黒うさぎのユーリ



家への帰り道、道端に何か丸っこい塊を見つける。
普通の猫にしては小さいから子猫だろうか。
いきなり近付いたら驚いて逃げてしまうだろうから、そっと少しずつ。
はたから見たらしゃがんだままちょっとずつ前に進んでいく様は凄まじく怪しい。
でも子猫のためならこの程度、この時間はあまり人通りが無いこともあって、にゃーと声をかけながら少しずつその毛玉のようなものに近付いた。

「(あれ・・・)」

しっぽがやけに短い。
丸まった黒い毛の塊のこちらに向けていたお尻に丸いしっぽが生えている。
真ん丸だ。
猫じゃないと分かって、思わずそこで止まってしまった。
普通の住宅街で猫では無い哺乳類がいると途端に身構えてしまうのは致し方ない。
ハッとして立ち止まったコチラに気が付いたのか、その丸い毛玉はやっとこちらを向いた。

「ん・・?」

丸かった尻尾。
ひょこりと揺れた長い耳。
全体的な丸っこいフォルム。

「うさぎ・・?」

何故こんなところに真っ黒なうさぎさんが落ちているんだろう。
危険度は低いと分かりそっと手を伸ばしてみた。
そろそろと伸ばされた手を警戒したようにじっと見ていたが止まった指先にすんすんと鼻先を動かす様はとてもかわいい。
こちらを見てすぐさま逃げる様子もないし、こんなところにいるからにはどこかで飼われていたのだろう。
それにしてもうさぎなんて久しぶりに見る。
いや、写真とかでは見ないことも無いけど実際に触れる機会はそんなに無い。
ふわふわつやつやと夜の明かりに光る毛並みに触れたくてもう少し手を伸ばそうか迷っていれば、ずっと手の先や空気を嗅ぐようにぴすぴすふんふんと顔を動かしていたウサギの方からそっと寄ってきてくれた。
擦り寄る温かい体温、ふさふさとした丸い形。
手の甲に鼻を寄せて頬を摺り寄せる仕草に思わずきゅんとする。
そっと手を動かして額から耳を通って背中まで撫でる。
その手の動きに目を細めてじっとしているのもこれまた可愛い。

「・・・・、決めた!」

今日のところはうちに連れて帰ろうではないか。
うさぎも鳴くとは言うがそんなに大声では無かったはずだし、ここに放置して猫やカラスに怪我でも負わされたらと思えば置いては行けない。
SNSや掲示板で飼い主探しをしなければいけないなと思いつつ、真っ黒なうさぎに両手をそっと開いてみせる。

「おいで」

一緒にうちに来ない?
そんな気持ちを込めてその真っ黒で時折光を反射して光るつぶらな瞳を覗き込む。
そんな声が聞こえた筈も無いけれど、少し空気を嗅ぐようにこちらを見上げたうさぎはまた一歩こちらに跳ねて近寄る。
両手でそっと掬い上げた。
丸くて黒くてふわふわで。

「よし、おうち帰ろうか」

腕に抱えて、すごく幸せな気持ちで家路に着いた。



「・・・・、・・ぇ?」

そうしておうちに連れて帰って収納ボックスを一つ開けて新聞紙とタオルを入れて寝床を作り、水の容器と人参や葉っぱものを切って器に乗せてあげて。
もそもそぽりぽりもぐもぐと食べている様子を見てまた和んで、ドキドキと小さな心臓が早い鼓動を立てているのを感じながらふわふわな背中をそっと撫でていれば、ラグの上で寝そべっていたのがまずかったらしい。
うっかり眠ってしまっていたようだと、今何時だろうと目を擦りながら見た先。
収納ボックスにいた筈のうさぎがいない。
しまった。
いや、しまった、じゃない。
この程度の高さなら越えてしまうとはさすがに分かっていたから、寝る前までには何かもう少し高さのある箱を探し出さなければと思っていたのに。
そこまで考えてさぁっと血の気が引いた。
水の容器にはまだ水が残っているが、籠から脱走してうろうろと部屋を彷徨った挙句にお風呂やらで溺死してしまったなんてという話も聞いたことがある。

「っ!!・・ん・・?」

慌てて視線を巡らせた先、キッチンに誰かが立っているのが見えた。

「ん?・・よ、起きたか。良く眠れた?」

「・・・・・」

ナチュラルに話しかけられて思考回路が止まり、そして即座に目の前の事態に対してフル回転しだす。
うさぎはどこで、そして目の前の何だかご機嫌な野郎は何処の野郎だろうか。
野郎・・いや、ポニーテールがゆらゆら揺れているけれどその背の高さと先ほどの声の低さからしておそらくは成人男性だろうと推測を立てて、そしてだから誰なんだこの成人野郎は・・・!

「どこから、いつ、入ったの・・・」

そろそろじりじりと後ずさりながら刺激しない様に、出来る限り静かな声音で話しかける。
そんなこちらをキッチンで何やら作業途中の相手は、肩越しに振り返ってきょとんと瞬きをした。

「玄関から。あんたが寝る前、一緒に」

「・・は」

「だから、あんたが招き入れてくれたろ。腕に抱きかかえて、さ」

いって、にやと目を細める。
は、一体こいつは何をほざいているんだろう。
こんな背の高い野郎を私が抱きかかえられる訳が無かろう、とかそういうことじゃない。

「一緒に?招き入れた?」

「ああ。”おうち帰ろうか”ってな」

「!?!」

その台詞を言って抱きかかえて帰ってきたのは、さっきから男の動向を見つつも目の端で探していた黒いうさぎだった。

「うさぎ・・」

「おう」

「・・、うさぎ?」

「ん、だからそーだっての」

2回目に指を指して恐る恐る聞いてみれば、何てことないかのように頷いている相手に指を指したまま思考が停止する。

「・・、大丈夫かよ」

何をしていたのか良く分からなかったが、こちらが急に静かになったことで振り向いた相手は少し呆れ気味にそう言っているが、その左手に握られたものを見て顔が引きつった。
包丁、とか。
・・殺(や)られる。
背後の壁に縋りついてバッと立ち上がったこちらを怪訝そうに見て、こちらの視線の先にある左手の包丁を見て背の高い成人野郎は、やれやれと呆れたようにその包丁をまな板の上に乗せた。

「あのな、」

「・・何が目的なの」

「話聞けっての」

「だって意味が分からない」

うさぎが野郎に変身するなんて聞いたこと無い。
何を企んでいるのかと睨みつければ、分かった分かったと両手をホールドアップさせたそいつはそこで一度何かやっていた作業を中断させて、ゆっくりと座り込んだ。
その動きを追いながら油断なく見ていれば、キッチンの床に座り来んで背を預けた。

「ほら、これでいいか」

開いた手の平をヒラヒラと振って見せてその場に胡坐をかいて座る。

「いいか、って・・」

「とにかく、俺はうさぎで」

「うさぎは人にはなりません!」

「・・なっちまったもんは仕方ねえだろ」

「自分のうさぎ人生諦め早すぎでしょ」

「って言われてもなあ」

後ろ髪をくしゃくしゃとして明後日の方を向く、その横顔が困っているというか面倒だなと言っている。
長い髪はくしゃくしゃにされてもさらさらと流れて足元に流れ落ちた。
・・うさぎの時もつやふわだと思っていたが、こやつ本当に毛並みがいい。

「・・うらやましい」

ついむっとして呟けば、こちらを見上げる綺麗な闇色の瞳と目が合う。

「!・・分かった。もし、あなたが私が招き入れたうさぎさんであるというなら」

「・・なら?」

「私が好きにしていいってことよね」

「・・・は」

ポカンと見上げる成人野郎の前に仁王立ちで立ち塞がる。
バッと広げた手でがしっとその頭を掴む。

「ちょ、待て、おいって」

「さらっさら・・うさぎさんずるくない?」

「ずるいとか、んなの俺がどうこうしたわけじゃないっての・・っ」

サラサラツヤツヤの髪を思う存分撫で回す。

「ツインテール」

「ヤメロ」

最初こそ疑いを晴らすためかじっと耐えていた自称うさぎさんだが、さすがのツインテールには多少いらっとしてきたようなのでちょっと満足したところで解放する。
はぁやれやれと首を動かしている相手に、チラと見上げられる。

「う・・・、何・・」

このうさぎは野郎のくせに目がパッチリしている。
うさぎ生まれのつぶらな瞳ですか、そうですか。
じっと見られてさすがにやり過ぎたかとやや怯む。

「立っていい?」

「あ、どうぞ」

すっと立ち上がれば、本当に背が高い。
あんなちんまい黒い毛玉だったくせして、何でこんなたっぱある野郎になるんだよもっと可愛い小学生くらいだったらまだ良かったのに。
ショタコンではない、念のため。
そんなしょーも無いことを考えながら動きを目で追っていれば、立ち上がったうさぎさんはキッチンに立ってくいっと親指でまな板の上を指す。

「夕飯。一宿のお礼に作ろうかと思ってたんだが」

「まだ一宿させてないけど」

「コレカラドウモオセワニナリマス」

「はっ・・」

こやつこの先もずっとここにいるつもりか、と驚愕する。

「だってオレ家ねえし」

「・・・・」

「まあ、ほらまたうさぎに戻るかもしんねえだろ」

「いつ」

「・・・、・・」

「・・・・・」

「んじゃ、そーいうことだから」

何がどうして「そういう事」にまとまったのかさっぱり分からないまま、よろしく、なとパチンとウィンクされる。

「食費はまあ、あんた持ちだけど」

「・・だろうね」

答えつつその手元を覗き込めば危なげない手つきで玉ねぎをみじん切りしている。
ウィンクといい調理の仕方といい、元うさぎなくせしていろいろ芸が細かい。
思わず疑惑の眼差しを向ければその眼差しを受けた相手は、ん?とみじん切りに少し潤んだ瞳でこちらを見下ろす。

「・・ぐ・・」

こいつ、本当見上げるのも見下ろすのも何で、こんな・・・。

「・・、あんた嫌いだった?ハンバーグなんだけど」

「どうして作り方知ってんの?」

「さあ。オレにもさっぱり」

まあ知ってるからいいじゃねえか、材料もあるし、と怪しさ満点の事案を放り投げる。
いいのだろうか、ここで奴の好きにしてしまっても。

「そんな目で睨んでも変なもんはいれねえよ」

「変なもん・・」

「フレンじゃあるまいし」

「フレン?」

「ん、ああ。知り合い」

「へえ。・・うさぎの?」

「だな。白いやつ」

「・・へぇ」

黒いうさぎの知り合いには白いうさぎの知り合いがいるらしい。
何だこのどうでもいい情報。
それから、暫くしてはっとする。

「あなた、名前あるの?」

フレンという知り合いうさぎがいるならこのうさぎさんにも名前があるはずだ。
そう思って聞けば、あぁ、と気の抜けるような声が振ってくる。

「そいやすっかり。ユーリ」

「ユーリ」

「そ」

「女の子っぽ」

「・・ん?」

「・・・・、・・ん?」

包丁片手ににこりと微笑まれて咄嗟に口を噤んで微笑み返してみた。
こちらをチラと見た相手は、何事も無かったかのように作業を再開させた。
みじん切りにした玉ねぎをすでに解凍していたひき肉に混ぜる横顔を見て内心ほっとする。

「次言ったらお仕置きな」

「・・、へ」

ひき肉こねながら今なんか不穏な発言しなかったか、この黒いうさぎさん。
人のキッチンの中をごそごそ探しまくる手に、フライパンとフライ返しを取り出して渡す。

「サンキュ」

「・・・・・」

何で見知らぬ元うさぎ男にハンバーグ作ってもらってるんだろうな自分、と今の状況をつい遠い目で見つめそうになる。

「・・・、スープでいい?」

「お、よろしく」

やかんにお湯を入れてフライパンの隣で火を点ける。
インスタントスープの粉を出して2つぶんのカップに空けてお湯が沸くのを待った。



「うまい」

「だろ?」

「・・・・うさぎだったんだよね?」

「・・まあな」

肉汁がじゅわっと出てくるいい焦げ色のハンバーグにはケチャップとソースで作ったソースがかかっている。
付け合せの茹でたにんじんをもそもそと食べる向かいの相手をじっとりと見れば、何度聞けば気が済むんだと言いたげな顔が返ってくるが何度でも聞きたくなるのは仕方ないだろう。
そもそもうさぎが人間になるなんて信じていいのか。

「うますぎ」

っく、とフォークを噛みしめる。
料理スキルがうさぎに負けるってどういうことか。

「そりゃよかった」

にやにやと頬杖をつくうさぎさんはにんじんばかり食べている・・わけでもなく普通にハンバーグも食べながら、まあまあだなと頷いている。
まあまあって・・だからお前はうさぎだったんだろ、ともう1度聞きたい気持ちをぐっとこらえる。
人型だから大丈夫なのだろうか。

「・・うさぎに戻ったら、・・ほらうさぎって草食でしょ」

やっぱり不安になってついぽろっと聞いてしまう。
スープを飲んだ相手はんー、と考えていたがこちらをちらと見て眉を上げて苦笑した。

「なんだ、心配してくれてんの?」

「・・身体の構造が違うって言ってるんだけど」

「大丈夫だよ」

「何を根拠に」

「・・・なんとなく?」

そのまま黙ったままモグモグと食事を終えて、お腹がすっかり満たされた。

「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

にっと笑う相手の前からお皿をとってシンクに付けておく。
すぐに片付けてしまいたい気持ちもあるが、何だか色々あってちょっと頭が重い。
瞼も重い。
沸かしておいたお湯でお茶を入れてうさぎユーリの前に置けば、サンキュと声が返ってくる。
こいつ本当にこのままここに泊まる気なんだろうか。
・・他に行くとこ無いのかな。
飼い主さんはどっかにいるんじゃないのかな。

「・・・・?」

ぼんやりと向かいに座ってお茶に口をつけるうさぎさんを見遣る。
不意にその手がこちらに伸びる。
避ける間もなくぽんぽんと片手で頭を軽くなでられる。
自分と比べるとだいぶ大きな手に頭を覆われると伸びた腕の影も重なり、目の前が暗くなる。
落とした視線を暫く閉ざす。
頭を撫でられる柔らかい振動、程よい暗がり。

「って、おいおい。ここで寝るなって」

「・・・・」

「・・疲れてんのな」

「んー・・」

いかんいかんと頭を振って立ち上がる。
部屋の扉をあけてごそごそと動き回り、毛布とクッションを抱えて戻りこっちをじっと見ていた相手に手渡す。

「ラグの上なら冷えないと思うから、そこで」

「・・・・あんたと」

「ユーリ、おやすみ」

「へーい」

言わせないぞと釘をさせば小さく舌打ちをしている。
聞こえているがさすがにその一線を越えるつもりも無い。
でもまだ寒い時期、こんな夜中にほっぽりだす気は無いからと譲歩して。
お風呂は明日起きたらシャワーを浴びよう。
もうぐらぐらと揺れる頭が思考からの解放を促している。
私も早く横になって寝てしまいたい。

「おやすみ、

だから、ユーリが最後に何て言っていたか上手く聞き取れていなかった。



パチリ。
パチパチ。

「・・・・ぇ」

目の前に綺麗な黒髪が流れている。
長くてサラサラつやつやとしている。
誰だろうこの整った顔のお嬢さんは。

「・・・っ!」

パチリ。

「誰が、お嬢さんだコラ」

「ユっんに」

見ている目の前でパチリと開かれた瞳が一瞬で獰猛な鋭さとともに細められて、何でここにいるんだと言おうとした鼻をつままれる。

「てか今日休みだろーもちっと寝てようぜ」

「・んで私が休みだと知って・・」

「タイマーセットせずに寝たらそうだって思うだろ」

何とかつままれた鼻から手を払落し、何故か同衾をかましていた元うさぎ男とやらを追い出そうとベッドの上で攻防を繰り返す。
長い腕を伸ばされて身を竦める。
こちらの様子を目を細めて見ながら、伸ばした手が掴んだ時計の裏を示してくる。

「・・・・」

確かにそこにはオンではなくオフになっているタイマーのスイッチがある。

「・・携帯のアラーム使ってるのかもしれないでしょ」

「7時なんかにセットした時計は大抵普段使いだろ」

世の中全員7時起きでもあるまいし、夜勤の人とかどうなるんだとか言いたい気持ちは取りあえず抑える。

「確かに今日はお休みです」

「よし!んじゃおやすみ」

「は、いやなんで・・くっ何でこんな」

ベッドから蹴り出そうとした足を逆に絡め取られる。
押し出そうとする胸元は馬鹿みたいにびくともしない。

「諦めろって」

「寝たいのそっちでしょ。私は起きる!」

「まあまあ」

何がまあまあだ。
よしよしと撫でられる腕を払おうとした手を逆に取られてぐいっと引っ張られる。

「ぎゃ」

「・・・それ以上抵抗すんなら、こっちからもお返ししてやってもイイケド?」

不穏な台詞を耳元に流し込まれて、ビシッと固まる。

「・・・オヤスミナサイ」

「おう」

次に起きたら全て夢だったらいいのに。
そう願いつつ諦めて目を閉じた。



◆◇*------------*◇◆












2016 Easter TOP SITE TOP


PAGE TOP