妖精たちの宴

くつくつこぽこぽとビーカーの中で気泡が上がっては弾けて消えて行く。
色は半透明の淡い桃色で、自分だったらこんな色の薬は飲みたくは無いけれど、この色もお客さんの希望だと思えば少しでもかわいらしい色合いで仕上げたいなくらいには思う。
徐々にとろみを帯びていくその経過を、手元のノートに記録しながら観察をしていれば不意に空気がざわめいた気がした。

「・・・・?ああ、時間帯が変わったのね」

快晴とまではいかないが冬の領土にしては薄らぼんやりとした水色の空でも天気が良いと思えていた、そんな窓の外の空の色は急に暗く夜の帳を下していた。
何かしら感じた違和感も一瞬で、目の前のビーカーにまた集中し出したアリスの思考からその違和感はさっぱり忘れられてしまった。

「よし、これなら完成といってもいいかしら」

火を消して熱を覚ましたビーカーを目の前で満足そうに小さく振って、さて空いている小瓶はあったかしらと背後の棚を振り向こうとした。
その時に何かが何かにぶつかる衝撃が伝わる。

「?・・・なに・・?」

自分の背中では無い。
この実験室はそんなに広くは無いが、さすがに振り向いたらすぐ棚とはいかない距離は開けてあるはずだ。
なのに今、確実に何かぶつかった。
それも背中より更に後ろにある「自分の何か」が、棚にぶつかったという感覚が伝わったことに驚いて、アリスはそうっと今度は慎重に振り向いて棚のガラス戸に自分の姿を映してみた。

「・・・は」

何よこれ、と呟いてぽかんとそれを見つめてしまう。
背中から、羽が生えていた。

「え、何でどうして・・??」

摘まんでも引っ張っても、自分の身体の一部のようにそこに存在する羽は取れない。
薄らと水色に淡く光るそれは、おとぎ話に出てくるような妖精の羽に似ていた。
何か実験中の不具合でこうなってしまったのかと混乱する頭に、店の中に響くベルの音が聞こえてギクリと肩を強張らせた。
こんな時に誰が来たのかと、音を立てずにサンダルをつっかけて覗き窓から外を見る。

「??!・・ええ??」

外にいたのは近所付き合いのあるおばあさんだった。

「アリスちゃん、いるかしら?」

何か小さな包みを持ってにこにこと入り口の外に立っている相手に、アリスはハッとして鍵を開けて扉を開いた。

「こ、こんばんは」

「はい、こんばんは。これ、たくさん作り過ぎちゃって、アリスちゃんもどうかと思って持ってきたのよ」

うふふと笑って小柄なご近所さんから紙袋を受け取る。
中を覗けば、ふんわりと香ばしい匂いとまだぬくもりを残した、作りたてのマフィンがいくつか入っていた。

「あ、ありがとうおばあさん。・・あの、それで・・」

「いいのよ、いつもお世話になっているんだもの、これぐらい。・・どうかしたの?」

「え、えっと・・」

言いかけてアリスは、これは言っていいものかどうかと悩んだ。
マフィンをくれたおばあさんの背中にも、自分と同じく羽が生えていた。
いつから、どうしてと聞こうとして、まさか自分にだけ見えるものだったらどうしようかと言いよどむ。
辺りを見渡しても、ちょうど夜の時間帯になってしまった辺りには、他の人の姿は見当たらない。

「あのー・・その、羽・・」

意を決して、おそるおそるその背に生える透き通った羽を指差して、視線で相手に問う。

「ああ!羽のことかしら??あら、アリスちゃんは綺麗な薄水色をしているのね」

相手の驚いたような少し大きめの声にドキッとすれば、目の前の相手は当たり前のようにアリスの羽を褒めだした。
自分だけに見えるものでは無いと安心できたが、このあまりの動じなさっぷりはどういうことだろう。
今まで無かったものがいきなり自分の背中に生えたのだ、もう少し混乱したり焦ったりするものじゃないだろうか。
そんな不安がアリスの顔にありありと現れていたのだろう、目の前でころころと笑っていた相手はあらあらとふっくらとした頬にその小さな手を当てた。

「そういえば、アリスちゃんは初めてだったのね」

「・・・・・」

「これはそうね、領主様の・・趣味かしら?」

うふふと困ったように笑うその口から出た言葉に、アリスは該当する相手の顔を即座に思い浮かべて、あいさつもそこそこにクローバーの塔へと足を向けた。


困ったように言うおばあさんの顔に、一体領土で何をやらかしてくれているのよとアリスの足が少々乱暴に歩みを速めていく。
道をすれ違う人々の背にもやはり同じように透き通った羽がそれぞれ生えていて、不便そうにする様子は無かったけれど、まるで本当におとぎの国に来てしまったかのような光景に眩暈がした。
腕にはもらったマフィンをそのまま持ってきてしまっていたが、まあ折角だからこれは塔内に間借りしている偏屈な人と一緒に食べようと思っていれば、廊下の曲がり角を曲がった瞬間、誰かとぶつかってしまった。

「あ、ごめんなさ・・」

「いや、こちらこそすまない・・・アリス?」

君だったのかと言われて差し伸べられた手を視線で辿れば、済まなそうな顔を少しほころばせた領主の右腕である、グレイが立っていた。

「こんばんは、グレイ。前をよく見てなかった私が悪い、の・・よ・・?」

尻餅をついたスカートを払いつつ、その手に引き上げられて立ち上がりながら見えたソレにアリスの目は釘付けになる。
グレイの背にもまさかの妖精の羽が生えていた。

「グレイ・・それ」

「ん?・・ああ、これか」

思わず指を差せば、苦笑する気配が伝わってくる。
グレイの背中の羽は、アリスのよりも細長く銀色の硬質な色をしていた。
背中を少し振り向きながら仕方が無さそうに細められた金色の瞳に、塔内で仕事のため常に忙しく立ち回っているグレイにまでこんなことをするなんて、とつい塔内のどこかにいるであろう相手を思いながら天井辺りを睨みつける。
ふ、っと思わぬところに温もりが触れて、アリスは小さく悲鳴を上げた。

「あ・・ああ、すまない。とても綺麗な色をしていると思ったんだ」

「あ、びっくりしただけで・・大丈夫よ。グレイの羽も、グレイに似合っていて格好いいわ」

「ありがとう、アリス。・・君の羽にもう少し、触ってもいいだろうか」

「ええ、いいけれど・・」

すっと伸びてきたグレイの手が優しく羽の表面を撫でてその感覚にびくりと、肩が小さく跳ねた。
指先が葉脈のような羽の筋を辿っていくのに、何か変な気持ちが湧き上がってアリスは思わず口元に手を当てた。

「・・すまない、くすぐったかっただろうか」

「あ、ううん・・そうじゃないんだけど・・何か変な・・」

「変?」

小さく頷くアリスを見下ろすグレイの瞳が、すうっと細まる。
だが、湧き上がるその感覚に戸惑い俯くアリスは、その視線には全く気が付かなかった。
またそっとグレイの指先が伸ばされて、アリスの薄水色の羽に触れようとした。

「ちょーっと待った!」

「え?あ、ナイトメア!」

「アリス、よく似合っているよその羽」

言いながら、天井から現れて慌てたようにアリスとグレイの間に降りてくる ナイトメアの腕を、アリスはガシっと掴む。

「良く似合ってるよ、じゃないわよ。あなたまた急に何してるのよ」

「いやいや、これにはちゃんとした事情があってだな」

何故かこちらの肩を掴んでぐいぐいとグレイから距離を開けようとする相手を訝しく見上げる。
廊下に佇むグレイは、その場から動かない。
目が合えばにこりと微笑み返してくれるが、何だかやけに静かな表情をしているのが少しだけ気になった。
そんなアリスの肩を更に押して、ナイトメアはキっと背後を振り返る。

「グレイ。一体お前はこんなところで何をしでかそうとして・・あいたっ」

「しでかしてるのはあなたでしょ。で、これはどういうことなのよ」

振り返って部下に怒り出すナイトメアの後ろ頭をはたいて、アリスはさあ説明をしろと腰に手を当てる。
その眼前で、ナイトメアは急によろりと廊下にしゃがみ込んだ。
何事かと思えば、その足元に赤いものが点々と・・・。

「後頭部叩かれたぐらいで鼻血なんて・・血の気の多い子どもじゃないんだから・・・」

呆れてその横にしゃがみ込んで、背中をさする。

「そういえば、・・あなたの背には生えていないのね」

いつも通りの仕立ての良いスーツに包まれた薄い背中を撫でながらアリスがそう言えば、ふんわりとマントが広がるかのように背中に薄淡く虹色に光る羽が現れた。
びっくりして、つい手を止めてしまう。

「ふ、ふふん・・ズビッ・・びっくりしただろう、そうだろう・・ズズ・・私の羽は特別出し入れ自由なんだ、いいだろう!」

「綺麗だけどこの色・・夢の空間の色に似ているわね」

言いながら、ハンカチをその鼻にねじ込む。
喉からも鼻からも出血なんて、どんなスプラッタよと思う。
安静にさせて、薬を・・・。

「あ、ああ、そうだアリス!!君にはしっかり説明をしないといけなかったな!!」

「・・・そんなことよりあなたはまず、くすr・・」

「グレイ!私は休憩をとる。彼女への説明が今は最優先事項だからな」

「・・・・・分かりました。・・アリス、また」

溜息を吐いてから、アリスに微笑みかけてグレイは廊下を立ち去る。
ナイトメアが休憩をとることになって、ずれたスケジュールを調整しにいくのだろうその背中を、申し訳ない思いで見送る。

「さあ、ここは寒い。もっと温かいところ行こう!」

「そうね」

廊下の芯から冷える冷気に当てられたナイトメアの真っ白な顔に頷き返して、アリスは立ち上がった。
今度はアリスがナイトメアに手を差し出す。
嬉しそうに笑ったナイトメアは、その手をとって立ち上がりそしてアリスの手を引いて歩き出した。



「休憩室に行くんじゃなかったの?」

「温かい場所と言ったらあそこが一番だろう」

「・・・邪魔したら怒られるわよ」

廊下を歩き続けて、さすがのアリスもナイトメアが行こうとしている目的地 が休憩室では無く、この塔の人気のない奥の端にあるユリウスの部屋だと気が付いて声をかければ、手を引く相手はふふんと笑う。
何だとその顔を見返せば、色素の薄いその瞳がアリスの腕の中をちらと見た。

「それは、時計屋と食べようと思っているんだろう・・?」

「・・・・・」

いつの間に読まれていたのだろう。
確かに、そう思っていたのでちょっとむすっとしてその顔を睨む。

「あなた、説明するのが面倒なんじゃないわよね」

「ま、まさか」

ギクリとしたその顔を呆れたように見遣れば、子どもの様に拗ねた顔になる。

「め、面倒なんて思うわけが無いだろう。他でもない君のためだ」

「・・・あら、そう」

「そうだ!領主たる私が自ら説明をするのだから、そのお礼にそのマフィンを私にも分けてくれたっていいとは思わないか」

まあ、それが本音だろうとは思っていたので、アリスはもう黙って扉の前まで進む。

「時計屋ー、入るぞー」

相変わらず、相手の応えより先に扉を開けて入ってしまうナイトメアに続いて、アリスは一言断りを入れてからユリウスの部屋へと入った。

「・・・何だ、騒々しい」

ちらとこちらを見上げて、心底うっとうしそうに言う。

「あまり、温かくは無かったがまあいいだろう」

「仕事をさぼる奴に邪魔をされたくはない、出て行け」

「何だと。私だけ態よく追い出そうとしたってそうはいかないからな!」

「・・・本当にごめんなさい、ユリウス。あ、マフィンをいただいたの。良ければ一緒に食べましょう」

そういって、慣れたキッチンへと向かう。

「はあ・・」

「何だなんだ、勝手に部屋に入る私には嫌味で、勝手にコーヒーを淹れるアリスには何も無しか。私はここの領主だぞ」

「・・・廊下と部屋がつながっているだけで、この部屋の中は私の領土だ。うるさくするなら・・」

「はいはい。はい、ナイトメアはカフェオレにしておいたわ」

「あ・・アリスっっ」

感激したような声を受け流してユリウスにはブラックを渡す。

「そんな奴の分、淹れてやらなくていい」

「また、美味しい豆が見つかったら持ってくるから、ね?」

ふん、と鼻を鳴らして湯気を立てるマグカップに口を付けるユリウスの背中をそっと見た。

「・・・・・」

根元は濃い青から羽の先に向かって徐々に色が淡くなっていくグラデーションがとてもきれいだった。
グレイのものほど細くは無く、それでも長く綺麗な羽にアリスはすっかり見とれていた。

「?・・なんだ」

「ん、ごほん」

ナイトメアのこれ見よがしな咳払いにはっとする。

「あ、綺麗だなって・・つい」

「アリス、そろそろ説明をしようじゃないか」

勝手に人の部屋でくつろいでいるナイトメアが、カフェオレで両手を温めながら説明を始める。



「つまり、これはハロウィンのイベントってこと?」

「そういうことだ。本来なら秋の領土である帽子屋のところのみのイベントなんだが、たまに気まぐれな奴らが出てきてな」

「気まぐれな奴ら・・・?」

「そんなことはどうでもいいだろう。・・まあ、たまに起こるイベント事の一つだ。そう大げさにすることでもない。気が付いたら終わっている、その程度のことだ」

「・・そう」

「それで、だ。今年は羽で統一することにしたらしくてだな、我がクローバーの領土はこの通り、メルヘンチックな妖精の羽になったのだよ」

「本当に、メルヘンね・・・」

「ちなみに、お隣の帽子屋領が蝙蝠の羽、ハートの城が蝶の羽で、遊園地は確か・・」

「鳥の羽で極彩色のパレードをするそうだ・・・ゴーランドがそう言っていたな」

「鳥の・・羽ね」

脳内で想像して、アリスの目は遠くなった。
極彩色の鳥の羽を背負ったゴーランド率いる遊園地スタッフの姿が目に浮かぶ。
集客に繋げると意気込んで、パレードの準備に勤しんでいるだろうがそれならば今はもしかしたら近づかない方がいいかもしれない。
何か、嫌な予感がする。

「あー、アリス。それは賢明な判断だ」

アリスの心の声を読み取ったナイトメアが、腕を組んで深々と頷いて同意を示す。

「パレードだけじゃなくて舞台もやると張り切って、・・それがそのミュージカル調らしくてなあ・・・」

「それは・・まずいわね」

ゴーランドとミュージカル。
最悪な組み合わせだ。
ボリスとピアスはどうしているだろうと思うが、あの二人ならきっと手伝いなんてせず早々にその場を脱出しているだろう。
身の安全の確保の方が大事だ。

「蝙蝠の羽は・・ブラッドらしすぎるわね」

あそこのメイドさんたちにももちろん、気怠い雰囲気も相まって似合いすぎること請け合いだろう。
ただ、エリオットだけはどうかと思うが、ユリウスとエリオットは仲が良いとは口を避けても言えない仲なので、そこは胸の中に仕舞っておいた。

「ビバルディに蝶の羽かあ・・・きっとすごく似合うわね」

華やかで綺麗で、ビバルディの美しさをきっと引き立てているだろう。

「・・・あれは、そうだな・・・女性には似合うだろうが・・」

何やら遠い目をするナイトメアにつられて役持ちの男性陣を思い浮かべて・・アリスはむせた。

「エースに、蝶・・?!エースに蝶の羽ですって・・・?」

おかしすぎる。
想像力の限界が見えてアリスは早々にそれを放棄したが、薄ぼんやりと考えたイメージを読み取ったナイトメアが真っ赤な顔で笑い転げた。
そして即座に吐血するその背中を撫でさすって、妖精の羽で良かったとその背中に生える羽を見てしみじみと感じる。

「そういえば、ハロウィンだったのよね」

「まあ、そういうことになるな」

塔の職員の分も含めてクッキーでも焼こうかしらと考えれば、ナイトメアに塔のキッチンを使うことを勧められる。

「え、いいわよ。一度帰るわ」

街で材料も買わないと断ろうとすれば、ハンカチで口元を拭いながらナイトメアは弱弱しく首を振る。

「いや、材料はもうあるんだ」

「え。それは・・・」

まさかと思えば、やけに真剣な顔で頷かれる。

「グレイが手を付ける前に是非アリス、君に使ってもらえたら嬉しい」

「・・・分かったわ」

必死の懇願に、そしてその材料がグレイによって食材として全うできなくなる未来を回避するためには頷く他は無い。

「それに、そろそろ君の店に別の領土の誰かが押しかけてきているころだろう」

今戻ると捕まるぞと言われ、クローバーの塔に暫く滞在することも提案された。
脳裏に過る、ピンクと紫の鳥の羽を生やした誰かさんとか、蝶の羽を生やした胡散臭い笑みの誰かさんとか、蝙蝠の羽を生やした不法侵入を繰り返す誰かさんを思い浮かべて、アリスも真顔で頷いた。

「少しの間、世話になるわね」

「ああ、いつでも。いつまででも、私は大歓迎だ」

ナイトメアはゆったりとした笑みで、深々と頷いた。



「・・・・で、お前はいったい何をしているんだ」

「あらユリウス。この羽ってすごいのね。ほんのちょっとならちゃんと飛べるのよ」

「・・・・・」

薄水色の羽を懸命に羽ばたかせて言うアリスの足元は、床から30センチ程浮いていた。
そんなアリスが腕を伸ばしているのは棚の上だ。

「折角少しでも高いところに手が届くようになったんですもの。この機会に手が届かなかった上の方の掃除をしちゃおうと思うの」

「・・・それが、何でこの部屋なんだ」

「だって、あなたが掃除してるところなんて見たことが無いもの」

それはそうだ。
この世界は多少の汚れなら、時間帯が変われば無かったことになったりするおかしな世界。
それに仕事第一であるユリウスが、部屋の多少のほこりなど気に留めるはずがないのだった。

「下の方の掃除はたまに来ても出来るけど、上の方はさすがにね」

アリスだって、仕事人であるユリウスを邪魔しようだなんて思わない。
椅子を動かしてどうこうするほど掃除は必要ではないが、ちょっと覗いてみて棚の中の更に奥に手が届く今、ちょっとした拭き掃除と中の物の整理くらいはしてもいいかなと思っていた。

「わざわざ、そんなことはしなくていい」

「だって・・手持無沙汰なんだもの」

グレイが買っていたという食材で、かぼちゃプリンやかぼちゃクッキーを作ってしまった。
塔の職員に配り歩いて、今アリスは暇なのである。
ナイトメアはああ言ってはいたけれど、よくよく考えればお菓子さえ用意して待っていれば、いつも絡んでくるこの世界の役持ちたちもそういたずらなんてしてこないかもしれない。
滞在しても良いと言われたからついつい一番落ち着くユリウスの作業部屋に来てしまったが、それでユリウスの邪魔をしているなら問題だ。
やはり帰ろうかしらと、アリスは返事をしてから考えそして頷く。

「お邪魔してごめんなさい。私、やっぱり店に帰るわね」

そう言って相手の顔を見れば、眼鏡の向こうの静かな藍色の瞳が一度瞬きをした。

「邪魔とは言っていない。・・・ここに、いればいい」

後半はまた手元の作業に戻りつつのくぐもった声だったが、しっかり聞こえたアリスは目を少し見開いた。
今、ユリウスにしては珍しい言葉が聞けたような気がする。
思わず、ふふと笑ってしまう。
聞きとがめた相手が顔を上げて睨んでくる。

「・・何がおかしい。いたくないのなら、でていけば・・」

「まさか。・・お言葉に甘えさせてもらうわ」

「ふん・・好きにしろ」

「ええ」

にこにこと笑えば、しかめっ面でまた作業に戻る。
そんなユリウスの隣に椅子を持ってきて、アリスは棚を整理して見つけたデザインパターンの載った本をパラパラとめくる。
時計のデザイン・・では無いようだけれど、こんな本をユリウスが持っているのは珍しく、そして彼らしいと思った。
木の葉をパターンモチーフにしたデザインのページに何か挟まっている。
思わず笑みが零れる。
自分があげた紅葉と、その後にあげた葉を葉脈だけにしたものを挟みこんだ透明のカードが一緒に挟まっていた。
大切にしてくれていると思えば、嬉しくないはずがない。

「・・・なんだ、さっきからニヤニヤと」

気色が悪い、と続けたユリウスにアリスはそこまで言わなくてもいいと思いつつ、そのページを見せた。

「使ってくれてたの、嬉しかったのよ」

「・・ああ、それか」

言って、ふと何かを思い出そうとする仕草をする。

「そういえば、ナイトメアがその本を見ていたな」

「ナイトメアが?」

「ああ。・・そうか、それで」

一人何かを思いついて納得するユリウスに、首を傾げればユリウスの手がすっと伸びてきてそっとアリスの羽に触れた。
温もりが指先から流れ込んだように羽全体に広がって、ふんわりと温かい気持ちになる。
さっきグレイに触れられたときは、何故だか変に不安なざわざわした気持ちになったというのに。
不思議な気持ちに包まれながら顔を上げれば、思ったより近い距離にドキリとする。
そんなアリスには気が付かないように、そっと羽を撫でながらユリウスがまた口を開いた。

「お前の羽には薄らと模様が入っている」

「え?」

見たくても自分の背中にあるものだ。
良く見えなくて、代わりにユリウスの羽をまじまじと見れば、確かに薄らと文様のようなものが入っていた。

「これも、ナイトメアがやったの?」

「以前と同じではつまらない、何か案を出せと言われてその本を渡しただけだ」

渡したというか、ぞんざいに寄越すユリウスと拗ねながらそれを受け取るナイトメアの光景が容易に目に浮かぶ。

「おしゃれね」

ナイトメアは結構おしゃれで、センスがあると思う。
見下ろしてくるユリウスの視線がなんだか恥ずかしくて、自然と彷徨う視線はユリウスの羽へと向かっていた。

「私も・・触っても良いかしら」

あなたの羽、と言えば何故かビクリと肩が揺れた。
何だろう。
散々人のを触っておいて、何かあるのだろうか。

「・・駄目、かしら?」

「っ・・、勝手にしろ」

やや怯んだような顔がふっとそらされる。
それでもお許しが出たと、アリスは早速その透き通った羽に手を伸ばした。

「・・・・・」

思わず息を飲んでしまった。
まるで、とても上質な絹のようなその触り心地にうっとりする。
指先をするすると滑らせて、葉脈のような筋をたどればその羽はふるりと微かに震えた。

「あ、ごめんなさい。痛かったかしら」

「・・、いや・・」

口元を抑えて決してこちらを見ないユリウスにどうしたのだろうと思うも、その触り心地も薄らと煌めく濃淡のグラデーションも魅力的で、アリスは夢中になっていた。
そこに毒々しい色合いの蝶の羽を背負った赤い悪魔が乱入するまで、あと少し・・・。


◆◇*------------*◇◆



トリックオアトリート!
あら、お菓子もあげたんだし、ちょっとくらい・・・いいわよね?










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