夏休み明けの鬼ごっこ






夜空に花火を打ち上げて、夏は徐々に去って行こうとしていた。

「暑い・・・」

真夏日が過ぎたとは言え、まだまだ残暑が厳しい日々が続いている。
冷房が切られた教室は、全開の窓からろくに風も入らずにむしむしとした熱気が漂っていた。
手うちわなんてするだけ無駄過ぎて逆に動いたことで上がる体温にへこたれ、椅子を少しばかり後ろに引いて、頬杖をついていた手から頭を机の上に下ろした。
木の表面は触れていないところは少しだけひんやりとしているが、涼を取る間に自分から移った熱で温もってきてしまう。
期間の短いオアシスを求めて机の上を、頬や顎や額を押し付けてさ迷っていれば不意に頭上に影が射した。

パカンッガツッ

「いたっ・・・っ」

空が曇りでもしたかと見上げるより早く、脳天を何かで叩かれた。

ー」

「・・・ふぇーい」

気の抜けた返事に重なるように、またパカンパカンと頭を押さえ付けるように出席簿で叩かれる。
そのもの自体は薄くて軽いので叩かれることは痛くないのだが、最初に叩かれた際に机に打ち付けた額と鼻が地味に痛い。

「いいかーお前ら良く聞けよー」

パカンパカンパカン・・・

「ちょ、っい、いたっ」

「夏休みボケしてっと、あっという間に補習組だからなー」

こいつみたいに、と付け加えられた呆れた声に教室のそこここで笑いが広がる。
そんなことより、話ながら拍子をとるように人の頭を叩きつづけるのは止めて欲しい。
「え、補習?」

「んっ?補習、したいのか?」

まさか、とぶんぶんと首を横に振れば、はあと盛大に溜息を付いたヒューズは額に手を当ててやれやれと頭を振った。

「じゃあ、宿題はちゃんと出せって。特別に、明日までにしてやるから」

ぶんぶんと今度は縦に首を振る。

「明日出さなかったらもう知らねーからな。・・・てなわけで連絡事項は以上、HR終了だ解散!」

用が無えやつはさっさと帰れよの声に、急に騒がしくなった教室内にはガタンガタンと椅子を引く音が続く。
宿題かぁ、やった気はするがどこに置き忘れてきたんだっけとぼおっと考えながら、は賑やかになる教室の中から窓の外のまだ十分に熱をはらんだような大気の揺れを眺めていた。
誰かが開けた窓から、パンパンと黒板消しを打ち鳴らす音が聞こえてくる。
白い粉がふわりと宙を舞って、ぼんやりと消えていった。

「誰かなーあのこ」

どこからかそんな声がした。
その声を皮切りにザワザワと騒ぎ出す空気が伝播していく。
徐々に増える窓際の生徒たちに、どうやらそこから見える校門に何か見慣れぬ者がいるらしいことが分かった。

「髪長いし、どっか他校の子?誰かの出待ちかなー」

「えー?あんな綺麗な子に出待ちされるようなやつなんかいたっけ?」

その声に、紛れる様に囁かれるエルリック兄弟の名前に、相変わらず人気者だなと思うも、その声をかき消すように更なる情報が波紋のように伝播していく。

「それはさすがに無いでしょー、ズボンだよ?」

「あれ?本当だ」

「スタイル良いし、モデルさんかな」

「腰細ーい」

言ってきゃあきゃあと笑いあう女子たちの会話。
上げられていくワードを耳が勝手に回収していく。
たいしてない、荷物をまとめていく手が徐々にゆっくりになっていく。

「っつーかあの黒髪、良く見りゃすっげ美人じゃね?」

「なんだよー、お前そういう趣味かー?」

「まてまて、さすがにそれはねえけどさあ、・・なぁ?」

女子に釣られるように男子までもが窓辺をチラチラと見出しては騒ぎ出す。
黒髪、長身、美人に、加えて他校の生徒。

「・・・・・」

いや、まさかね。
不意にそれらの条件を満たしている人物が頭を過ぎったのを、ナイナイと即座に否定する。

「まさか、ズボン履いた女子ってことは・・無いよなー」

「いやー、そりゃさすがにないっしょ」

「・・でも髪、長いな」

「背え、高そうだなー」

わいのわいの言っているクラスの連中に少しばかりそそられた好奇心に負けて、ついこそっと教室の端の窓から顔を出した。

まじか。
・・いや、嘘だろう。

当たって欲しいなんてこれっぽっちも思っちゃいなかった先程思い浮かべた人物候補が校門に背中を預けて立っている。
うちの高校に何の用だと訝しげに見てしまう。
まあ、自分以外にも知り合いがいるのかもしれないし、誰かと待ち合わせをしているのかもしれない。
と、自分には関係ないだろうと思いつつも、夏前に散々追い掛けられたことが身に染みていて警戒心は消えず、玄関で靴を履きかえてから正門ではなくこっそり裏門へ向かう。
授業中は基本的に閉じていて、たまの登下校時にしか開かない裏門は今日は開放していない。
門の外に人影が無いことを確認してから、構わず制服のスカートで近くのコンクリート塀を段差を利用してよじ登る。
門の上辺に片手をかけて、手慣れた柵越えの要領でひらりと門の外へ身を躍らせた、・・・ら。

「よう」

道路へ着地した瞬間、脇からかけられた声にギクリとする。
そろりと振り向けば、門の脇のコンクリート塀にけだるそうにもたれかかっていた相手が身を起こした。
何でここにいるんだ、さっき正門にいたじゃないかという文句を言うより早く、反射的に見なかったことにしてダッシュしようとする。

「!ぅぐ」
「おいこら、人の顔見て逃げようたぁ良い度胸じゃねーか」

しかも2回も、と不満そうに言いつつ掴んだこちらのセーラー服の衿を引っ張られて、後方にたたらを踏む。
バランスを崩して泳いだ右の二の腕をがっちり捕まれて、逃げられなかったとうなだれれば、背後から人のことを捕獲した相手はご満悦に耳元で笑い声を零す。
ここで「捕まえられちゃった、テヘ☆(ペロ」とか気違いな態度を取ったら、驚いてうっかり手を離したりしてくんないかなと大分現実逃避した脱出方法を考えるも、自分のなけなしのプライド的な何かがソレダケはヤメテクレと訴えてくる。

「・・何で、今日は髪、下してるの?」

おかげで無駄にギャラリーが増えたが、その中でとっ捕まるような愚は回避出来た、と思うも結局捕まっている時点で結果はオーライとはとてもじゃないが言えない状況だ。
「あれはフレンがうるさいから結んでんだよ」

「・・・・・さいですか」

ようし、行くかと上機嫌に人の腕を取って歩きだす相手に、もう好きにしてくれととぼとぼと着いていく。
気分はドナドナをされる子牛である。

「アンタのことだからと思って、急いで裏に回って正解だったぜ」

「判断ミスった・・・で、本当に私に何か用?」

うっかり見つかったから裏門でとっ捕まっただけで本当は誰か用事がある人と間違えて無いかなと、淡い期待を胸に再確認をするもユーリは立ち止まらない。

「アンタも往生際悪ぃな。てか、この学校に俺の知り合いなんて・・・まぁ、そういねーよ」

「何その謎の間」

「いや、ほらアンタとあのおっかねえ兄弟と」

「エドとアル?」

おっかないかなと首を傾げれば、斜め上から苦笑するような声がする。

「怖えよ」

「ふーん」

「ま、後はイロイロ、だな」

「・・・・ふぅん・・・」

「・・何か言いたそうだな?」

「そのはみ出た格好とか、好戦的な態度とかを見ればまあ、分からなくもな・・いッ」

チョップされた脳天を掴まれていない方の手で摩る。

「あー悪い、つい手が滑った」

「・・・・そういうところが・・何でもナイデスゴメンナサイ・!イタッ・・暴力反対!」

小煩い虫が飛んでて・・なぁ?と見下ろしてくる視線に、ふいと顔を逸らす。
気が付けば、学校帰りにたまに寄る公園の前にたどり着いていた。

「ココ?」

「・・そ。」

迷わず入って行く背中に着いていく。
確かこの先には噴水と、そして良く移動クレープの車が・・・。

「よっ」

「お、セーネンじゃないっ・・・って、ちゃんまで!」

やっぱりと思いつつどうもとぺこりと頭を下げれば、久しぶりじゃないと言いかけた相手の言葉が不意に途切れる。
何事かとその視線の先を辿って、・・ぶんぶんっと腕と首を両方振る。

「いやいや、違うから、無理矢理引きずられて来ただけで・・」

「そっ・・・そーだよねーっ!?あ゛ー、おっさん安心したっ!」

「・・・・おい」

ぶんぶんっと振っていれば嘆息と共にやっと解放された腕を摩りながら、レイヴンが今日はどれにする?と聞いてくるのに流されるようにメニューをじいっと見つめてしまう。
とはいえ今日は寄り道する予定は無かったから、財布がいささか軽い。
でもクリームやジャムだけなんて寂しいクレープは食べたくない。
それを選ぶくらいならダッシュでコンビニまで行ってお金を下ろしてきた方がマシだ。
ならばギリギリで買える範囲の下から二番目の安さである、バナナと生クリーム&チョコソースか、そのバナナをイチゴに替えたバージョンのどちらかが良いのだが・・・さてどちらにしようか。
授業中にも見せたことが無い真剣な顔で悩んでいれば、すっと見つめていたメニューに影がかかる。

「何と何で悩んでんだ?」

「少し身を屈めるようにして腰に手を当て覗き込んでくる相手に、迷いつつ並び合う二種類を指で示す。

「あー・・まぁ王道だよな。俺も良く迷うわ」

「え、ユーリは迷い無く選びそう」

「そんなことねぇって。・・んじゃ、おっさんこの2つな」

「え・・?」

「オッサン、聞いてんのか」

「・・・聞いてますー、聞いてるって」

何この青春みたいなやり取り、おっさんもいるのに、全く最近の若人たちは・・ぐれちゃうわよっとブツブツ呟きながらも、器用にタネを薄く伸ばしていく。
焼き上がった綺麗な円の上にホイップと果物を並べチョコソースをかけて、手早くくるくると巻いて紙の包装紙にすとんと落とす。

「ほい、ほいほいっと・・・はい、ちゃん」

「あ、ありがとう」

「お代はいらないわよ、二人とも」

「お、やりぃ。おっさん太っ腹!」

「え、本当に良いのレイヴン?」

「夏休み明けて久しぶりにちゃんに会えたし。・・・それに、セーネンにばっか良い格好させたくないしね」

「え、最後なんて?」

「いーのよ、いーの。ほら、さっさと食べちゃいなさい」

「うん?・・いただきます」

「はい、召し上がれ」

手際よく2つのクレープを作り上げてから小さな台にもたれ掛かって頬杖をつく相手にひらひらと片手を振られて、もぐと角の部分をかじる。
具が美味しいのは分かってるし具と一緒にかじれば良いとは思うのだが、これでレイヴンのクレープ作りの才能は相当なもので、生地からしてしっかり美味しいのだ。 ここがそこらのクレープ屋との大きな差である。

「やっぱおっさんのクレープは美味いな」

キラキラした目でかぶりついている隣のユーリにうんうんと頷いて同意を示す。

「これでおっさんは甘いのダメとか、信じらんねぇ・・」

「え、レイヴン、それ本当?」

初耳だ。
驚いてその顔を見れば、何となくげっそりとしている気がする。
何度も作ってもらっておいてなんだが、まさか苦手だったとは。
クレープを食べに忍び込んでいた時は全く気が付かなかった。

「まぁ、食べなければ何とか・・・」

言いつつも周囲に漂うこの甘ったるい匂いにさえ、どこと無くぐったりとした様子で。

忍び込めばいつでも歓迎してちゃっちゃと作ってくれていたが、この副業の腕を落とさないための練習だの何だの言っていたし、自分用にも甘さ控えめのあんこ入りやおかずクレープを作って何食わぬ顔をしていた。
でももしかしてあれは、レイヴンのその日のご飯だったのだろうか?

「・・・・・」

いや、まさかと思うもこのクレープ教師、普段からへらっとしていてつかみどころが無く良く分からない。
もしかして自分の体調を蔑ろにしてでも、この副業をしなければならない程に何か切羽詰まった事情があるのだろうか。
そんなことを思い浮かべればクレープを持っていない手を迷わずポケットに突っ込む。
勿論、取り出したるは学食用にと小銭だけ入れていく小さなガマ口財布だ。
取りあえず今回分だけでも出しておくべきだろう。

「・・やっぱり先生って薄給なんだね」

言いながら小銭を出せば、一瞬丸くなった目がふにゃりと垂れる。

「んー、大丈夫。そうじゃないからね」

「いや、でも・・」

小銭を握った手を包み込むようにされて、戸惑いつつ見上げた先でレイヴンが笑う。

「本当だって。こう見えてちゃあんと稼いでるよ」

両手で包んだ手を押し返されて、褒めて褒めて?と軽く笑うその顔を見つめる。

「・・信じられない?」

「うーん・・いや、・・まあレイヴンが大丈夫なら」

パチンとウインクをされて、仕方なく出した小銭をガマ口に仕舞う。
それをうんうんと頷きながら見ているレイヴンに小さく下げた頭を柔らかくなでられた。

ちゃんが、おいしそーな顔で食べてくれるだけでもうせんせーはお腹いっぱい、夢いっぱいなのよ」

「・・・、援助交際は、やめておきなよ?」

にこにこと締まり無い顔で笑う顔を見て一抹の不安を感じながら助言すれば、ゆるゆるの顔が一変、何でそっち!?と何故か拗ねられてしまった。

「こう見えておっさんモテるんだから、そんな必要ないっての!」

つい、胡乱気な顔で見てしまう。
確かにさっき一瞬大人の雰囲気を感じたような・・、いや幻覚だよね。
やっぱり良く分からない。
うんうんと考えていれば、不意に視界に入ってきた手がこちらの手ごとクレープを持ち上げていった。

「ちょ、」

それに驚く間もなく目の前に流れ落ちた黒髪とともに近づくユーリの顔に、仰け反る間にこちらをチラと横目で見た相手は遠慮という言葉を知らない大口で、手に残るクレープを齧っていく。

「あー!いちご!」

「ん。・・おっさんとくだらない話してさっさと食べないからだろ」

むすっとした顔で言ったと思えば、眼前にもうひとつのクレープを突き付けられる。

「ほら」

チョコがかかったバナナがご丁寧に一つ残っているのを見て、ユーリの顔を見る。

「食わねえの?」

見下ろす顔に了承の意をくみ取って、こちらも遠慮せずに大口でバナナごとクレープを頬張った。
基本的なクリームと生地とチョコは同じだが、いちごとバナナを両方楽しめたと思えばそれはそれで満足で。
もぐもぐと甘さを感じていれば不意に伸びた相手の手の、親指が口の端を撫でていく。
瞬きを繰り返す先で、ユーリは親指に付いたチョコを舐めとっていった。
意地悪そうというかどことなく満足げなその顔に、呆れて何かを言おうとする前にレイヴンのユーリを呼ぶ声が公園に響く。

「うっせえな。近所メーワクだろ、おっさん」

営業停止にされるぞ、と耳に手を当てて呆れ顔をするユーリに赤い顔でレイヴンが喧しく何か小言のようなことを言っている。
間接キスだの、乙女の唇だの、聞いているこっちの方がよほど恥ずかしい。
少女漫画でも愛読しているのだろうか。

「・・レイヴンって、意外と乙女ちっくだよね」

「ピュアなおっさんなの!!」

そこは、力説するところだろうか。
ユーリに向けていたちょっと赤い顔をこちらに向けて、眉を跳ねあげてつっかかってくるレイヴンを微笑ましいというよりか、生温い目で見る。

「もー、最近の若者は乱れすぎ!」

「・・レイヴンもそんなにいう程おじさんじゃないでしょ?」

もっと節度をわきまえた行動をね、せめて先生のいる前ではね!と拳を握って尚も言い募るレイヴンを面倒くさいものを見るユーリの、そのひらりと振られた片手をさっと握る。

「ん?」

一瞬驚いたようにコチラを見てパチクリと瞬きをする合間に、その手をがしっと握ったまま抗議を続けるレイヴンの口にむにっと押し付けた。

「!!?・・・、・・・・・」

「・・・・、おい」

ピュアだの何だの言いながら羨ましいとか何とか喚く口に、さっきの親指をくれてやる。
スイッチが切れたように肩を落として動作を停止しどことなく死んだような遠い目になったレイヴンとは真逆に、速攻手を引き戻したもののレイヴンの唇の感触でも残ってるのか、青い顔で必死に手をごしごしと制服で拭いていたユーリの眼光がこちらを向いて光る。

「一件落着」

「・・・、なワケあるか」

静かになった公園にふうと流れてもいない汗をぬぐうを仕草をしてみせれば、食べ終えたクレープの紙をグシャリと握り潰し、見もせずにそれをレイヴンに向かって投げつけるユーリの足がゆらりとこちらに向かって一歩踏み出される。
アイタッというレイヴンの声を右から左に流しつつ、こちらも食べ終えたクレープの紙を小さく折りつつ後ずさる。
視界に入った脇のクズ入れに、シュートと同時に公園の出口めがけてわき目もふらずに猛ダッシュする。

「逃がすかよっ!!」

踏み込んだ足音に重なる、迫る背後の気配に内心冷や汗をかきつつ公園を抜け出て住宅街に逃げ込んだ。
ここら辺は学校が近いこちらの方がホームグラウンドだ。
即座に脇道に入り込み狭い路地を突っ切っていく。
道なき他人様の家の庭も今回は容赦していただきたいところ。
どこ行きやがったっ!!!という怒声を、塀の内側にしゃがみ込み耳を塞いでやり過ごす。
足音は徐々に離れてどこかへと遠ざかっていった。
とんだ夏休み明けだ。
次に会ったら何をされるかたまったものではない。

「・・クレープ、おいしかったな」

結局、タダだったし。
それだけが唯一の救いだった。




◆アトガキ



2016.1.19






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