「亀甲貞宗様ー?」 こっちの方から声が聞こえた気がしたけど、いないということはまた別の亀甲貞宗様の声を聞き間違えたかもしくは全くの勘違いだったのだろう。 少し性癖が駄々洩れで色々アブナイところもあるが、亀甲貞宗様はあれで結構真面目で律義だ。こちらを見かけて声をかけてくれたのなら尚更、待たずに先に行ってしまうということはない。 迷子の保護をする側がはぐれてしまうとは、と内心頭を抱えるがまだ慌てる時間ではない。この人混みだ、何かあってバラバラに行動をしなければいけなくなった際の集合場所はあらかじめ決めてある。 「ここからだと、うーん。こっちを行った方が早そうか」 目的の方角を定めてそちらに至る道を思い描けば、このまま人混みを突っ切るよりは少し遠回りだが細い方へ一旦入って人混みを避けた方が結果的に早く着きそうだと判断し、大通りから一本細い道へと入る。 「・・ん?・・・は、」 急に当たりの喧騒が遠ざかった気がすれば、不意に空中の何か薄い膜のようなもんやりとしたものが顔の表面を撫でたような気がして顔を上げて辺りを見渡した。 その瞬きのたった一瞬の内に、辺りの景色が変わっている。どんなに見渡してもそこはもう32番街ではない、どこか家というかお屋敷の玄関前といったところだろうか。玄関までに距離がありそこまでの石畳の脇には神社にありそうな石灯籠が並んでいる。嫌な予感がして振り仰げば背後には巨大な鳥居が聳え立っていた。 細かな違いはあるが初期の外観や要素は同じなその建物やその周辺の様子は、どこからどう見ても審神者と刀剣男士が住まう神の庭、本丸だ。 「え、っとあの、すいません、迷い込んでしまったようなので怪しいものじゃありません、すぐに出ていきますんで・・」 最初はそこそこ大きな声だったのが尻つぼみのように小さくなる。見た目こそそう荒れてるようには見えないがここが例えば堕ちた神の庭となっているのなら自身の命が危険に晒されているに等しいし、今この一瞬にも命が刈られてもおかしくない。 そもそもまともな本丸ならば自分がこんなところに突っ立っていた時点で気付いて誰かしら出てきて応対してくれているはずだ。その際は不法侵入者ではないことを信じてもらい、審神者様のところに連れて行ってもらい状況を話してゲートを32番街へとつなげてもらうのが一番穏便な流れだろうとシュミレートしていたのだけれど、本丸中がシンとしていて誰かがいる様子が無い。 もうここはおかしな本丸だとしか思えず、何でうかつに声を出してしまったんだと後悔している気持ちでそっとそっと足を下げて鳥居の元へとじりじり後退する。自身でゲートを動かせるのならば問題ない。何事も無かったかのように戻って、 「・・反省文かな、っうひぃ?!!」 余りに静かすぎて心の嘆きがつい口から転がり出てしまったのを聞き届けたかのように背後からポンと両肩を叩かれて、比喩でもなんでもなく数センチ垂直に飛んだ。 一拍の後に止まった時間をぶち破るかのような高らかな笑い声が本丸中に木霊した。どこからなんて言うまでもなく、背後の誰かからである。ついでに言えば、その笑い声すら聞き覚えのある声音でばっと背後を振り返った。 「わ、”綿毛”の鶴丸様?!」 「っぶ、あっはっははっはっはっはは、」 「何するんですか!心臓飛び出るかと思ったじゃないですか!!!」 「っひぃって、っく、あはははっいや、はっは」 「笑ってないでください!」 「ははっぁはぁ、いや笑うのも案外疲れるんだぜ?それにしたって、きみの・・っぷっくふっ」 何がそんなに面白かったのか、いや何がも何も自分の反応が期待以上だったのだろう。こちらのジト目すら面白いのか頭をぞんざいに撫でるような最早軽く叩かれているのだが、もう片方の手は堪えきれないという風にお腹を抑えるように爆笑し続けている。 その内地面でも転がりだすかもしれないなと、頭を撫でてくる手から一歩離れて距離を取って無言のまま肩を震わせる相手をじっと見る。 「っふ、っはぁ、はあ・・いや、良く笑った」 「ですね」 「まあまあ、そんな顔をするな。福が逃げるぞ?」 「放っておいてください」 しばらくしてやっとその白いまつげに光る涙を指先で拭う様も美しい、白い太刀こと鶴丸国永様が腹を抑えてくの字になっていた上半身を起こして息をついている。見る人が見れば見惚れるような白皙の美貌、今は笑い過ぎて頬も少し赤らんで息も荒いときているので、何がとは言わないが少し危険な様相だがあいにく私の目は死んでいる。 「まさかとは思いますが、”綿毛”の鶴丸様もここに・・」 「おっと、肩に何かゴミが付いてるぜ・・んん、よし取れた」 「どうもありがとうございます。迷子ですか」 「はは、そうだ。いつもどおりってやつだな!」 「ドヤ顔やめてください殴ってもいいですか」 「ははは、きみ本当に面白いよな。ん、ここにもなんかついてるぞ」 「ちょ、なんですかやめてください、痛っ」 「いや、何かしつこい汚れが」 「油汚れが付いた鍋扱いもやめてください」 人の頬を指先でごしごしと強めに擦られてヒリヒリするのを慌てて自身の手でカバーする。もしかしたらさっき変な膜をみたいなものを通り過ぎてしまったときに何かついたのかもしれない。汚れてるのなら鏡でも見て後で洗おうと思えば、”綿毛”の鶴丸様はこちらをしげしげと見てうんうんと頷いている。 「今度は何ですか」 「いや、ちゃんと取れたし問題無いと思ってな」 「現在、大問題の真っただ中ですけど・・これ無事にかえれますかね」 「んー・・そんなに焦らんでも、まあこういうのはしばらくしたらかえれるもんだ」 改めて鳥居の元のゲートの開閉装置をいじってみたがうんともすんとも言わないことに肩を落としていれば、慰めるようにポンと頭に手を置かれる。慰めてくれているようだがその相手が不安要素のひとつでは全く持って笑えない。 ”綿毛”の鶴丸様は我が隊きっての迷子の常習犯である。何度迷子センターに迎えにいく羽目になっただろう。 「本当に?そんな軽く・・」 「他でもない俺が言うんだ。信頼性があるだろう」 「どこにそんな安心できる要素があるのか・・ちょ、待ってくださいどこ行くんですかっ」 「ここでこうしていたって退屈するだけだ」 だからって、人の手を掴んで引っ張っていく必要はあるのだろうか。いや、ひとりここに残されても確かに何かあった時に対処は出来ないが、もしかしたら向こうから開くかもしれないしと鳥居を振り返りつつ、転ばないように足を進めるしかない。 | ||
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