一
トントン カチャ
返事を聞かずに勝手に扉を開ける。
常から鍵のかかっていない扉は何の抵抗も無く開かれた。
お互い勝手に部屋に入るのが普通になってしまったため罪悪感などなく、むしろノックしているだけましだろうと思うほどだ。
普段からノックすらしない相手は、部屋の中にいたがあぐらをかいて座り込み何やら作業に没頭しているようだった。
部屋に入ってすぐの扉脇を見れば、彼の相棒であるかしこい犬は起きてはいるものの部屋の主の集中を妨げないようにかやけに静かに寝そべっている。
「・・・」
どうやらラピードにならった方が良さそうだ。
見せようと思っていた紙の束を持ったままラピードの隣、扉の脇に座って壁に背中を預けた。
無言の背中を眺める。
何となく分かっていたが、集中しているユーリは全くこちらに気が付いて居ない。
たまに陽光に愛用の刀を翳す意外は、背を丸めて手元に視線を落としたままだ。
開け放された窓からそよそよと心地好い風が入って来る。
陽の光はここまでは届かないが、暖かい空気が篭っていた室内では陰の中すらぽかぽかとしていて。
「・・・・・・」
外から聞こえる下町の喧騒にそっと目を閉じた。
ラピードとはまた別の、もうひとつの相棒とでも言うべきだろうか。
愛用の刀であるニバンボシを陽の光に翳して、曇りが残っていないか、刃こぼれなどしていないかと見落としが無いか目を走らせる。
「・・・ま、こんなもんか」
綺麗になった刀身に一つ頷いて、足元に立てかけておいた鞘に静かに納める。
ふうと息をついてから、ぐぐっと伸びをした。
同じ姿勢をとり続けていたためか、凝り固まっていた体のあちこちでバキバキと骨が鳴る。
頭の後ろで腕を組んで、片手で肘を引っ張る。
ついでに首を傾ければ、コキリと小気味よい音がした。
滞っていた血がどっと流れ出すような感覚。
んーっと軽くストレッチをしていれば、背後の方でぱたんぱたんと小さな物音が聞こえた。
「・・・ラピード?」
振り向けば、寝そべっているラピードがこちらを見てぱたりぱたりと尻尾を左右に振っている。
尻尾の先が床を叩き・・・その隣に投げ出された足があった。
「・・・・?」
いつの間に入って来ていたんだか、全く気が付かなかった。
集中していたといえ、誰かが入り込んでることにも気が付かなかったとは自分の無用心さに苦笑いだ。
俯き両足を投げ出して壁にもたれたは、まるで人形のように動かない。
訝しく思いながらつい足音を殺して近付き、その前にしゃがみ込んだ。
そっとフードの内側を覗き込む。
「・・・おい」
寝ている。
すよすよと実に安定した寝息を漏らして、は完全に寝ていた。
思わず横にいる相棒を見れば、知らないとばかりにまた寝る体勢に入られた。
窓の外をちらと振り返れば天気も良いし、こりゃ昼寝日和ってやつかと納得する。
入って来た風に、足元に散らばる紙がカサリと音を立てた。
一枚拾って眺める。
「・・・・・・」
丸い円の中に何かの図形のような模様が描かれていて、その周りに謎の文字が散らばっている。
見たことも無い文字ばかりで読めやしない。
風が吹いてさらに飛んでいってしまいそうな数枚の紙を仕方なく集めて、とんとんと床の上で揃えた。
伸ばした両足の脇に、力無く投げ出された両腕。
紙を持っていたのだろう右手は脱力しきって握った拳が中途半端に開いている。
その手に持たせ直してもまた飛んでいくのがオチだろう。
どうしたもんかと眺めていれば、昼飯を食べていない腹がぐうと鳴った。
「・・・何か作るか」
紙を持ったまま立ち上がる。
取り敢えず机の上にでも重しを乗せて置いておこうとした。
ガツッ
「・・てっ・・・」
鈍い打突音と呻き声がして見下ろせば、足元で寝入っていたはずのが何故か後頭部を押さえている。
「・・・何やってんだ」
「頭打った・・・」
痛いと言いながら後頭部をさすり、座ったままずりずりと横にずれる。
「・・・?」
その謎の行動に首を傾げて、そういやと手に持ったままの紙の束を思い出す。
「ほれ」
差し出した紙をぎょっとしたように眺めて、瞬きを繰り返す。
「なんだ・・?のじゃ無かったのか?」
こちらの手元を見つめたまま動作を停止した相手に、少し考えてから差し出していた手を引っ込めようとすれば、我に返ったように一瞬その目が見開かれてそろりと手が伸ばされる。
受け取ったそれをじいっと見つめて、はあぁっと息を吐いている。
・・・訳が分かんねぇ。
「一応言っておくが、盗ったわけじゃねえからな」
念のため伝えれば、きょとんとした瞳が向けられる。
「分かってる」
当然のように、当然の顔をして即答されてしまった。
じゃあ何なんだと聞いてやりたい。
何にせよ、さっきの変な態度は盗られたと思ったからってわけじゃないってことだ。
疑問を浮かべて見下ろしてみるが、既にけろっとした顔の相手に逆に不思議そうに首を傾げられた。
「どしたよ?」
どうした、じゃねえよ、そりゃこっちのセリフだって。
と言おうとする前に、また腹の虫が鳴る。
「・・・・・」
「・・・・・昼か」
こっちの顔を見て、腹を見て、窓の外を見て。
ぼそっと呟いたの頭に軽く握った拳を落としてやった。
「って!?何で叩く!」
「知らねえ」
さっさと歩いて扉を開ける背後で、立ち上がったが抗議の声を上げるのを無視する。
あー・・腹減った。
急に目の前が暗くなったような気がして、ハッと目を覚ました。
目は覚めたはずなのにまだ立ちはだかっている黒い影に、思わず後ろに下がろうとした頭に衝撃が走る。
鈍い音が壁と頭蓋を響かせた。
とにかくもまずは暗がりから出ようと痛む後頭部をさすりながら、影の中から日の当たる方へとじりじりと壁伝いに横へ移動する。
「・・・何やってんだ」
頭上から降ってきたのは呆れたような声。
少しだけ聞き慣れてきた、ユーリの声だった。
「頭打った・・・」
そうか、ここはユーリの部屋だったようなと返事を返しながら見上げれば、声と同様に呆れた顔がこちらを見下ろしていた。
「ほれ」
ふと何かを思い出したかのように、後ろ手に持っていたものを差し出される。
紙・・・の束。
ギョッとしてそれを凝視してしまう。
心臓がやけにうるさい。
「なんだ・・?のじゃ無かったのか?」
ユーリが何か言ったのにも気が付かない。
差し出されたそれが引っ込められそうになり、躊躇いながらそっと手を伸ばして受け取った。
よくよく見てやっとそれが自分が錬成陣を書いた紙だと分かる。
・・・この身体に関する体調管理のデータや投薬の記録ではない。
思わず深く息を吐いた。
「一応言っておくが、盗ったわけじゃねえからな」
落ち着いてきた耳にユーリの少し憮然とした声が聞こえてきて思わず見上げた。
こちらを覗き込むような顔は、少ししかめっつらをしている。
でもユーリが人のもの、ましてやこんなユーリが持っていても意味の無いものを盗るわけが無いことくらい分かっている。
そもそも何が書いてあるかも理解出来ないだろう。
何でそんなこと言うんだか、変な奴だと思う。
「分かってる」
だから、当然と返事を返せば何故か視線の先で相手の眉間のしわが深くなった。
何だ?
本当に盗ったわけでも無いだろうし・・・。
「どしたよ?」
他に何かあるのだろうかと首を傾げれば、何か言おうとしたユーリの口が開きかけた瞬間、それよりもっと下辺りからくぐもった音が聞こえた。
目の前に立つ相手の腹の虫の声。
ユーリが口を閉ざして視線を少しずらした。
「・・・・・」
そんなユーリのちょっとだけ赤くなった頬とぐうと鳴る腹、それから視線を窓の外に向ける。
「・・・・・昼か」
言った途端、頭上に影と共に衝撃が降ってきた。
「って!?何で叩く!」
人が生きてる限りは食べてエネルギーをとるのは当たり前の出来事で、朝もろくに食べなければ昼に腹が空くのも当然で。
ただ事実を口に出しただけなのに、何故叩かれなければならないのか。
不条理だ。
「知らねえ」
叩かれたところをさすりながら睨みつければ、叩いた相手はさっさと歩いていってしまう。
「おい、こらっ」
そもそもユーリに用があってわざわざ来たというのに、大人しく待っていた相手にこの仕打ちは無いだろう。
立ち上がって追いかけながら文句を言うも、当然のように無視をされた。
◆アトガキ
2014.1.14
寝てばっかりの主人公。
そういやユーリは剣の手入れをするんだよなっていう、ただそれだけです、はい。
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