう枕ぶん投げられたからお相子かなって」
「はぁあ・・・ったく。リタじゃねーが、お前はもう黙ってこれでも食ってろ」
大股の一歩で近付いてきたと思えば、後頭部ががっしりと掴まれる。
待て待て、何を食わす気だと内心本気で慄く。
「あーんってしてみ」
するわけがないだろう、何入れられるか分からないっていうのに。
口を真一文字に結んで目の前で一転、楽しそうな顔つきになる男を睨み上げる。
意地でも開けるものかと思っていれば瞳が更に細められた。
「へぇえ」
無言で見合っていれば、ユーリは左手に隠し持っていた何かをポイっと自分の口に放り込んだ。
一瞬見えたそれは、赤くて小さな丸いもの。
「・・・アップルグミ?」
てっきり何か変なものでも食わされると思っていたのに、まともなものだったことで驚けば、ユーリの顔が少ししかめっ面になった。
「何だと思ったんだ」
「・・・怪しげな、何か」
流れ的に警戒しないわけが無いだろう、と言外に告げる。
「まあ、あったらつっこんでやっても良かったんだが」
思わず下がろうとしたが、まだ頭を掴まれたままだった。
「さっき眠そうにしてたろ?・・少しは回復するんじゃねえかと思って」
ほれと指先で摘んだもう一粒を差し出される。
片手を広げれば、ポトンとそれが落ちてきた。
「それ食って、もう休め」
ぽんぽんと頭を叩いてユーリは離れていった。
「私たちも、もう寝ましょうか」
「あー・・私はもう少しこの本を・・」
「駄目ですよ、リタもちゃんと寝て休まないと」
エステルに諭されて、リタも渋々と寝る支度を始めるようで。
「おっさんはもう身も心もボロボロだわ・・」
「えっと、お休み」
カロルの声に他のメンバーの声も被さる。
部屋の明かりが消されて薄暗くなる。
「・・・・・」
手の平の上に乗せられた赤くて、まるで宝石のようにつやっとしたそれを、少しだけ躊躇ってからえいっと口に放り込む。
もぐもぐと噛んでいれば、甘いりんごの味が口の中に広がっていく。
ぼおっとしていた頭が少しスッキリして、手足の疲れが消えていくような気がする。
それは別段悪いことではないはずなのに、ついつい難しい顔をしてしまう。
お菓子に過ぎないはずのそれが薬であるということ、回復するメカニズムがどういう仕組みだか分からないこと。
それに見た目が何だかまるで・・・。
もぐり。
噛み締めた味が一瞬、鉄の味になった気がしてまさかと首を振る。
「・・・寝られないのか」
「・・大丈夫」
隣からそっとかけられる低く静かな声。
毛布を一端はがして、ヘッドボードに預けていた上半身をそうっとベッドの上に沈み込ませる。
なかなか飲み込めないグミをようやっと飲み込んで、毛布をかけ直してからそっと横を見た。
目が合う、暗い瞳。
「早く寝ちまえ」
小さな声を拾って、耳がひくりと動く。
暗い夜に眠るのが時々苦手になる。
目を瞑れば、暗がりから同じような服を着た人影が現れるような気がする。
パチパチと瞬きをして、目の前の真っ黒な人影の中の、闇の中で濃くなった瞳を見つめ返す。
「・・・・・」
ああ。
この夜もあの暗闇も、ユーリが支配すればいい。
こいつが夜に寝ないのは、夜行性かなんかだと思っていた。
下町にいるときも寝てばっかりだと呆れていたが、よくよく考えてみればそれは自分が起きて行動している最中に、相手のそんなところばかりを見ていたからだ。
逆に考えれば、夜はほとんど起きていたような気がする。
自分と同じタイミングで寝ている時もあったが、たまに俺が珍しく日も昇らないうちに起きれば、まるでずっと起きていたかのように屋根の上から降りて来たりして。
(野宿の時も、ほとんど寝てなかったな)
火の番を兼ねた見張りも、エステリーゼ、リタ、カロルにはやらせなかった。
むしろ、率先してやりたがっていた節もある。
普段あんだけどこでも眠るくせに、夜はその碧い瞳が爛々と光る。
まさしく猫のようなそれは、今やっと薄く瞼の裏に隠れていった。
(おとん、とかふざけたこと言ってんじゃねえよ)
気が付けば、目が離せなくて困った。
◆アトガキ
2013.12.10
You don't get it, do you?
「分かってんのかよ」
名前変換のくせに、あまり名前を呼ぶ部分が無い。
すいませぬ。
主人公が闇に見るのは、第五研究所にいた時のことです。
複数の研究員がやってくるのは、大抵何かしらの実験を行ってデータを取ろうとするとき。
恐れて震えて泣くようなたまでは無いのですが、もちろん嫌悪はあります。
目を瞑ってそれと相対するよりは、起きていた方が楽だって思っているぐらいです。
そこまで詳しくは話されていないユーリは、もどかしく思いながらも何も出来ず。
様子を見守るしか出来ず、言葉や態度にはあからさまにしないけれど、心配で目が離せないという話。
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